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解題『両性具有神の恋』②:試し読み(1) エピグラフ・第一章冒頭部分

2026年4月下旬発売の長編小説、『両性具有神の恋』冒頭部分の試し読みです。2回に分けて掲載します。

*****

……私を絶えず必要とする人を見捨てるなど、考えられないことであった。というのも、私はこれまでこんな人と出会ったことがなかった。女性の中にさえ、いなかったのだ。彼ほどに、ひとりぼっちで世を彷徨さまようのに向かない人は。……

――ナサニエル・ホーソーン
未完作品の断片「旅の道連れ」より

  一

 長い間、私は自分をれる言葉の器を探し続けていた。自分が何者かを知るのが青少年期だとしたら、その問題に答えがないまま成人後を生きるのは、精神のどこかに針の進まぬ時計を抱えているようなものだ。
 発端は、思春期に入りかけたある日に伯父の家で、ヴィーナス像の写真を目にしたことだった。大判の写真集のページを繰っていって、そこで手が止まり、眺めている私に伯父が声をかけた。
じゅんも、そんな写真に興味を持つ年頃になったか」
 伯父の目元には笑みが宿り、声には、お前もこちら側に来る時が来たのだな、という含みがあった。甥の仕草に、男の欲望の芽生えを見て取ったのだろう。
「その写真の、どこがいちばん気になる」
 改めて、カラー写真に目を落とした。両腕の欠けた像だった。ゆるやかなS字の造形を顔から下へ順に辿っていって、この辺、と腹に指で楕円を描いた。ほう、と伯父は今度ははっきりと、笑いのこもった声を上げた。
「面白いことを教えてやろう。その腹は、男のものだと言われているんだよ。美の女神の像だが、身体のモデルは男で、そこに女の胸を付けたんだな。それでも大抵の人は、美女の像だと信じて疑わないんだから、不思議なもんだ」
 その時の、何とも居心地の悪い思いは忘れられない。伯父は、私が照れ隠しにヴィーナス像の腹を指したと思ったのだろう。本当は女神像の乳房や布に覆われた下腹、脚線の表現に興味を持っているのに、恥ずかしさから言えないのだと推測したに違いない。しかし、私は正直に答えていたのだった。ミロのヴィーナスのみぞおちからへそ周りの肉付き、優雅という以上に力強い造形を眺めた時、身体の奥底に生じた熱っぽい揺らぎに、性的な意味があるともまだ自覚できない頃だったが、女だけでなく、男の肉体にも惹かれる自分を認識した、初めての出来事だった。
 それがいわゆる普通ではないことを、私は成長するにつれて理解していった。普通であること、デフォルトであることには、特別な名前が付かない。今でこそ、異性にのみ性的関心を持つ大多数を指し、異性愛者という言葉が作られているが、当時は、少数派の方を指す同性愛者という言葉があるだけだった。そして、私はどちらの概念にもしっくりとはまらなかった。
 大学院生として渡った米国でbisexual という表現に出会った時は、これこそが私の探していた器ではないかと期待した。当時の日本では、私のような人間を指す言葉は国語辞典にすら見当たらなかったのだ。けれども、異端とまなざされる者を表す言葉にさえ、用法の一般的範囲、典型のイメージがあって、私がそこから外れているのはじきにわかった。ごく近年に語義が拡張されるまで、この言葉は二元論に固定された性の概念に基づくものだった。すなわち、異性と同性の両方に性的関心を持つ主体は、男性もしくは女性とされ、そのあわいに立つ者は想定されていなかった。二つの性の区切りに問い直す余地はなく、用法に含意された確固たる前提は、私をそこから弾いた。それでも私は、自分の一側面を表す用語として、バイセクシュアル――両性愛者という言葉にとりあえず寄りかかり、自己理解のよすがとするほかはなかった。
 教育者の多い血縁一族の中で、前述の異端性に加え、私は長子ではない子どもが抱きがちな反骨心とともに、いささかの軽薄さをも持ち合わせていた。折しも、アメリカの大衆文化が日本の社会、特に私と同年代を含む若い世代に圧倒的な影響力を及ぼしていた時代で、私もまたそうした流行のただ中に青春時代の身を置いていた。米国発の映画や音楽、演劇、小説といった文化の産物に、身近な大人たちは冷淡だったが、私は周囲の若者同様、それらに傾倒していった。アメリカ文化は友人たちと私をつなぐ共通の関心を提供してくれる一方で、ひそかな反逆の願望をも満たしてくれた。長じて大学教員を目指す道に入り、表面上は一族の慣例の範疇に収まることができたのも、アメリカ文学の専門に進んだからこそだった。そこに私は、親や年長の親族たちの期待と、黒い羊としての自分の妥協点を見出したのだった。
 同世代の間ではごくありふれた趣味の持ち主として、また教養や良識の守護者をもって任じる一族の一員として、私は世間向けの姿を作ってきたわけだが、綴り合わせた外面の下に隠した寄る辺なさの匂いを鋭く嗅ぎつけて、近寄ってくる人間も時にはいた。率直に言えば、付け込まれたのだ。肉欲と恋愛に境界線を引くのは難しいが、もしも若い頃の私に一言警告できるとしたら、相手の目的がその二つのどちらに寄っているのか、よく目を開いて確かめるように言うだろう。助言を聞く耳があるかどうかは、また別の問題だが。
 如月きさらぎりょうと二度目に出会った時、私は自分のことを、すでに安全圏に退いた身と捉えていた。不慮の事態に断ち切られたとはいえ、それなりに長い年月、人並に家庭を築いた男として暮らした後だ。大学という舞台の上で、彼と私、それぞれが担った役回りを適切に演じていさえすれば、時に役柄を踏み越える一瞬があったとしても、それは人間的交歓の思い出にとどまったはずだった。
 信頼する同僚であり、友人でもある女性に、――最後に真剣な恋をしたのはいつ、――と問いかけた時、だから私は彼女にというより、自分に尋ねていたのかもしれない。愕然とした彼女の視線の先で、予感の成就のような思いもあった。彼はその名の通り、私が時間の彼方に放逐し、記憶の底に深く沈めたわだかまりを、あかあかと照らし出すかがり火だった。彼との再会は、目をそむけ、隠し、忘れようとしながら手放せずにいたものを、私に突きつけずにはいなかった。試練と幸福とが、あれほどまでにわかちがたく絡み合っていた季節はなかった。彼の存在ゆえに、私は愚か者のそしりに甘んじ、争いに踏み込んで、みずから罪人つみびとのさらし台に上ることさえいとわなかったのだ。


