見出し画像

ピアノのこと②〜練習はつらいよ。(そこから考える親子関係)

先日、いつも通り風呂から上がった息子に「ピアノやるよ!」と声をかけると、息子が

「いやぁ、私がやるまでもないでしょう」

と言います。


??

誰がやんだよ。

前回はやっと先生が決まりました。
今回も引き続きピアノのことを書こうと思います。

先生という存在

体験レッスンではしおらしかった息子ですが、いざお稽古がはじまってみると「あ、ママ怒らない」と察知して全然座ってない。(今はだいぶマシになりましたが、それでもうろちょろします)
右に先生、左にママでガシッとはさんでも、ピアノの下にもぐったり、メトロノームのねじを延々ひねったり、鏡面のピアノに自分の顔を映して笑い転げたり、そのほかまぁ書ききれませんが、しっちゃかめっちゃかで全然レッスンになりません。
先生も「息子くん、先生と一緒にやってみる?」と声をかけてくれますが、全く聞いてない。目も見ない。
そんなことを30分も続けて最後の3分でようやく「ドレミファ、ソー」だけ弾いてタイムアップなんてことが続きました。
こちらもげっそりです。
そのくせ私が今日はおしまいだよと先生に挨拶するよう促すと
「まだ弾いてないよ?」と言います。
私も先生も吉本新喜劇さながらズッコケそうです。

けれど先生は息子がどんなに暴れようが、常ににこにこ穏やか。
これがどれほど有り難かったことか。
最後に必ず「また来週先生にも聞かせてね!」と優しく終わってくれます。

この先生で本当によかった…。
先生がイライラしだしたら、ママは居た堪れないよ。

その代わり、むしろこれが良かったのですが、先生は息子が上手に弾いた時でも
「うん、いいね」
としか言いません。
子供だからといって褒めちぎるようなことはしない先生です。
ふざけようが、上手に弾こうが一切態度を変えない。
息子からすると「簡単に懐柔できない」厄介な相手かもしれません。

そんな先生ですが先日は
「よく練習してきてくれるので、僕は何にもしてないですけど…」
とすまなそうにおっしゃいます。
いえいえいえいえ、何をおっしゃいますか!
座っててくれるだけでいいんです。
むしろ先生の仕事ってそれだけですから!
ママではなく、保育園の先生のように可愛がってくれるわけでもなく、ふざけても反応してくれない、上手に弾いた時だけ一言「いいね」をくれる、自分よりはるかに大きな存在。
それこそが先生ってもんだ。
息子にとってそういう先生でいてください、これからも。


オッケーオッケー

大手の音楽教室には講師のほかにもスタッフが何名かいます。
通いたてのころ、私もズブの素人なのでどうやって練習すればいいのかわからず、そこの店長さんに聞いたことがありました。

私「練習ってどうやって進めていったらいいんでしょうかね」
店長「レッスンでやったことをおうちでもできたらいいと思いますよ」
私「テキスト通りに。どれくらい?」
店長「小さいお子さんは一日5分でも10分でもいいので毎日」

オッケーオッケー、毎日ね。


毎日練習してさえいれば、必ず上達するはずだ。
その日から、息子と私の練習の日々が始まりました。

まず三歳半の息子を捕まえてきます。
膝の上に乗せます。
手をとって「ド、ド、ド…」
息子逃げます。
息子捕まえてきます。
  ⁝
(以下無限ループ)

これを来る日も来る日も
し、しんどすぎる……
しかし…! 継続の力を証明してやる……‼

真面目なはなし、最初は大分しんどかったです。
5分の練習をするのに1時間かかることもありました。

けれど決めたので、ルールはシンプルに。
練習し終えるまで、寝ない。
これを3年続けて上達しなければやめよう。

そう腹を括って始めたところ、やっぱり子供は柔軟ですね。
一月もすると何をしようとしているのかが飲み込めてきたらしく、「はいはい、これね。僕知ってますよ」とでも言うように鍵盤をたたいたり、手をたたいたりするようになり、つかの間ほっとしました。

こんなところから始めたんだったなぁ


練習の日々 350/365日の戦い

あれから1年ちょい、350/365日ペースで練習を続けてこれました。
息子も4歳になり毎日の練習にも意欲的に取り組んでいるわけねーだろ!
ちゃんちゃらおかしいわ!

