リフレッシュの時【50代】

高田馬場で、少しだけ自分を取り戻した夜
GW初日は、高田馬場で学生時代の友人たちと会った。
久しぶりに、英気を養った。
本当に、そういう言い方がしっくりくる一日だった。
今の私にとって、外へ出ることは簡単ではない。
ただ予定を入れれば出られる、というものではない。
両親の状態が落ち着いていること。
父の体調が悪くないこと。
母の認知症の状態が荒れていないこと。
妻と娘に任せられる空気があること。
そのすべてがそろって、ようやく少しだけ家を離れられる。
だから、この外出はただの飲み会ではない。
家族に時間をもらい、
介護の現場から少しだけ離れるための、
大事なリフレッシュだった。
午前中は、まず父を風呂に入れた。
父の体調を見る。
尿パックの状態を見る。
転ばないように気を配る。
着替えを用意する。
風呂から出たあとも、身体を拭き、服を着せ、状態を確認する。
介護の風呂は、ただ風呂に入れるだけではない。
ひとつひとつに段取りがある。
気を抜く場所がない。
そのあと、母の様子も見た。
母も、とりあえず落ち着いていた。
父も調子は悪くなさそうだった。
今日は任せられそうだ。
そう思えた。
こういう日は、めったにない。
本当にめったにない。
介護のある家では、予定はいつでも崩れる。
出かけるつもりでも、父の状態が悪ければ無理だ。
母が荒れれば、やはり無理だ。
家の中の空気が危うければ、自分だけ外へ出る気持ちにはなれない。
だからGW初日は、かなり貴重な日だった。
昼を食べ、少し様子を見てから、両親を妻と娘にお願いした。
もちろん、完全に気持ちが自由になるわけではない。
見守りカメラもある。
電話もできる。
何かあればすぐに連絡は来る。
そういう体制があるからこそ出られる。
だが、それでも家を出る瞬間には、どこか後ろ髪を引かれる。
介護をしていると、身体だけ外に出ても、頭の一部は家に残る。
父は大丈夫か。
母は何か言い出していないか。
トイレは大丈夫か。
尿パックは問題ないか。
そんなことが、ふとした瞬間に浮かぶ。
それでも出る。
出ないと、こちらがもたない時がある。
まずは新宿へ出た。
少しだけブラブラした。
町並みの変化を見る。
ビルの感じを見る。
人の流れを見る。
久しぶりに都心の空気を吸う。
新宿は相変わらず人が多い。
それだけで少し疲れる。
だが同時に、どこか懐かしい。
若い頃から何度も歩いてきた街だ。
変わってしまったところも多い。
だが、雑多な空気はどこか残っている。
少し歩いたあと、喫茶店でくつろいだ。
この時間がよかった。
待ち合わせは夕方。
それまでの間、ぼんやりと座る。
コーヒーを飲む。
街を見る。
何もしない時間を持つ。
今の私には、これがかなり贅沢だ。
何もしない。
誰かの様子を見ていない。
すぐに何かを処理していない。
薬も、尿パックも、風呂場も、台所も、その瞬間だけは目の前にない。
もちろん、時折見守りカメラで家の様子は確認した。
電話もした。
妻や娘に負担をかけすぎていないかも気になった。
完全なフリーには、なかなかなれない。
それでも、問題なくいっているようだった。
安心して行ける。
そう思えた時、少しだけ肩の力が抜けた。
夕方からは、高田馬場へ向かった。
高田馬場という街は、やはり独特だ。
早稲田大学を中心とする学生街として知られ、
古書店や飲食店が集まり、
高田馬場駅周辺も戦後から繁華街として発展してきた歴史がある。
早稲田大学の記事でも、
1952年の西武新宿駅開設や1964年の東西線開業によって
高田馬場駅周辺が急速に繁華街になったことが紹介されている。
学生街。
飲み屋。
ラーメン。
古い雑居ビル。
若者の声。
昔からの空気と、今の街の変化。
あのあたりには、妙な熱がある。
上品ではない。
だが、妙に人間くさい。
学生時代の友人たちと数人で集まり、居酒屋へ行った。
みな、もう30年以上の付き合いになる。
30年以上。
こう書くと、なかなか重い。
それだけの時間が過ぎたということだ。
学生だった頃の自分たちがいて、社会に出て、
仕事をし、家庭を持ち、親の介護や身体の不調や、
それぞれの事情を抱えながら、今ここに集まっている。
みな50を超えた。
それぞれ、いろいろある。
仕事のこと。
身体のこと。
家族のこと。
親のこと。
将来のこと。
何も抱えていない人など、たぶんいない。
だが、こういう時は、それをいったん横に置く。
それは暗黙の了解のようなものだ。
もちろん、近況の話はする。
それぞれの大変さも少しは出る。
だが、そこに沈み込みすぎない。
せっかく会えたのだ。
せっかく時間を作ったのだ。
ならば今日は笑おう。
そういう空気が自然にある。
ありがたいことだと思う。

