【怪異】エントロピー団地 #93 夏の図書室
今回は少し長めです。
「なんとかならないかなあ、先生」
「うーん」僕は腕を組みました。
僕は学生時代、ひろくんという小学生男子に勉強を教えるというバイトをしていました。
家庭教師というやつです。
で、その日の僕は、ひろくんから
「読書感想文が面倒くさいんだよねー先生。どうにかならない?」
という相談を受けました。
夏休みの宿題の1つだそうです。
よくわかります。僕も読書感想文はイヤでしたしね。
手抜きのズルもしました。
なので、教育的観点からは「自力で頑張れ」と言うべきだったのかもしれないけど、情としては困るひろくんを無下にもできません。
ひろくん(および同級生たち)に課せられたのは、
「昔のエライ人の伝記を読んで感想文を書きなさい。優秀作品はコンクールに出します」
というものでした。
なお、これはあとで聞いたのですが、ひろくんの学校の教頭先生は出版社の出身という、当時としては少々変わった経歴の人らしくて。
そのせいか「読書感想文コンクールで賞を取る」ことに前のめりだった模様。
言い換えれば、この宿題に手を抜くと、だいぶ叱られそうでした。
「なんかラクな方法ないかなあ、先生」
「しょうがないな」僕は組んでいた腕を解きました。「じゃあ、オレが小学校のときにやった作戦を教えるよ」
「やったー。どうやるの。なにするの」
▽
僕にズルを吹き込まれたひろくん。
だれの伝記にしようか、夏休み中の登校日に、学校の図書室へ物色しに行きました。
登校日だったこともあり、図書室にはちらほら、他の児童の姿があります。
じつは、ズルをするためには、ズルに適した本を見つける必要がありました。
どんな本でもいいというわけではなかったんです。
これはこれで面倒なことです。
条件にあう本を探すのは楽じゃないし。
それで見つかった本も、かならずしも読みたい本とは限りません。
その手間を思えば、ズルなんかせず、「自分で好きな本を読み、正攻法で感想文を書く」ほうがマシかもしれない。
でも、ひろくんはズルをするために頑張って本を選びました。
まじめに感想文を書く手間を嫌がるくせに、手抜きをするための努力は厭わなかったんですよね。
…で、ハッと気がつくと、テーブルに涎を垂らしていました。
「うわ、居眠りしちゃった…」
見回すと、図書室にはひろくんだけでした。
カウンター越しに、図書室担当のF先生がいます。
ほかの子どもたちは、帰ってしまったようでした。
ひろくんも帰ろうとし、借りることに決めた本を閉じます。
そのとき、急に思い出しました。
F先生に、あるウワサがあったことを。
▽
陽が傾きかけていて、窓の外が赤く染まり、図書室の中も薄暗くなってきます。
F先生がページをめくる音が、やけに大きく響きました。
いま、ひろくんはF先生と2人きりです。
F先生には、ウワサがありました。
「2人きりのときにF先生と目が合うと、助からない」
そんなウワサが子どもたちのあいだで囁かれていたのを、ひろくんは思い出したのです。
単なるウワサなのか、本当なのかはわかりません。
でも思い出した以上、F先生をビンビンに意識せざるをえない。
ひろくんは、気配を悟られないよう、本をそっとカバンに入れました。
そっと立ち上がり、そっと歩き出します。
緊張が全身を覆い、我ながら歩き方がぎこちない。
黙ってカウンターの前を通り過ぎようとした、そのときです。
「…きみ、貸出カード、出してないでしょ?」
心臓が口から出るかと思ったひろくん。
足が凍りつきます。
F先生の顔は、あいかわらず本に向けられていました。
「貸出カード、出して帰りなさい」
「あ…、は、はい」
目を合わせてはいけない。
ひろくんはカバンから本を取り出し、貸出カードを抜き取ると、カウンターの上に置きます。
貸出カードには、自分の名前、学年とクラス、そして今日の日付を書かなければいけません。
手が震えて、字がうまく書けませんでした。
それでもなんとか書き終えた。
うつむいたまま、カードを提出し、本とカバンを抱えて逃げるように図書室を出ました。
そこから先は、ダッシュです。
久しぶりに、怖い思いをしました。
▽
そんなことがありましたが、無事に、条件にあう本をみつけたひろくん。
借りたのは、幕末に活躍した勝海舟の伝記でした。
なぜその本を選んだかというと、ほかでもありません。
本の最後に、評論家みたいな人が立派なあとがき文を寄せていたからです。
本じたいは小学生むけに書かれたものですが、あとがきだけは、大人っぽくできていた。
そこがズルのポイントです。
つまり、僕がひろくんに教えた作戦は、
①「使えるあとがき」が備わった本を選ぶ
②それを見ながら感想文を書く
というもの。
ありていに言えば、「バレない程度にあとがき真似る」というやつで。
ところがです。
ひろくん、どうやらあとがきを丸写ししちゃったらしいんですよね。
評論家の文体そのまま。
案の定、休み明け早々に担任の先生に呼び出されました。
▽
職員室に呼び出されたひろくん。
「きみ、これ自分で書いたの?」
「はい、自分で書きました」
「どうやって書いたの?」
「えっと、右手でエンピツ持って…あ、ごめんなさい、シャーペンだった」
机をドン!と叩く音。「そんなこと聞いていません!」
「ひー」
…まあたしかに、ふつうの小学生が、
海舟は幕臣だったが、幕府という枠にとらわれない融通無碍な精神の持ち主でもあった。
そんな海舟だったからこそ、倒幕側の西郷隆盛と肝胆相照らす仲になれたのであろう
みたいな感想文を提出したら、思いっきり疑われますよね。
しかも、慣れない難しい漢字を下手くそに書き並べているところも、「見よう見まね感」丸出しです。
ひろくん、そのへんの機微や加減を理解していなかった。
というか、僕がちゃんと言い含めていなかったのが失敗でした。
しかしもう後には引けません。
「だから自分で書いたんだってば」言い張るひろくん。
「読んだ本を持ってきなさい。確認するから」
「どこにあるかわかりません」
机をドン!と叩く音。「じゃ、教頭先生に叱ってもらいます」
「ひー」
教頭先生のもとへしょっぴかれました。
▽
教頭先生から「ここに直りなさい」と言われたひろくん。
神妙な表情で座りました。
担任の先生も教頭先生の横に陣取り、正面からひろくんをにらんでいます。
ところが、教頭先生が垂れたのはこんな説教でした。
「いいかい、まず、こういうものには著作権があるんだよ。著作権には気をつけよう。それから、人様が書いたものを引用するときは、かならず引用元を明記すること。それはルールでもあるし、礼儀でもあるんだよ」
「は?」
あっけにとられたのは担任の先生です。
目を丸くして教頭先生に向き直ります。
教頭先生はすずしい顔で続けました。
「それから、引用の割合は全体の2割程度に抑えるのがコツだ」
「何のコツですか!」
思わずツッコむ担任。
「はい、わかりました」うなずくひろくん。
「アンタもなに納得してんのよ!」
担任の先生、めっちゃキレたそうです。