毎日が戦いです。
すんなり座ってくれることもあれば、ギャンギャン言ってなかなか進まないこともあります。


「ピアノやるよ!」
息子
(無視)

「座って、前向いて」
息子
(無視)

「やるに決まってんじゃん。毎日やってんじゃん。」
息子
「今日はやらないの」

「だからなんでよ。やらない理由がないだろ。なんでやらないでいけると思うんだよ」
息子
「今日はやったよ」

「やってないでしょ。無駄なウソつかんでよろし」
息子
「えー?ぼくやったと思うよ!」

「やってません。やったとしてももっかいやってください」
息子
「ぎゃん!ぎゃん!」

「理由もないのにサボるのか?明日から練習する理由を探さなきゃいけなくなるぞ」
息子
(仏頂面)

「今日一日サボったら、明日もサボる理由ができるだろ。そうやってサボり癖がついてみろ。5年後の君はたいして上手くもないピアノを弾く男の子になるぞ」
息子
「ギャンギャン!」

「今日はやりたくないの?
そっかぁ、しょうがないなぁ、今日はいっかぁ。
なぁーんてママが一度でも言ったことがあるか?ないだろう!
やるんだよ!ほら前を向け!」
息子
(まじだりぃな)

「ほぅ。どうやら君はママと根比べがしたいようだな。
いいだろう。朝までやろうか」

なかなか強情です。
誰に似たんでしょうね。ママでないことだけは確かです。
けどしょーがない、やるしか。
やらないとその日終わらないですから。
ママが決めてしまったので。

レッスンのある金曜日のみ、レッスンできちんと弾けたらその日の練習はなしなのですが、レッスンでふざけすぎた日にゃあ、
「ありがとうございましたー」と笑顔で教室を後にし、エレベーターのドアが閉まった瞬間

「おまえ!今日、練習倍な!」

です。

いやならレッスンで弾きなさいよ。


金倍の日


強制するか自主性の尊重か~親の罪悪感

こうして半ば無理にでも練習をさせてきました。
今のところ息子もピアノ自体は嫌いでないようです。
けれど練習を強いることに露ほど罪悪感を感じなかったかといえば、あまり感じませんでした。
ピアノに通わせると決めた時点でもう強制させているわけですから。

なにもピアノに限った話ではなく、子どもに何かを強制させるなんてのは、日常の中にいくらでもあるわけです。
毎日のご飯だ、お風呂だ、歯磨きだ。そこに毎度「これでよかったのかな…」と迷う親はあんまりいないと思います。
「ミルク飲みたくないのか。かわいそうだから今日はいいかな」とはならないわけです。

それと同じように、考えがあってしていることであれば、息子が反抗しようと「やりなさい」と言ってきました。ピアノに関すること以外でもそうです。

「ママに騙されたと思ってやれ。
毎日続けることそれ自体が必ず君のためになるはずだ。だからママは君にやらせてる」
「毎日続けるなんて、大人でもそうそうできることじゃない。それができたら、必ず君の自信になる。必ず君を助けてくれる」
「ママがやれと言ったことはやれ。やるなと言ったことはやるな」
「ママが言うことが絶対だ」

勿論、叱りすぎたな、悪いことしたなと思うときはあります。
でもそんな時こそ自分の内側をよく見てみるのです。
その謝りたい気持ち、罪悪感に保身は隠れていないだろうか。

もし私が簡単に謝ってしまったら、息子は怒られた上にママを許さないといけなくなる。
親は罪悪感から解放されるけど、子供がそれを負うことになる。

それはフェアか?

「ママ嫌い!」と言わせないために謝ったり、
何かをやりなさいと言ってみたものの、それを半ばから「自主性に任せる」として手を離すなら、
それは狡いし、責任逃れではないか。

子供にちゃんと謝ることも自主性を尊重することも、言うまでもなく大切なことです。
けれど問題はそこに親の狡さや恐れが混じってはいないか、ということです。

自分の子供とはいえ他人の人生の手綱を握るというのは怖しいことです。
場合によって手綱をしめたり、緩めたりすることはあるでしょうが、
もし親が「強いる」ことに怯んで安易に「自主性に任せる」という名目を使ってしまうなら、
「親としての責任」と「自主性」を安易に組み合わせてしまうなら、
いくらだって親にとっての都合のいいストーリーを仕立て上げることができるように思います。

子供のためと思って強いたことも、
子供のためと思って自由にさせたことも、
子どもにとって悪い結果にしかならなかったということは勿論あるでしょう。
ザラにあります。
おそらくどんな風に育てたところでクレームは来るでしょうし、
どんな風に育てたところで、その責任を取らされるのは結局子供自身なのです。

