菊池誠氏への反論

最近、菊池誠氏のツイートがやたらとおすすめに流れてきて、そのたびに言ってることが絶妙に的はずれなのでずっと指摘してるんだけどほぼ無視されている。なので言いたいことをまとめてここに書きます。
(もともと下記の記事への返信として送りつけようとしたものなので、リプライの文体になっています)
初見の方は、下記の記事に氏の主張のまとめがあります、前提となっている話は下記記事を読んでください。

大きく2つの指摘をツイッターで何度もリプライしているんですが、無視されているのでここに書きます。

1つ目は、生物学に見た場合の性別、個体の性的二型についての理解の前提です。
生物学的にホモ・サピエンスを見た場合、有性生殖のための配偶子の型としての「性別」はあきらかに二元的です。ホモ・サピエンスの配偶子は卵子と精子の2種類しかなく、生殖細胞/生殖器もそれぞれを生産する2種類に分かれます。それらを備える個体レベルで見ると、オス/メス呼ばれることが多いです。
ですが、ホモ・サピエンスが持っている性的二型は配偶子の型だけではありません。実際の個体を見れば分かる通り、性別の差は生殖器以外にも様々な場所で観察されます。
よく知られているように、個体の発生において性分化を決めるのはSRY遺伝子ですが、SRY遺伝子は様々な遺伝子が連なるドミノ倒しの1ピース目を倒すだけです。SRY遺伝子が直接体を作っているわけではありません。実際に性的二型を形作るのは、SRY遺伝子からのドミノ倒しの先に連なっている無数の遺伝子であり、SRY遺伝子が正常でも、その先の何処かでエラーが出ればその先の発生が進まないことはあります。
つまり、配偶子の型の性的二型が典型的オス/メスに当てはまっていても、個体レベルで見た場合にその他すべての性的二型が同様に典型的な性分化をしているとは限りません。
ここまでは生物学の一般的な知見の範囲ですが、貴方のツイートはこの部分を理解していないか、非常に雑に扱われていると思いました。

2つ目に、生物学的性の二元論は「価値観」かという論点です。
生物学的に見て、ホモ・サピエンスの「有性生殖のための配偶子の型」が二元的であるというのは事実です。しかし、人間(生物としてのホモ・サピエンスではなく、人格と意思を持った人間)の「性別」を、ホモ・サピエンスとしての有性生殖のための配偶子の型に基づいて二元的に分断し「男/女」の2種類で区分するべきか、は価値観の問題です。
例えば、「ホモ・サピエンスは有性生殖のための配偶子の型に基づいてオス/メスに二元的に分けられるが、それは人間としての本質に一切無関係である」という価値観に基づいて性別という概念を制度的には廃止する、という「価値観」もありえます。
貴方がどういう「価値観」を取るかは自由ですけれども、「ホモ・サピエンスの配偶子の性的二型と人間としての性別をリンクさせるのは当然だ」というのもひとつの「価値観」であるということは自覚したいただかないと、ジェンダーを巡る議論(これは価値観の戦いです)のスタートに立っていないまま的はずれな会話をするだけになってしまいます。

なお、1つ目への補足として、確かに貴方は性分化の様々な「例外」は否定しないとツイートされてましたけども、そこで触れられている「例外」も、配偶子の型やそれに関連する生殖器の発生に限定したものに留まっています。
確かに、生物学・医学などで定量的に定義されているのはそのようなわかりやすい「生殖器が目に見えて変化する例外」しかないのですが、しかし実際のところはもっと様々な「例外」が存在するのです。生殖についての性的二型が明らかにオス/メスであっても、個体の表現型をトータルで見た場合に明らかに男/女ではない、という「例外」が確実に存在します。マイノリティ当事者やその周囲は、生物学の知識は貴方ほどありませんが、実地でそのような稀な例外を見ているので、あなたのツイートでそれを乱暴に否定されたと感じることがあのような反発を呼んでいると思います。

最後に、これは私個人の主張ですが、我々が人間として他の人間の性別を判別する(これは日々無意識でやっていますね)ときに最も参照している個体の表現型は何なのでしょうか。日常生活において、他人の性器を見ることは基本的にありません。なのに我々は(真冬に厚い衣服で体型がほぼ見えない状態ですら)人間としての「男/女」(ホモ・サピエンスのオス/メスではなく)を非常に高精度で見分けることができます。それはなぜでしょうか?
詳しくは私のnoteをお読みいただきたいですが、私の考えでは、これは我々が人間の「男/女」の基準としている表現型は生物学的に定義されるホモ・サピエンスのオス/メスとは異なるということを示唆していると考えています。なので、ホモ・サピエンスのオス/メス「のみ」を性別の基準として絶対的に採用する社会の仕組みは見直すべきだと私は考えています。
オス/メスで区分しなければならないシーンは当然ありますが、多くの場合我々が見ている性別は「男/女」であってオス/メスではありません。
更に、社会的なジェンダーはまた別のレイヤーですが、そこに触れると収まりませんので今回はこのあたりで失礼します。


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