 最初のしらせは、文学部の廊下で待っていた。
 翌週に秋学期の開始を控えたその日、私は会議を終え、大学本部の建物から出た。秋分を過ぎ、陽の光や朝夕の気温には爽やかさが感じられるようになっていた。理工系学部の会議参加者とは逆方向に分かれ、文系学部の教員たちと歩いて研究室へ戻る途中、若い女性教員が話しかけてきた。
朝永ともなが先生。さっきは、すごく学生に寄り添った意見を出されましたね。いつも冷静でいらっしゃるのに、今日は言葉に熱がこもっていて、驚きました」
「そうでしたか?」
 私は狼狽を押し隠した。会議の場でやや強い口調になった自覚はあったが、指摘されるほどとは思わなかったのだ。
「毎度、会議には真剣に臨んでいるつもりですが、今回のケースはひどかったですから、そのせいでしょうね。場にふさわしくない言動でしたら、お詫びします」
「いえいえ、そんな意味じゃないです。わたし、この委員会に入って四年になりますけど、こういうケースであれだけしっかり女性被害者の側に立ってくださる男の先生って、少ないんですよ。感動しました」
 朗らかな笑顔に向かって、ぎこちなく頭を下げた。彼女が教育学部の建物に入るところで別れ、隣接する文学部の玄関をくぐる。冷や汗の浮いた額を手で拭った。
 二〇〇九年、教授になって三年目のことだった。勤務校では、各学部に学生からの相談ごとを受け付ける教員を置く仕組みがあり、私も文学部でその役目を担っていた。時に、相談にはいわゆるアカデミック・ハラスメントを疑わせる事案があり、相談に来た学生の希望によっては、調査と対応の検討が行われる。今日の議題は、ある学部の男性教授が、中国人留学生の女性に性的ハラスメントを働いたとされるケースだった。会議出席者は、問題となる行為があったのは間違いないという判断で一致したのにもかかわらず、男性教員の一部は、くだんの教授が非常に反省しているというのを理由に甘い対応に持っていこうとしていた。女性の方にも、教授との交際から利益を得ようとした形跡が認められるからともいうのだった。私は断固反対した。力関係に圧倒的な差があるのに、両者に同等の責任を求めるのはナンセンスだと主張した。論理的な議論をしたつもりだが、奥底の感情が外に洩れ出ていたのだろう。教育学部の教員は好意的に受け取ってくれたが、長年自分に課してきた職業倫理からすると、失態といえた。しかも、その感情がどこから出てきたものか思い当たるだけに、いたたまれなかった。
 ――やめよう。――
 頭を振って思考の連鎖を断ち切った。ハラスメント案件の処理にあたる教員には守秘義務が課されている。結論が出た後は、すべて忘れた方がいい。
 文学部の中央階段を二階へ上っていくと、廊下に同僚の樋口ひぐち眞佐美まさみ教授がいた。学期中でも滅多に見ない紺のスカートスーツ姿で、小脇に書類ファイルを抱え、個人研究室のドアを開けようとしている。私の足音に気づいて振り向いた。
「あら、朝永さん。ちょうどよかった。この後、空いてる時間はある?」
「今から空きだけど、何だい」
「少し話があるの。お時間もらえるなら、寄ってくれるかしら」
 うなずいて、研究室に招き入れられた。彼女が荷物を置く間に、いくつかある椅子の一つを引いて腰を下ろす。
「樋口さんも、会議だったの?」
「そう。外国語科目責任者会議。こんな学期前の時期にやらないでほしいんだけど、議長が来週、不在だからって。朝永さんも?」
「あれだよ。学生相談委員会の……」
「ああ、ハラスメント関係。それじゃ、仕方ないわね。延ばせないものね」
 いつもながらよく整理された研究室だ。少人数のゼミならここでできるように、中央に長机を据え、周囲に折り畳み椅子を配して、奥に仕事用のデスクとパソコンを置いている。視線の先の書棚に、シルヴィア・プラスやケイト・ショパンの原書、エドワード・サイードのオリエンタリズム論、ジュディス・バトラーのジェンダー論などが並んでいるのを眺めるうち、樋口さんの豊かな身体が視界に入ってきた。私と向かい合わせの席に腰かけながら、彼女は切り出した。
「実はね、今日の会議で出た件なの」
 口ぶりから、私には嬉しくない話だろうと予感した。

(次回に続く)

シリーズ第10回までの目次は以下にあります。2026年5月1日まで、週1回、金曜日の20:30に順次公開します。
https://note.com/eiko_mt/n/n40f2d6418db1

******(以下各回共通)*****

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