#131 石井(2024):教育「評価」概念再考-系譜の整理から関係論的拡張へ-
教育「評価」概念をもう一度考え直す
~石井英真「教育『評価』概念再考」を読んで~
「評価」という言葉を聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。
テストの点数、通知表の評定、入試の合否…。
教員として学校現場にいると、どうしても「選抜」「判定」「ランク付け」といったイメージが先に立ちます。
でも、本当に評価ってそれだけなのか。
むしろ「評価」という営みの捉え方そのものを問い直さないと、これからの学びを支える評価は語れないのではないか――。
そんなモヤモヤを抱えていたときに出会ったのが、石井英真氏による
「教育『評価』概念再考 ――系譜の整理から関係論的拡張へ――」
という論文でした。
このnoteは、これから続けていく「評価・学習・探究」をめぐる連載の第1回として、
この論文から自分が受け取ったものを整理しておきたいと思います。
1.評価の出発点は「学びを可視化すること」
石井氏は、まず評価の出発点をとてもシンプルにこう捉えます。
学習者の学習や学力を可視化すること。
そして、その「可視化された事実」は、必ず二つの文脈で使われると指摘します。
指導・学習を振り返り、改善するための評価
通知表・内申書・入試など、外部に向かって説明・証明するための評価
現場の感覚からしても、これはとてもよく分かります。
授業後にノートやワークシートを見ながら
「どこでつまずいていたんだろう?」と考えるときもあれば、
一方で、通知表に数字や所見を書き込む作業もある。
同じ「評価」という言葉で呼んでいても、
そこには「学びをよくするための評価」と「説明責任・選抜のための評価」という
少し違う顔が入り混じっているわけです。
石井氏は、「教育評価」とは「学習評価」にとどまらず、
教育活動全体を問い直す営みだと述べます。
できないことを学び手だけの責任にするのではなく、
教師の指導、カリキュラム、学校経営、教育政策といった
教育環境・条件のあり方を問い直すもの
評価を、子どもの「できた/できない」を判断する道具としてではなく、
教育そのものをメタ的に見つめ直す鏡として捉え直しているところに、
この論文のスタンスがよく表れていると感じました。
2.「測定」から「エバリュエーション」、そして「アセスメント」へ
論文の前半では、評価概念の歴史的な系譜が丁寧にたどられます。
ざっくり整理すると、次のような流れが見えてきます。
教育測定運動
ソーンダイクらによる客観テスト
「どれだけ正確に測れるか?」に焦点が当たる時代
タイラーによる「教育評価(evaluation)」概念の提起
測定そのものを目的とするのではなく、
教育目標の実現に向けた改善機能を重視ここから、カリキュラム研究と評価が結びついていく
ブルームの教育目標の分類学とマスタリー・ラーニング
目標準拠評価と形成的評価を軸に、
「すべての子どもに学力保障を」という方向性が打ち出される
行動目標論への批判とオルタナティブな評価の登場
質的研究、ナラティブ、アクション・リサーチなど
プロセス・多様性・文脈・子どもの経験に光が当たり始める
パフォーマンス評価・真正の評価・オルタナティブ・アセスメント
「ドリル」ではなく「ゲーム」のような、
全体的・本質的なパフォーマンスを評価しようとする動きルーブリックやポートフォリオ、学習発表会など
“evaluation”から“assessment”へ
evaluation が「プログラムや政策の判定」の意味に寄っていく中で、
学習者に寄り添う assessment という語が前面に出てくる“assidere”=「そばに座る」を語源とし、
学習者のプロセスに寄り添う評価というイメージが強調される
この流れを追っていくと、評価概念は
「どれだけ正確に測れるか?」
から
「どのような学びを支えたいのか?」
という方向に、少しずつ軸足を移してきたことが見えてきます。
同時に、この流れの中から
学習の評価(assessment of learning)
学習のための評価(assessment for learning)
学習としての評価(assessment as learning)
という区別も生まれてきます。
ここで、私がずっと関心を持ってきた「学習としての評価(AaL)」も、
ポスト・ブルームの評価論の一つの帰結として位置付けられていることが、
この論文を読むことで改めて確認できました。
3.標準化と「つながりとしての評価」
もう一つ、この論文で印象に残ったのは、
スタンダードとアカウンタビリティをめぐる議論です。
1990年代以降、多くの国で
共通のスタンダードを設定し
