この状態の人しかわからない話
数日なんとなく気分が悪かった。普段はかなり「ごきげんさん」な私。
アホとも言う。
「ま〜だ『不足(ない)ゲーム』してるのかよ」って思った。
大前提として『私たちは無条件の愛の存在で、お互いに絶対的なサポートをし合っている』がある。
でも「まだちょっと疑ってるのね?」と。
「この期に及んで?」とも思う。「あとちょっと」なんでしょうねえ。
・・・
「○○がないから出来ない」は大変ポピュラーな言い訳で。
お金、時間、健康、愛情、容姿、学歴、年齢、経験、機会、なんでも入る。「ない」は汎用性高い。万能。
前に頭痛の話で「マッチポンプくさい」と書いたけど、私だと「頭痛い」「お金」「そんなに行きたくもないんだよな」とか。
それらの理由、気持ちは嘘ではない。だけど「本当?」とも思う。
自分の本音って、わからないし。
「本当にやりたい、行きたい、欲しい」だったらやってると思うし、やらない時は「どっちでもいいこと」なんだろう。
「最終的に選んだものが今の自分の正解という名の安全」なのだと思う。
でもね「オマエ、いつ本気出すんだよ」って思った。
「いつかとは思ってるけど、いつなの?」って。
・・・
「人生は選択の連続」って言葉、ボ〜ッと自分に通過させてたけど。
「自分で選べるよね? 一瞬一瞬自分で選んでるよね?」とやっと気付いた。
「気分の悪い時は気分の悪いことを考えている。気付いて(←ここ大事)
やめたらいいじゃん」って。
「気分が悪い=自分にとって真実ではない考え」だから。
「ない」って真実じゃないから「気分悪い」のよ。
だって「ある」んだもん。それが真実。
「ない」って、ただの言い訳じゃん。何十年もやって来た訳ですが。
気付いちゃったね? てか今まで何度も気付いて書いてるね?
これからも忘れて思い出して書きそうだけどね?
「ない」の気分の悪さに没入して「ない」考えに没頭しちゃって、脳の刺激にはなるもんだから「ひまつぶしに最適☆」で、慣れ親しんじゃってるもんだから「気付きにくくて」いい遊びだったな?
大昔に悩むのをやめた時も同じ理由だった。「刺激になるからだ!」って。
それから選択を迷うことはあっても、何かに悩むということはなくなった。
とはいえ不足感自体がなくなった訳ではないから「不足(ない)ゲーム」にすり替えてやってた模様。
「無条件の愛、絶対的サポート」を信じていなくて、一番嫌なのは大元の『自分を信じていない、疑っている』ってことだ。
「自分の価値」への不信感だね、きっと。
これは『存在しているだけでOK、クリアしている』ことなのだと思う。
でも、これって「みんなもそう」で「特別感ない」じゃない?
で、ここで私の「拗ね」が出て来る。ウケる!
可愛いわね、アンタ。
ちょっと、見てあげよう。ちゃんと見てあげよう。
拗ねてる「わたしちゃん」を。気持ちを聞いてあげよう。
今からやる!
