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ドラマ「クロスロード〜救命救急の約束〜」を見て

第1話で感じた、もう一つの視座 

「クロスロード〜救命救急の約束〜」の第1話をみて、昨日一つの記事をアップした。

しかし、まだ引きずっている。
昨日、第2話が放映されたのは知っている。
でも、まだ見られていない。

それくらい、第1話の中の、ある小さな一言が頭から離れずにいる。
救命医・春木遥(今田美桜さん)が、無茶を承知で手術を引き受ける場面があった。
踏み込んではいけないかもしれない、その一線の先へ迷わず踏み込んでいく。
結果、手術は成功する。

その直後、そばにいた誰かが、こう言った。
「結果オーライだ」

正直、最初は聞き流しそうになった。
成功した後の、ただのねぎらいの一言だと思ったからだ。
でも、引っかかった。
あの一言は、春木に向けられているようで、実は向けられていなかったんじゃないか。
あの状況で、自分は同じ判断ができたか——その問いへの答えを、当人の中でこっそり済ませるための言葉だったんじゃないか。

賞賛の形をしているのに、中身は自己防衛。
踏み込めなかった人間ほど、結果が出たあとになってから、軽い言葉でその場を締めくくりたがる。

でも、あれは「オーライ」の一言で片づけていい結果じゃなかったはずだ。
春木がその場で下したのは、運任せの判断ではない。
目の前の状況を見極め、自分にできることとリスクを一瞬で天秤にかけ、それでも踏み込むと決めた。
結果がついてきたのは、その判断と覚悟の積み重ねがあったからだ。
 
「結果オーライ」は、本来そういう言葉のはずだった。
運じゃない。
強い気持ちがあったから、たどり着いた結果だ、という意味の言葉だ。
それを、まるで偶然のように扱ってしまう軽さに、自分は引っかかっていたのだと思う。

25年、現場に立ってきた。
踏み込んだ判断をした人間の隣に、この手の一言を挟む人がいる場面は、何度も見てきた。
それが悪意だとは思わない。
むしろ、その人なりの精一杯の折り合いのつけ方なんだろうとも思う。
自分にはできなかったことを、目の前でやってのけた人がいる。
その事実を、まっすぐ受け止めるのは、案外しんどい。
だからこそ、軽い言葉で片づけたくなる気持ちも、わからないではない。

ただ、それでも思う。
結果オーライという一言で締めくくられた挑戦は、次第に、語られなくなっていく。
挑戦した本人の中でだけ、静かに積み重なっていく。

春木のような人間が、この先も踏み込み続けられる場所であってほしい。
そして、いつか自分がその隣に立ったときは、軽い言葉で片づけずにいたい。

第2話、そろそろ見ようと思う。
 
「結果オーライ」についての持論は、以前にも一度、正面から書いています。
関連記事:結果オーライという言葉に、私は納得していない 


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