標準テストで成果を測り
学校の成果を数値で示す
という改革が進みます。
そこでは、「目標に準拠した評価」は
成果主義・競争主義を強化する装置にもなりうるし、
一方で、「すべての子どもに一定の学びを保障する」という
民主主義的・平等主義的な志向とも結びつく。
石井氏は、この両面性を認めながらも、
スタンダードの設定そのものが悪いのではなく、
それを誰が、どのようなプロセスで、どんな価値観のもとで扱うのか
という点を問い直します。
その上で、単なる「テストのための教育」に矮小化しない形として、
パフォーマンス評価やポートフォリオ
学習発表会(exhibition)
保護者や地域を巻き込んだ対話の場
といった「学びの可視化を軸にした共同体づくり」の可能性を示していきます。
ここが、私の中でとても大きなヒントになりました。
評価は、単に「個人の力を測る装置」ではなく、
学びの事実を真ん中に置いて、
大人たちと子どもたちがつながりをつくるきっかけそのもの
になりうる。
この視点は、私がこれから探究していきたい
「学習としての評価」や「鑑識眼」の議論とも、深くつながっていく感覚があります。
4.評価を「価値探究」として捉え直す
論文の後半では、教育評価研究の展開を踏まえたうえで、
石井氏は「評価」という営みを、次のように捉え直します。
学びや経験の可視化を介した価値探究の過程
つまり、評価は
目標達成に向けた調整・改善のプロセスであると同時に
人と人との関係性や共同体の在り方を問い直す相互理解・関係構築のプロセス
でもある、ということです。
ここで印象的だったのは、
評価は、管理やコントロールの道具にもなりうるが
逆に、そこにメスを入れることで
教師や学習者をエンパワーし、共同体を豊かにする力にもなりうる
という指摘でした。
例えば、
子どもの学びの成果をポスター発表や劇、作品として表現すること
その過程をドキュメントとして可視化し、保護者や地域に開いていくこと
こうした「学びの見せ場」が、単に
「成果を報告する場」ではなく、
子どもを真ん中にして、
周囲の大人たちのまなざしやことばが交差し、
新しいつながりと価値が生まれていくプロセス
として描かれているのが、とても印象的でした。
評価を
「できた/できない」を判定するためのチェックリスト
ではなく、
「この子の学びや経験の意味を、みんなで味わい、言葉にしていく場」
として捉え直す視点。
ここに、私がこれから探究していきたい
「対話的なアカウンタビリティ」や「関係論的な評価」の入口があるように感じています。
5.この論文が、これからの私の探究にくれたもの
この論文を読んで、一番大きかったのは、
評価=「価値探究」として捉え直すための、
しっかりとした“土台”をもらえたこと
です。
これまで私は、
形成的アセスメント
学習としての評価(AaL)
鑑識眼(evaluative judgement)
社会文化的アプローチ
といった概念を、わりと個別のテーマとして追いかけていました。
でも石井論文を読むことで、
教育測定運動からタイラー、ブルーム
オルタナティブ評価、パフォーマンス評価
スタンダードとアカウンタビリティ
実践共同体・社会関係資本・関係に基づく評価
といった流れの中に、
自分の関心がちゃんと「位置づく」感覚を得ることができました。
「評価とは何か?」を問うことは、
単に評価技術の話ではなく、
教育とは何を大事にする営みなのか
どんな共同体をつくろうとしているのか
子どもたちの学びを、どのように社会とつなげていきたいのか
という問いそのものなのだ、ということを
改めて突き付けられた気がします。
6.これからの連載について
今回のnoteは、石井英真氏の
「教育『評価』概念再考 ――系譜の整理から関係論的拡張へ――」
を入り口に、
「評価」を価値探究・関係構築の営みとして捉え直す視点を整理してみました。
これからの連載では、
Sadlerの形成的アセスメント論
Black & WiliamのAssessment for Learning
Ruth DannのAssessment as Learning
Torrance & Pryor、Crossouard らの社会文化的アプローチ
などを辿りながら、
「学習としての評価(AaL)」
「鑑識眼(evaluative judgement)」
「対話的・関係論的な評価文化」
について、少しずつ地図を描いていこうと思います。
そして、それらを単なる理論紹介で終わらせるのではなく、
自分の教室実践や、日本の小学校教育の現場での手応えと結び直しながら、
「評価を通して、学びの可能性をどうひらいていけるのか?」
という問いを、これからゆっくりと言語化していきたいと思います。
第1回はここまで。