であるならば私は
いつか息子が成人し、彼の手に彼の人生の手綱を完全に明け渡す時に

「最善は尽くした
ビビって手を離すようなことはしなかった」

と言いたい。
そう言えるように大事に握っておきたい。

「親としてこれだけはやっただろ」と
「君の自主性に任せたじゃないか」を
巧妙に組み合わせ
子供から反論の余地を奪うくらいなら、

「お前は毒親だ!!」

「お前のしたことはお前のエゴだろう!」

と息子が文句を言えるように

逃げも隠れもできないところに、自分を置いておこう。


嫌われたり、好かれたり

私は自分のことをマッチョ脳だと自覚してますし、強権的な母親だとも思います。
「気合」だとか「根性」だとか今はもう流行らないどころか倦厭されるものも嫌いじゃない。
歯をむき出しにして頑張れることが格好いいと思うし、反対に斜に構えてやせ我慢してるのこそクソダサいと思う。
私はそういう人間なんですよね。
だからお母さんになったからと言ってどっかから「お母さん」という人格が舞い降りて、私にとってかわって育児をするわけでもあるまいし、
みんながこういうお母さんていいよねって思う(私も思う)ような「大らかなお母さん」が良いものだとしても、
子供のころから「あんたは神経質だね」と言われてきた人間が大らかになれるわけもないです。
ですので私という「人格」がお母さんという「役割」をやることになったら、
どうしても今のようなお母さんになってしまいます。
(すまんな息子)

私はどこかで「息子に嫌われてもいいや」と思ってるふしがあります。
自分を使って「お母さん」をやった結果、
嫌われたり、好かれたりもするだろう。
もちろん良好な関係の方がそりゃあいいに決まってるけど、
それは今まで経験してきたあらゆる人間関係と一緒で、こんな自分でいたから好かれた、こんな自分でいたから嫌われた。
それと変わりないと思います。
そもそも親密な関係性とは主観でしか判断できないものですし、
親密な関係性において絶対に傷つけない傷つかないということはありえないでしょう。
子供の「ママ嫌い!」にも、そうかと思うほかないように思います。

私が親としてできることも結局は私という人格が思いつきそうなことくらいしかないんです。息子に「他になかったんかい!」と言われても、思いつかないものはできない。
それで息子に認められなかったなら、これはもうしょうがないと諦めもつきます。だってママこんなんやし。
思いついたけどやらなかったは(サボった)は怒られましょう。
そもそもママの価値は、ママの生きる意義は「お前のために生きてんとちゃうわ!」ですから。

それでもやっぱり、子育ては楽しいと私は感じます。
だって、自分を全部使える。
自分のありとあらゆる経験を、

辛かったことも
寂しかったことも
楽しい思い出も
全部。


子供を尊重して、ただしきちんと躾けて、いつも笑顔で。

今の時代、子育て本当に大変ですよね。
核家族で(うちシングルやしな)信頼できる大人もなかなか見つからないし、職場では疎まれ、街では舌打ちされ、子供が被害に遭う事件もしょっちゅう報道されるし、ボコボコですよね。

うちもこの前スーパーのレジのおばちゃんに息子が手を叩かれました。
マジでなんもしてないんだけど、レジの台に手を置いてただけで。
私が見てないと思ったんでしょうね。
もちろん言いましたよ。そしたら急に手のひらを返したように、
「ごめんねぇぇ。手が危なかったからねぇぇ」
とか言ってました。
おいおいおい、違うだろ。胸に手を当ててみろ。

相手が子供だと思ってやってるんでしょう。
弱い者いじめを、大人が公然とやる。
ほんとに酷いなと思います。

今のお母さんたちは常にプレッシャーにさらされていると思います。
子供を叱れば虐待だ。
子供を泣かせていれば静かにさせろ。
子供のためなら笑顔でいられるはずだ。



うっせぇ!ばーーーーーか!!




でいいと思います。

子供を尊重して、ただしきちんと躾けて、いつも笑顔で。

そうやってずーっと監視されてるみたいですよね。

私も「あんな母親」と思われてるんだろうなと感じる時はありますが、世間様のために子育てしてるわけじゃない。
未来の納税者を育ててるわけでもない。
ただ息子に朗らかに健やかに楽しく暮らしてほしいだけです。
だから世間の押し付けてくる
「子供を尊重して、ただしきちんと躾けて、いつも笑顔で」
なんて背負わされたくない。

背負わされたくはないけれど、鬱陶しいと感じるぐらいだったらもういっそ、


自分から背負ってやろう。

もちろん自分なりのやり方で。
今日も明日もずっと先も息子が、私が、
楽しく暮らせるように
正しく生きられるように
他ならぬ自分自身でいたいと思えるように。
尊重し、躾け、笑っていよう。


さぁて、今日もやりますか。


「ほら!ピアノするよ!」

「ママの言うことを聞け!」

「ママの言うことが絶対だ!」




次回は日々どんな練習をしているかについて書きたいと思います。

(ここまで読んでくださった奇特なあなた。本当にありがとう。ついでに「スキ」をぽちっとしてくれると嬉しいです。フォローしていただけたらとても喜びます。サポートまでしていただけるとは思ってませんがもしサポートしていただけたらちょっとビビると思います)

張り付いてイライラする

いいなと思ったら応援しよう!

edu_art 楽しんで頂けた方、ぜひサポートお願いします! いただいたサポートは美術館のミュージアムショップで絵葉書を購入するのに使わせていただきます。部屋に飾る用です。