残酷なことを言う 「強者の論理」は正しい

強者の論理


──結果で殴られる世界に立つ覚悟はあるか

「すごいですね」

最近、本当によく言われる。

獣医師で、畜産農家で、
現場仕事もして、医療もして、
雑用もルーティンも全部やって、
三人の子どもの母親もやっている。

その上で、
英語で牧場ツアーガイドをする夢を追って英語を勉強し、
スタッフの離職に悩んでコーチングを学び、プロのコーチになり、
無償で食育イベントを企画し、地域の子どもたちの出前授業をし、
課外授業の受け入れもして、
そのための資料を作って、準備して、調整して、
SNSも完璧じゃないなりに続けて、
「愛され和牛」の物語を絵本にしようとして、エッセイも書いている。

こうやって並べると、
たしかに「意識高い系の頑張ってる人」に見えるのかもしれない。

だから、だいたい次に来るのは、こういう言葉だ。

「どうやったら、そんなふうにできるんですか?」
「恭子さんだからできるんですよ」
「才能があるからですよ」
「容量がいいからですよ」

……違う。

はっきり言う。
そうやって“才能”とか“特別”という言葉に逃げた瞬間に、思考停止してる。


私たち和牛農家は、クリエーターだ。

何時間働いたかなんて、誰も評価しない。
どれだけ苦労したかも、どうでもいい。
評価されるのは、ただ一つ。

「何を生み出したか」

それだけだ。

どれだけベテランでも、
どれだけ過去に実績があっても、
その一頭がダメなら、評価はゼロ。

どれだけ頑張っても、
結果が出なければ、なかったことになる。

巨匠でも、作品がボツなら終わり。
情け容赦なく、切り捨てられる。

それが、この世界だ。


この世界では、
全身全霊を注ぎ込むのは「美徳」なんかじゃない。

参加資格だ。

それすら出せない人間は、
そもそも土俵に上がっていない。


そして、正直に言う。

同じ和牛農家、同じ現場の人間の中にも、
信じられないくらい“ぬるい”感覚で生きている人がいる。

決められた時間だけ働いて、
たいして考えもせず、
マニュアル通りに動いて、
「大きな失敗をしないこと」を最優先する。

常に安全地帯を探している。

はっきり言う。

そんなもの、この世界に存在しない。

あるのは、
「まだ死んでいないだけの場所」だけだ。


自分はクリエーターの土俵に立っているのに、
その自覚もなく、
「作業者」のつもりで生きている。

そして、何も生み出せないまま、
「環境が悪い」
「時代が悪い」
「条件が悪い」
と、外側のせいにする。

……冗談じゃない。

士気が下がるから、私は距離を置く。
一緒に沈む気はない。


「どうやったら、そうなれますか?」

この質問を聞くたびに、内心こう思っている。

方法論を聞いてる時点で、もう無理だ。

もがけ。
苦しめ。
打ちのめされろ。
できない自分を直視しろ。
それでもやれ。

それができない?

なら、
最初から来るな。

これは根性論じゃない。
選別の話だ。


クリエーターの世界は、
気の狂うような努力ができる0.001%の人間の世界だ。

外から見たら、
私は「自由に」「好きなことを」「楽しそうに」やっているように見えるだろう。

実際、楽しい。
最高に面白い。

でもそれは、
失敗と、自己否定と、責任と、孤独と、
全部引き受ける覚悟を、日常的に更新しているからだ。


強者の論理は、残酷だ。

でも、
この世界は最初から、そういう構造でできている。

努力した人が報われるんじゃない。
結果を出した人だけが、正義になる。

それだけだ。

—— 遠藤 恭子(獣医師/いただきますコンシェルジュ)

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