【姉の無念死】【子の人権】あり得ない余命宣告を受けた姉はそして、ひとりでその街へ旅立った
こんな思い誰にもしてほしくない。
あれからずっと考えています。
親子問題や子どもの心の問題について少しでも興味のある方がいたら、一緒に考えていただきたいのです。
なかったことにされた「2つの愛」について――。
はじめに
私の姉は数年前、闘病中に小学生の1人娘と引き離され、会えないまま45歳で亡くなりました。
命を削り、ただ「会いたい」と申し立てた面会交流調停は、「嫌がらせでしょ」「ママは私を愛してない」と子ども自身から拒否された。間違った情報が伝わっている――この時ほど子どもの「知る権利」について考えたことはありません。
子どもの意思はもちろん重要。ですが正しい情報が伝わっていない条件下での発言であるならば、より慎重に注視すべきではないでしょうか。
姉の場合はようやく裁判所から「子の発言は自己の体験に基づいていないものもある」「すべての状況を鑑みて、このままでは子が不幸」「面会交流の早期実現を」と審判がくだった時には手遅れでした。
何もかも遅すぎた。
――数年前この国の片隅で感じた問題点とともに、姉が懸命に生きた記録を今後、細かいエピソードに分けて残していきます。
涙を目の前にしながら無力だった私の――これは後悔の記録です。
・起こった出来事の全体像はこちらから↓↓↓
(ここに入れられなかったエピソードを順番に書いていきます)
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ー今回のエピソードー
あり得ない余命宣告を受けた姉はそして、ひとりでその街へ旅立った
※数字や名前には架空のものが含まれますが、ほぼ実話です
※姉の名を皆川梨花子、私(妹)の名を進藤沙世子としています
※命に関わる辛い内容ですので、テーマに興味のある方のみお願いします
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「私の余命を知りたいんだって」
あれは2016(平成28)年の大晦日。
子どもたちを連れてS市の実家に帰った私に、姉が小声で言った。
「沙世子、あっちの部屋でちょっといい?」
この時実家に身を寄せていた姉だったが、両親とは折り合いが悪かった。
というより姉が一方的に親を嫌っていた。「すみれと引き離された時に父も母も私の味方をしてくれなかった」のがその理由。
両親の言い分はともかく、だから姉は調停のことも病状のこともほとんど親に伝えていない。
話したいことが溜まっていたのだろう。
「実は、私の余命を知りたいんだって」
「・・・は⁉ 何それ」
再発したことも伝えてるのに
「少し前に調停で秀俊さんが言ってたでしょう。『梨花子さんの現在の病状をもっと詳しく教えてほしい』って」
秀俊さんとは私の義兄ー姉の夫だ。妻が調停を申し立てたことに強烈な不満を示し、「娘が会いたがらない」との主張を続けてきた。
調停では基本的に夫婦が顔を合わせることはないが、その日相手方で話し合われた内容は弁護士を通して姉に伝わるようになっている。
確かに数カ月前からそんな話が出ていたらしい。
「でも再発したことも、抗がん剤続けてることも私は伝えてるんだよ。お医者さんに用意してもらった画像も提出してるのに、これ以上何を知りたいんだって話だよね。だから、いよいよ余命を知りたいんだな~と思って」
「いやちょっと待って・・・」
「妻の余命が短いなら娘と会わせます」
まるで他人事のように淡々と話す姉だったが、実際に病状は深刻だった。
本人の言う通り、2年前にステージ4の食道ガンを宣告された後、入院・手術を経て退院したものの、再発して抗がん剤治療をしているのが現状。
日常的な痛みもあり、それが何を意味するのかは素人でも想像がつく。
しかも姉はそんな体をおして、飛行機でM市(夫と娘が住む街) へ定期的に出向き、調停に出席し、日々弁護士とやりとりをしながら、さらには「すみれのためにお金貯めなきゃ」と派遣の仕事も続けていた。
(仕事はどんなに止めてもやり続けた。もはや精神力が体力を超えていた)
「でね、主治医から詳しい話を聞くために秀俊さん、年明けに病院来るらしいよ」
「飛行機乗って? わざわざ半日かけて? ちなみに電話じゃダメなの?」
「電話では聞けないような話なんでしょ。だから余命だろうなって」
「お姉ちゃんは・・・それでいいわけ?」
内心パニックになりながら、これだけはわかった。
姉はこの話を受けるつもりだ。
そんな残酷な話ってある?
