ガレよふたたび @サントリー美術館 Vol.2
続きとなります。
Vol.1はこちら。
🔴没後120年 エミール・ガレ:憧憬のパリ


🔷第2章1889年パリ万博、輝かしき名声
快調な滑り出しを果たしたガレが、真の意味で輝かしい成功を収めたのは1889年のパリ万博でした。
ガラスに対する科学的な研究を重ね、新たな素材と技法を開発し、およそガラス作品300点、陶器200点、家具17点という膨大な出品作品と2つのパヴィリオンを準備したガレは、ガラス部門でグランプリ、陶器部門で金賞、1886年に着手したばかりの家具部門でも銀賞を獲得し、大成功を収めました。
なかでも本万博で発表した黒色ガラスを活用した作品群では、悲しみや生と死、闇、仄暗さなどを表現し、独自の世界の展開に成功しています。
ガレの作品に物語性や精神性が色濃く表れるのも、1889年パリ万博での特徴と言えましょう。
この実績によって、翌年、ガレは国立(国民)美術協会の会員に認められ、パリで開催される国立美術協会の年次展に出品するチャンスを手にしました。本章では、1889年パリ万博でのガレの画期的な成果を中心にご覧いただきます。
40歳を超えて、ここからが円熟期。
黒色ガラスを使用するなど、色調にも重みのある渋い色合いが増えてきています。


なるほど!
一風変わった作風と思ったら
イスラムの影響受けた作品なのだ。










意味深な作品である。
自身の心情を表したとしたらメジャーデビューして、周囲の雑音とかが気になりだしたのだろうか?
個人的には、このブルーの色合いに凄く惹かれる。



この作品にも日本人的な「もののあわれ」が表現されている。



※注釈 出典:wikipediaより
コウホネ、オモダカ、ガマ
エングレーヴィング













※ヴェロニカ(クワガタソウ属)👈出典:wikipediaより


1889、1895年
所蔵:サントリー美術館



🔸コラム2 パリ・サロンとの交流
1889年のパリ万博での名声を契機に、ガレの交流はパリの社交界へ広がりました。
特に同万博において、パリ・サロンの中心人物ロベール・ド・モンテスキウ=フザンサック伯爵(1855–1921)と出会ったことで、芸術文化や社会に影響力のある面々との関係が築かれていったのです。
こうしたネットワークの広がりは、ガレ自身をパリの名士へと後押しする一方、世紀転換期のフランス世論を揺るがした「ドレフュス事件」といった社会問題においても、ガレに想像以上の責任を課すことになりました。
ここでは、ガレとパリの社交界との繋がりを示す作品をご紹介します。






Vol.3の第3章に登場します。
※おだまき 👈出典:NHK出版より引用










はい、楽しんでいただけましたでしょうか?
今回はここまでです。
次回、最終版Vol.3は、晩年の傑作が揃う第3章をご覧いただきたいと思います。

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