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ガレよふたたび @サントリー美術館 Vol.1

 予告通り六本木のサントリー美術館にやってきた。
この日は、20度超えの初夏に近い春まっただ中という陽気だった。

前回、箱根ポーラ美術館ではガレの作品は7点のみであったが、自然豊かな環境の中、ゆったりと鑑賞できた。

まだの方、一度見られた方も再度、こちらをご覧ください。
北斎を中心とするジャポニズムの影響や作風などについても少しだけ考察しています。

🔷シャルル・マルタン・エミール・ガレ(仏: Charles Martin Émile Gallé、1846年5月4日 -1904年9月23日 )人となりについては、☝️アンダーバーをクリックください。




 今回は、エミール・ガレ単独での生誕120年記念の企画展である。
書簡なども含めなんと110もの作品が観れるまたとない機会。
チケットはネットで購入し、空いているであろう午後3時をターゲットに向かう予定だったが、東京ミッドタウンも初めてだったので、ウィンドーショッピングもしてから行こうと12時到着を目指した。

到着し、まずは展覧会場に向かいフロントで空き具合などを確認。
すると、たった今、中学生の団体が帰ったばかりなので、今から14時くらいまでが比較的空いているとの説明を受け、即刻入場することとした。


🔴没後120年 エミール・ガレ:憧憬のパリ

入口付近の大型パネルを撮影


構成は、下記の通り。

🔸プロローグ 1867年はじめてのパリ万博、若かりしガレの面影
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🔷第1章 ガレの国際デビュー、1878年パリ万博から1884年第8回装飾美術中央連合展へ

🔸コラム1 パリの代理店エスカリエ・ド・クリスタル
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🔷第2章 1889年パリ万博、輝かしき名声

🔸コラム2 パリ・サロンとの交流
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🔷第3章 1900年、世紀のパリ万博

🔸エピローグ 栄光の彼方に

全作品撮影可ですが、気になった作品をチョイスし掲載致しました。
今回の前編では、第1章までをお届けします。


🔸プロローグ 1867年はじめてのパリ万博、若かりしガレの面影

 磁器装飾職人であったエミール・ガレの父シャルル(1818–1902)は、結婚を機に拠点をナンシーに置き、妻の実家が営んでいたクリスタル製品と磁器を扱う店を継承しました。
シャルルはパリでの販売に注力し、1854年頃からパリに受託代理人を立て自社製品の普及に努め、1866年には「皇帝陛下御用商人」の肩書を得ます。
1867年のパリ万博では、クリスタルガラス、高級ガラス、ステンドグラス部門で選外佳作賞を受賞しました。
一方、1864年から家業のなかでも陶器デザインを手伝うようになったエミール・ガレ(以下、ガレ)は、1867年のパリ万博で父を手伝い、半年間パリに滞在しました。
ここでは、本展の導入として、若かりしガレの原点とも言える作品をご紹介します。

出典:ホームページより引用


ガレは、1946年生まれだから、20歳そこそこの若き駆け出しの頃の作品。
なんとなく、初々しい。


🔷第1章 ガレの国際デビュー、1878年パリ万博から1884年第8回装飾美術中央連合展へ

1877年に家業を引き継いだガレにとって、1878年のパリ万博は経営面・制作面で初めて指揮をとった国際デビューの機会となりました。
バカラやサン・ルイなどの大手メーカーも出品した同万博の第19クラス(クリスタルガラス、ガラス、ステンドグラス)でガレは銅賞を受賞し、世界の大舞台で順調なスタートを切ります。
本万博でガレは、ジャポニスム・ブームを反映した日本的なモチーフをあしらった作品や、淡い水色の「月光色ガラス」を発表しています。
続いてガレは、1884年にパリで開催された第8回装飾美術中央連合展に参加します。
ガレは同展の審査員宛てに出品作品の解説書を準備しました。
本展に向け、いかにガラスと陶器の製法や装飾法について研鑽を積み、刷新したかを記したこの解説書には、未来への意欲と活気に満ちたガレの姿が表れています。
本章では、パリに迎えられた初期のガレの様子をご紹介します。

出典:ホームページより引用



魚籃観世音ぎょらんかんぜおん
出典:北斎館HPよりお借りしました。


なるほど、ガレはパリ万博出品という大舞台に向けて題材を探していた最中、北斎漫画からインスパイヤ―されてこの作品を創り上げたんだね。
まるで水中を泳ぐかの如く生き生きとした鯉の躍動感。
和のこころを感じさせますが、観世音を描かなかったのは何故か?という疑問が残りました。



ヴィクトル・プルーヴェ 👈詳しくはこちら。





コロシントは、スイカに似たソフトボール大の球形との記述がどのサイトを見ても散見されるが、ガレの作品では瓢箪型となっている。
同じようにドーム兄弟の作品でも瓢箪型となっていて、改良されて丸くなってしまったのか?理由は不明である。
因みに毒性もあり食用に適さないとの記述もあり、下剤として使われていたようである。






ガレやドーム兄弟が切磋琢磨して技巧を磨いていたフランス北部の地方都市ナンシーには、日本美術や工芸に造詣が深いゴンクール兄弟がいた。
この作品あたりもその影響を受けたのではないだろうか?


🔸コラム1 パリの代理店エスカリエ・ド・クリスタル

 ガレ父子はナンシーに拠点を置きながら、パリでの販売促進に注力しました。パリの代理人に販売を委託する父シャルルのスタイルをガレも引き継ぎ、1879年にマルスラン・デグペルス(1844–1896)が公式にガレ商会の受託代理人となり、その死後は息子アルベール(1873–1966)が継承しました。
パリにショールームを構える一方で、高級小売店に販売を任せる場合もありました。
美術工芸品店エスカリエ・ド・クリスタルはそうした取引店のひとつです。
ここではガレ作品のなかでも、エスカリエ・ド・クリスタルに販売権を許したモデルを取り上げます。

出典:ホームページより引用


産業革命後のベルエポック(よき時代)にあって、戦いの神アテナは夜、ふくろうと共に眠っているというさまを表したかったのだろうか?






ガレ商会の受託代理人である
デグペルス父子宛の
ガレ自筆書簡
残念ながら文書内容は不詳。




今回はここまでです。
次回、Vol.2は第2章からご覧いただきたいと思います。


to be continued !






#エミール・ガレ #ジャポニズム #サントリー美術館
#北斎 #美術館巡り #賑やかし帯



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