「だって『妻の余命が短いなら娘を説得する』って確かに言ったんだから。弁護士も調停員も聞いてるしね。うん・・・すみれに会えるなら私、覚悟決めるよ」
余命が短いなら娘を説得する。
その話には元々すごく腹が立っていた。
――短いってたとえばどのくらい?
ならば会わせましょう、と言われるくらい短ければ姉は幸せなのだろうか?
そんな残酷な話があるだろうか。
それに、説得が必要なのは誰?
緩和ケア科にとっても「前代未聞」
――と、そんな姉夫婦の特殊な事情のために、病院の緩和ケア科は「前代未聞の対応」に追われることになったという。
病状じゃなく「事情がレアケース」というのが姉らしいと言えば姉らしい。
つまり整理すると、
(1)患者・皆川梨花子さんの夫が主治医に『妻の病状』を聞きに来ます
(2)けれど夫婦は別居中で調停中で、同席はしません。梨花子さんには、「自分の病状」を夫に知らせることに同意する書類にサインしてもらいます
(3)現在の病状を詳しく伝えることそれは梨花子さんの場合「余命宣告」を意味します。病院側としては「夫に話した内容」を梨花子さんにも開示する義務があるので後日文書にしてお伝えします
(4)それはつまり梨花子さん、あなたに対して間接的に余命宣告することになる。望んでなかったですよね、本当にいいんですか?
――ということだ。
「それで看護師さんと何度も長電話してるんだけど、『本当にいいんですか?』って何度も聞いてくるんだよね」
「だろうね・・・」
「病院にとっても初のケースみたいで、かなり戸惑ってる感じ。ただでさえ激務なのに本当に申し訳なくて」
「いや病院の心配してる場合じゃないでしょ・・・ありがたいけど」
ーーそんな会話をしながら過ぎていく2016(平成28)年の大晦日だった。
居間からはテレビを観ながらキャッキャと笑う、我が家の子どもたちの声が聞こえてくる。この子たちは巻き込めない。
さてどんな気持ちで今日これから「楽しく年越し」すればいいのかーー。
年末年始なんて嫌いだ、といっそ暴れたかった。
余命宣告を望まなかった理由
姉がそもそも余命宣告を望まなかった理由。それは聞いても生き方が変わらないからだ。
調停を経て1日でも早くすみれと面会交流する。
母と子の絆を取り戻し、望めるならまた一緒に暮らす。
少なくともすみれが成人するまでは生きる。
その一心。
「長くないかも」と不安を抱えつつ、「病気を克服して100歳まで生きる」という奇跡も信じている。その間で揺れている――本人も私も両親もそうだった。
だから医学的見地からの余命は要らない。
闘病中の人にも失礼極まりない
そもそも愛情がありながら子と断絶した。
そんな親なら誰だって1分1秒が寂しくて長い。
最初から理不尽な目に遭っているのに「余命がわずかなら会わせる」なんて心外中の心外だし、姉でなくても闘病中の人に失礼極まりないと思う。
――と私は激怒したのだけど、実際この時調停は停滞気味だった。
1カ月以上待って次の調停に出向いても、「お互いの主張を言って堂々巡り」という状況。
姉にしても何か新しい動きを欲していたのが本音だった。
病気の進行を感じれば感じるほど、それはそうだった。
「思ったより短かったな」
「秀俊さんが先生に会いに来る日、来週に決まったらしいよ」
病院との調整は続き、年が明けて2017(平成29)年1月半ばに義兄が主治医のもとを訪れることが決まった。もちろんそのタイミングでも、妻と夫が顔を会わせる予定はない。
姉と私にできることは特になく、当日は「今ごろ話してるのかなぁ」とぼんやり思いながら、「翌日になります」という病院からの「報告書」を待つしかなかった。
そしてその日、家で掃除をしている私に、姉からラインがあったのだ。
いつもなら大抵、
〈沙世子ちょっと聞いて!今日の調停でこんなこと言われた・・・〉という勢い余った感じから始まるのに、なんとなく空気感の違う静かな一文から始まった。
〈思ったより短かったな〉
〈なにから手をつけよう〉
〈とりあえず派遣の仕事、延長するって言ってくれてたんだけど断らなきゃ。カラーコーディネートの勉強も無駄になっちゃった。沙世子のとこからお金助けてもらったのにごめんね〉
〈とりあえず看護師さんが送ってくれた文書添付するから読んでみて〉
部屋のなかの空気が、異様に静かに感じた。
震える手で、何やら添付された文書を開くと、義兄と主治医とのやりとりがまるでインタビュー記事のように記されていた。
看護師さんが作ってくれた文書だろう。こんなのほぼ業務外だ。すみません。
細かい内容はともかくとして、こうあった。
「それで、具体的には余命はどのくらいでしょうか?」
「長くても3カ月だと思います」
看護師から必死の「お願いします…会わせてあげてください」
立ち会った看護師が義兄に伝えた言葉も記されていた。
「どうか娘さんと会わせてあげてください。梨花子さんにはそれがいちばんの治療です。皆川さん、あなたご自身のためにも、娘さんの将来のためにも、会わせてあげるのがいちばん良いことだと思います」
「・・・それはできません」
「なぜですか? 会わせられない理由はなんですか」
「言葉の暴力があったからです。それに、自分も片親で育ったので、娘も今のままで大丈夫です」
文書はそこで終わっていた。
ぐるぐると巡る思考の果てに
――まず、胸が熱くなった。
緩和ケア科の主治医や看護師がどれほど我が事のように姉を思い、義兄に対し言葉をかけてくれたかがわかった。
義兄の言う「言葉の暴力」とは、調査官の聞き取りに対してすみれが話した「早く食べなさい!」のことだろうか。すみれ本人はそれしか言ってない。
あとは、子どもの前で夫婦喧嘩したことか?
