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【姉の無念死】【子の人権】あなたの愛が、なかったことになりませんように

〈親権問題と同時に、親権以前の問題についても考えていただけたらと願い書いています。離婚や親権の話にすら行きつけず、最愛の子に会えないまま人生を終えた親の話です〉

※数字や名前は架空のものが混在していますが、ほぼ実話です

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 私には、ずっと不思議なことがある。
 ふたつある。

 ひとつは、「会いたい」と思うことは罪なのか、ということ。

 ーー親子の話です。

 私の姉は数年前、小学生の一人娘と引き離されて、会えないまま45歳で亡くなりました。

 「会いたい」と面会交流の調停を申し立て、子どもへの愛情を何度も伝えたけれど、「嫌がらせでしょ」「なんでしつこくするの」と子ども自身から拒否された。これは実際に、家庭裁判所の調査官に対して子ども本人が語った言葉です。

 (事の起こりの詳細はこちらから【前編】↓↓↓)

 「ただ、会いたい」というシンプルな想いが伝わっていなかったことは衝撃でした。愛情ある親って、本当にそれだけなのに。

 「周囲からの適切なサポートが受けられていない状態にある」と裁判官が指摘してくれたけれど、姉の子どもは最後まで「会いたくないし、迷惑」と発言し続けた。

 「放っておいてくれ」「子どもはこのままで大丈夫」と夫からも言われ続けた姉は、会いたいと思うことは罪なのか・・・と苦しみました。

 
 子どもはなにも悪くありません
 正しい情報が伝わっていない状況で発せられた「本人の意思」は、そもそも尊重するしない以前の問題です。

 子どもには知る権利があったはず・・・と今でも思います。ちゃんと話せばわかる年齢でした。

 それで姉 ーひとりの親ー の愛情は、「なかったこと」になりました。
 子どもにとって母親は「いなかった人」になりました。 
 
 無念です。

(裁判所の判断と母子断絶の顛末はこちらから【後編】↓↓↓)

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 そして、不思議に思っているもうひとつは、「なかったこと」にされたのは子どもの愛も同じじゃないのか・・・ということ。

 なぜもっと、このことに目が向けられないのでしょう?

 夫婦が争う時、大人は互いの主張には言葉を尽くしますが、「子ども自身が抱いている愛情」についてや、それを奪うことについて「その後の人生に関わる重要事」と考える人は、あまり多くありません。

 姉の子どもは昔よく「ママ大好き!」と姉に抱き着いていました。
 私は何度も見ていた。
 懐かしい思い出です。

 姉の子どもは、「今思えば一緒に暮らしてる時『早くしなさい!』と怒られたりしたことがイヤだった・・・」と調査官に話していたけれど、それ以上は? 何かひどいことをされた? と聞くと特にない。

 姉は虐待も育児放棄もしていませんでした。

 完璧な親はいない。
 反省すべき点はあったとしても、大抵はみんな一生懸命育てています。

 死ぬまで引き離されるような、そんな罪は冒していないんです。
 
 「子どもは母親に対し同居時は親子としての自然な情愛を抱いていた」と、調査官も報告書に書いてくれました。

 
 その通りだと思います。
 だって子ども本人が語っていますから。
 「一緒に暮らしていた時はママのことが好きだった
 「離れて暮らすようになってからイヤになった」

 おかしいですよね。

 起こった出来事を時系列で整理すれば、大人には簡単です。

 自分の意思として言葉は発するけれど、その言葉の矛盾に本人が気づかない・・・逆にまだ、そのくらいの年齢でした。

 こういう子は、ほかにもいるのではないでしょうか。

 「裁判を起こしたことがイヤ」と繰り返し話していましたが(調停なんですけどね・・・)、理不尽に子どもと引き離されたから、藁にもすがる思いで調停を申し立てたのに、それが原因で「ママのことイヤになった」と子どもは言っている
 
