解題『両性具有神の恋』④:大学キャンパスの構造に、二人の距離感を重ねて
2026年4月下旬発売の長編小説、『両性具有神の恋』を解説するエッセイシリーズです。
******
小説『両性具有神の恋』にはいくつかのテーマが込められていますが、その一つが「越境」です。二人の主要登場人物がそれぞれ所属する世界は、物理的・社会的・心理的に分かれていますが、その二人の関係性と重なり合うように、舞台の構造を設定しました。
本作にはメインパートと回想パートがあり、メインパートの主な舞台は東京都内の架空の大学キャンパスです。物語の語り手は文学部英米文学科の教授、朝永惇也。朝永と、彼の一般教養英語授業のTA(ティーチング・アシスタント、授業補助)、如月燎との関係を軸に物語は展開します。
如月は大学院修士課程の1年生。所属は工学研究科の電子工学専攻で、朝永とは全く違うフィールドの人間です。物語の初めでは、朝永にとって工学部・工学研究科周りの人々は、文学や語学教育には理解のない人々として認識されています。小説ではこの心理的距離を、キャンパスの地理的特徴と重ねる形で表現しています。
以下は、朝永がキャンパスについて語る部分です。
この私の母校は、今は職場でもあるが、大学の郊外移転が流行った時期にも、東京二十三区内に留まることを選んだ。私が学生だった頃と比べると、キャンパス内は新しく造られた施設群のせいで建物の密度が高くなり、狭く感じるようになった。それでも、キャンパス中央近くの池の周囲や、敷地を貫く道沿いには、樹木やささやかな自然の名残がよく保存されていた。
キャンパスの片側には教養部教室の建物があり、一年生の授業はほとんどここで行われる。文学部はそのすぐ隣にある。徒歩で二、三分の範囲には、法学、経済、教育の各学部がある。工学部と理学部の建物は、キャンパスの反対側に固まっている。
文系側と理系側の敷地にはそれぞれ、図書館、学食、購買などが揃っているので、通常、間を行き来する必要はない。居場所の違う者同士が交流する機会も限られている。学生時代と、ここで働き始めて以来の年月を足すと、私は三十年以上もこのキャンパスに通ってきた計算になるが、工学と理学の敷地は見知らぬ領域のままだった。如月は、その未知の土地に属する人々の中で、定期的に顔を合わせる唯一の存在だった。この頃には、授業で会うのが楽しみになっていた。
上記の描写に加え、物語の後半では、朝永が同僚と一緒に構内のスターバックスでコーヒーを買うシーンがあります。筆者の知る限り、これらの条件を満たす大学は実在しないようです。
筆者は学生、教員、非常勤講師、また学会などでの訪問者の立場で、各地のさまざまな大学キャンパスを見る機会がありましたが、やはり長く過ごした場所の情景が強く記憶に残っています。具体的には、北大札幌キャンパス、東大駒場・本郷の両キャンパス、シカゴ大学のキャンパスです。これらはすべて、一つのキャンパスの中に文系・理系の建物と池を備えています。小説のストーリーとテーマを考えた時、自分の大学キャンパス体験から自然に浮かんできたのが、上記の舞台設定でした。
キャンパスの両側に分かれた文系の敷地と理系の敷地の中間には大学本部の建物があり、両方の教員が出席する会議はここで行われることになっています。物語の冒頭では、学内で発生したハラスメント事案の処理のため、各学部の学生相談委員が集まって協議するエピソードがあります。
小説中で言及していない設定もあります。物語のラストで文学部は百周年を迎えるのですが、文系学部の中でも歴史の古い文学部・法学部に対し、経済学部と教育学部は戦後の新興学部です。理学部と工学部はもともと別の理工系の専門学校もしくは短大だったのを吸収合併したので、学内の力関係としてはかつては文系の方が強かったのに、時流の変化から逆転しつつあるというのが小説中の現在です。
この状況下、外国語教育の方針に批判的な工学部は、朝永には「天敵」と認識されていますが、彼は「理系」をひとかたまりとしては見ていません。同僚の仏語教師の主張に対し、朝永は訂正を加えます。
「先週の学部長会議の話、聞きました? 工学部が、第二外国語の必修を廃止して、選択制にしたいと言い出したそうですよ。そうなったら、工学部生の九割は喜んで履修をやめるでしょうね。理系の連中は本当に教養ってものを知らないですから」
「柳井さん、訂正して悪いけど、理系といっても自然科学系と工学系は、別の種族と言っていいくらい違う。一緒くたには語れないよ」
これも小説中では詳しく説明していませんが、朝永の息子は京都で物理学を学ぶ大学生です。息子を経由して、自然科学系については、一定の相互理解が可能と感じているようです。
如月は工学系の大学院生ですが、外国語が得意で小説も読む学生です。朝永がほとんど足を踏み入れてこなかった領域からやって来たこの青年が、朝永の閉じこもった世界に風穴を開けていくことになります。
余談ですが、共同文化社の編集者さんから質問がありました。第一章で、朝永の研究室に電話をかけてきた如月が、「今、先生の建物の近くにいるんで、すぐ行けますよ」と言うくだりがあります。TA業務の打ち合わせに来る場面ですが、工学研究科の彼がなぜ文系側のキャンパスにいたのか、というのが編集者さんの疑問です。特に理由を設定してはいなかったのですが、後から如月の行動パターンを考えてみると、文系側の購買書籍部にでもいたのだろうと思い当たりました。彼はSF小説を読む趣味があるため(これも本編中には言及なし)、品揃えが良い方の書籍部を見に来ていたのかもしれません。
*****
次回のトピック:「ジェンダー・フルイド」「バイジェンダー」「バイセクシュアル」―語り手が探す「自分を容れる言葉の器」
シリーズ第10回までの目次は以下にあります。2026年5月1日まで、週1回、金曜日の20:30に順次公開します。
https://note.com/eiko_mt/n/n40f2d6418db1
*****(以下各回共通)******
本書は限定少部数です。発売後はAmazon ・共同文化社サイトのほか、一般書店でも注文によりご購入いただけます。
発売に関する最新状況はnoteのほか、XとBlueskyのアカウントからお知らせします。よろしければフォローお願いします。
共同文化社トップ 株式会社 共同文化社
販売ページ 両性具有神の恋 | 株式会社 共同文化社
Amazon 両性具有神の恋 | 土田 映子 |本 | 通販 | Amazon
Xアカウント:@AsagiShiori_2
Blueskyアカウント:@saxeblue2024.bsky.social