――いずれにせよ、引き離されたのは母と子の関係に問題があったからではない。話がすり替わっている。
さらにこの時点で「会わせられない」と即答しているのはどういうことだろう?
まるで検討する気がないじゃないか。
まさか、自分があとどのくらい頑張ればいいか確認しに来ただけじゃないだろうな・・・。
自分も片親だったので、という義兄の言葉に何かしらの孤独も感じたが、今そこについて深く考えている余裕はない。
モヤモヤしながらいろんなことが頭を巡ったが、肝心の「3カ月」には現実感が抱けなかった。
その後姉にどんな返信をしたのか、子どもたちが帰って来た後、私はどんなだったのか、夫に何か話したのか、思い出せない。
覚えているのは夜、胃の中のものを全部吐いたことだ。
そして翌朝、姉からまたラインがあった。
「私、すみれのいるM市に行ってくる」
〈沙世子、決めた。私M市に行く。とりあえず体が動くうちは短期でアパート借りて滞在する。そして少しずつすみれとの時間を作れるように頑張ってみるね〉
今さら止めようもない。
仮に義兄が「会わせます」と言ったとしても、そこから日程を調整し、飛行機を取って体調を整えて・・・という余裕が姉にはもうない。
だからいずれにせよこれが姉の最善手なのだ。「人生最後に会いたい人と物理的距離として近くにいる」こと。
いやこれ一択か。
こんな思いまでして「会わせて」と頭下げなきゃいけないほどに
そんなわけで姉はひとりであっと言う間に準備を整え、スーツケースひとつを引っ張りながらM市へ旅立った。
その日の夜〈無事到着しウイークリーマンション入居しました〉と連絡があり、私は思った。姉のたぶん人生最後の一人暮らしが始まったんだと。
〈これでもう有り金使っちゃった感じかな。それにしてもこんな思いまでして余命を知って、会わせてくださいって頭下げなきゃならないくらい、こっちは弱い立場なのかな? なんか変だよね〉
「非監護親」の事情と心情
本当にそうだ。これ以上どこに相談したらいいかもわからない。
確かに姉の事情は特殊かもしれない。
けれど問題は、こうした「非監護親」の事情や心情がほぼ子ども本人に伝わらないケースが多い、ということではないだろうか。
姉の場合はこれほど痛切な思いがあっても伝わっておらず、最後まで伝わることはなかった。
すみれはこの時、春から小学4年生だった。
規格外の余命宣告
姉に言ったことはないけれど、私の胸にも充分な穴が空いていた。寂しい。
病気がわかってから自分なりに寄りそってきたつもりだった。でも常に「梨花子劇場」は予想の遥か彼方をいく展開で、最後はこれかぁと脱力した。
お姉ちゃん私、余命宣告って家族で座って先生から神妙な顔で伝えられて、その後は家族で「穏やかに過ごしながら思い出作りましょう」ってなるもんだと思ってたよ。
何から何まで規格外で、病気なのに遠くに行っちゃって。
これから3カ月、私どうしたらいいんだよ・・・。
そうして姉の調停は、ここからまた信じられない展開を見せるのだった。
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――そんなわけで、すみれ。
あなたは確かに愛されていたんだよ。


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姉のエピソードではありませんが
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