 姉にしたら本末転倒で、どんな事情があったかまったく伝わっていないんです。

 ーーこれが中高生ならまた違った結果になったことでしょう。

 
 片方の親と引き離される子どもは、幼い場合、自分の状況を客観的に判断することができません
 あるいは、同居親によかれと思う言動を本能的にとっている。

 だからどんなに丁寧に聞き取りをしても「自分は今理不尽な状況におかれています」とは答えない――これがこの問題の大きな特徴だと思います。

 大人にいろいろ事情や心情があるのはわかる。
 けれど、子どもが持つ、親への愛を奪うのは残酷なことだと思います。

 片方の親に対して子どもが抱いていた愛情は、大人の都合で簡単に「なかったもの」にされてしまうことがあるんです。

 誰かを愛する気持ちは自分そのものだから、奪うのではなく、まず認めてあげてほしい。その上でどうするか考えることができたらと思います。

 
 ーーいずれ子どもは、離れていた親に会いたいと願うようになるかもしれません。

 もし会えたとしたら、素晴らしい親じゃなかったとしても、それは自分で判断するでしょう。

 「もしかしたら自分には、両方の親から愛情を受ける〝権利〟があったのかもしれない・・・」と気づいた時には、子ども時代はすっかり終わっているかもしれません。


 それでも会えればまだ救いがあるけれど、事情が変わってもう会えなくなっていることもあるでしょう。取り返しのつかない事態になったらもう、淋しいなんてものじゃない。

(当たり前ですが子どもが自分自身の経験から片方の親を嫌っている、強く拒否している場合、虐待やネグレクト等をしている親の場合はまったくの別問題です。そういう親にも「絶対会わせるべき」とは考えていません)

 ――夫婦が不和になってしまったら、きちんと子どもに話してあげてほしいと思います。 

 もし仮に、私自身がそうなったとしても、子どもの「愛を奪われない権利」を守ってあげたい。

 それはきっと夫婦にとっても怒りや憎しみを増幅させない解決法に繋がると思うから。

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 大人の都合によって環境が変わる時、子どもには最低限、次の2つの権利があると考えます。それは

「年齢や状況に応じて、できる限り正しい情報を聞かされる権利(周囲の大人の真摯な態度と共に)」

「片方の親から、片方の親の悪意ある情報(悪口)を聞かされない権利」

 ーーどうか子どもに、「子どもが愛する人」の悪口を聞かせないでください。

 愛する人から愛する人の悪口を聞かされるのは、傷つきます。


 子ども自身も、それを拒否できる世の中になってくれたらと願います。
 それを拒否してもいい、という認識、概念が広がることを願います。

 誰にも壊れてほしくありません。
 
 大人もそうですが、子どもの愛が失われていくのを見るのは辛い

 そうならないために私達には、きっとできることがあるはずです。難しい問題だとしても、私は考えることをやめたくない。

 どうかあなたの愛が、なかったことになりませんように。

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最後まで読んでくださってありがとうございます
いた人は、いなかったことにはできない


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長期休暇では、子どもに会えず寂しさがいっそう募る方が多いと思います。姉も子ども用に可愛くデコったお正月料理を作って撮影していました。せめて写真を見せたいと言いながら。料理は私の子ども達が頂きましたが、辛い思い出です。もしあなたが会いたい人に会えない状況であるなら、どうかこの先少しでも心が温かくなることが増えるよう祈っています(写真はイメージ)


・辛い話ですが、亡くなった当日のことを書いています。忘れないために…↓↓↓


・姉が受けた「あり得ないかたちの余命宣告」について…こんな事情も子ども本人に伝わっていないと思うと辛い↓↓↓


・ある日突然子どもを配偶者に連れて行かれたら、当事者がどんな困難に直面するか具体的に書いています↓↓↓


・友人のエピソードから、子どもの愛する気持ちについて書いています↓↓↓


・改めまして【自己紹介】2025です↓↓↓



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涼原永美│子と本を繋げたい*ミステリ&映画好き 読んでくださりありがとうございます✨よろしければスキ、フォロー等を頂けるとさらに嬉しいです🌸チップを頂いた際には主に読書活動にあて、見聞を広げて良い記事に繋げたいと思います📚