学生時代の友人というのは、不思議な存在だ。
今の肩書きや状況とは別の場所で、こちらを見てくれる。
今の自分が、介護者であり、父であり、夫であり、仕事を抱える50代である前に、昔の自分を知っている。
あの頃の延長線上で、普通に話せる。
それが、たまらなくありがたい時がある。
結構お酒も飲んでしまった。
今は肉体改造中でもある。
酒も控えたほうがいいのはわかっている。
睡眠にも良くない。
体重管理にも良くない。
それでも、飲んだ。
こういう日まで全部を制御しようとしたら、たぶん心が持たない。
もちろん、飲みすぎはよくない。
そこはわかっている。
だが、久しぶりの友人たちと、
くだらない話をしながら飲む酒には、やはり別の効き方がある。
身体にいいかは別として、心には少し効いた。
高田馬場の夜を満喫した。
人が多く、店も多く、若い声もある。
自分たちも若い頃は、
こういう街の中で当たり前のように時間を使っていた。
今は違う。
帰る時間も気になる。
家も気になる。
見守りカメラも見る。
完全には自由になれない。
それでも、確かにリフレッシュできた。
それで十分だ。
介護をしていると、
楽しむことにどこか後ろめたさが生まれる時がある。
家では妻と娘が両親を見てくれている。
自分だけ外で楽しんでいいのか。
そんな気持ちがふと出る。
だが、それでも必要なのだと思う。
ずっと張り詰めていたら、いつか切れる。
誰かのために動き続けるには、
自分の中にも少し何かを戻さなければならない。
家キャンも、小高い丘も、妄想旅行もそうだが、
人と会うこともまた、心の保守なのだ。
昨日は、家族の協力があって初めてできた時間だった。
妻と娘には本当に感謝している。
両親の状態が落ち着いていたことにも感謝したい。
友人たちにも感謝だ。
30年以上経っても、
こうして集まれる関係があることは、当たり前ではない。
GW初日。
大満足で家路についた。
もちろん、帰ればまた現実がある。
介護は続く。
父の状態を見る。
母の様子を見る。
家のこともある。
残りのGWは、おそらく介護と家のことで終わるだろう。
それでもいい。
昨日の数時間があっただけで、少し呼吸が戻った。
少しだけ、また頑張れる気がした。
リフレッシュとは、何もすべてを忘れることではないのだと思う。
家のことを気にしながらでもいい。
時折カメラを見ながらでもいい。
電話をしながらでもいい。
それでも、少しだけ外の空気を吸う。
昔の友人と笑う。
高田馬場の夜に身を置く。
その時間が、確かに自分を戻してくれる。
そんな一日だった。
また今日から平常運転である。
介護もある。
家のこともある。
身体も無理はできない。
だが、少しだけ英気は戻った。
だからまた、今日を回していこうと思う。

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