生物学的性の二元論は「価値観」ではないと思うよ: 学術会議第一部は大丈夫か?
(値段をつけてますが、全文無料で読めます。投げ銭は歓迎)
2026年6月11日に日本学術会議から『性的マイノリティの権利保障をめざして(Ⅲ)―司法判断の進展をふまえて―』という「見解」が出されました。作ったのは学術会議の法学委員会「社会と教育における LGBTIの権利保障分科会」です。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf2/kohyo-26-k260611.pdf
メンバー一覧は2ページ目を見ていただきたいのですが、法学者(憲法・家族法・国際人権法・行政法・刑事法・労働法など)を中心に、社会学・ジェンダー研究・人口学・看護・スポーツ・市民活動家などで構成され、自然科学系の専門家は含まれません。これは人文学の部会である日本学術会議第一部がまとめたもので、自然科学者は関与していないわけです。性的マイノリティの権利と司法判断の話だから、それ自体は問題ではないはずです。ただ、第一部は放射能問題では放射能デマ側の肩を持ってきた経緯があり、僕は全く信用していません。あまりにも自然科学を蔑ろにする傾向があります。
さて、この文書の要旨には「特にトランスジェンダーの人権保障に焦点を当てる」と書かれています。性的マイノリティの権利保障は重要だと思いますし、性別違和についても同様にその権利は可能な限り最大限保障されるべきと思います。でも、この記事では「見解」そのものについては、意見を書きません。みなさん、ご自身で読んでみてください。
この記事では、以下の部分だけを考えます。
② トランスジェンダーに対する攻撃の激化
性的マイノリティの人権保障の後退は、ジェンダーの構築性を否定する「ジェンダー・イデオロギー」[10][11][12]と呼ばれる価値観・政治的潮流と結び付いている。「ジェンダー・イデオロギー」とは、生物学的に人間の性別(セックス)は男女の二つしか存在せず(性別二元論)、男女間の異性愛が正常(異性愛主義)とする価値観を指す。その結果、特にトランスジェンダー女性が厳しい攻撃(トランスバッシング)の標的にされている。また、反ジェンダー的な言説は、ジェンダー平等理念の下で女性が獲得した権利を白人中産男性に対する「逆差別」として否定する動きにも通じる。
このような動きに対して、2022年1月、欧州評議会総会は、LGBTIの人々への攻撃が特にハンガリー、ポーランド、ロシア、トルコ、イギリスで強まっているとし、「LGBTIの人々の平等を求める闘いについて、これらの運動が意図的に『ジェンダー・イデオロギー』あるいは『LGBTI イデオロギー』であるかの如く誤認させるような、非常に偏見に満ちた反ジェンダー、ジェンダー批判、反トランスの言説を非難する」等(決議2417)と決議した[13]。
ここでは「ジェンダー・イデオロギー」という言葉の説明として、『生物学的に人間の性別(セックス)は男女の二つしか存在せず(性別二元論)、男女間の異性愛が正常(異性愛主義)とする価値観』とされています。後者の異性愛主義は「価値観」でもいいとは思いますが、問題は性別二元論のほうです。
これはいったい何を言ってるのでしょうね。『生物学的に人間の性別(セックス)は男女の二つしか存在せず』というのは生物学ではごく普通の立場です。生物学的性の多様性は近年議論されていて、それについては別の記事で詳しく考えるつもりですが、R. Dawkinsをはじめとする有名生物学者たちが生物学的な性別二元論を強く主張しています。これは「価値観」ではなく、そもそも性別とは何かという生物学的な議論です。二元論に立つ生物学者たちはDSD(性分化症候群)のような例外(例えば、CAISと呼ばれる人たちは性染色体がXYで、女性の身体です)を踏まえつつ、それらはあくまでも例外であって人間の生物学的性は性染色体で決まる二元的なものであると考えています。
人間の生物学的性は二元論では片付けられないと考える生物学者もいます。だからといって、二元論が科学的に退けられたわけではありません。二元論は依然として十分に有力な立場です。それは価値観の問題ではなく、科学の問題です。少なくとも、どちらの立場がより生物学的に優れているかは、法学など人文科学の専門家が判断することではありません。それは明確に越境です。
人間の生物学的性の二元論を「価値観」と片付けるのは生物学の議論を全く無視したでたらめなもので、日本学術会議がこのような記述をしたことは大きな問題です。いかに第一部が作ったとはいえ、日本学術会議名で出ている文書ですから、自然科学に関わる記述を自然科学者に全く相談せずにでたらめに書くことは許されないはずです。
ところで、ここでは非常に奇妙なことに『ジェンダーの構築性を否定する「ジェンダー・イデオロギー」と呼ばれる価値観・政治的潮流』と書かれています。しかし、ジェンダー・イデオロギーというのはむしろ「ジェンダーの社会構築性」を主張する立場につけられた名前ではなかったでしょうか。仮にそれが反ジェンダー・イデオロギー側による不当なラベリングなのだとしても、少なくともジェンダーの構築性を否定する側をジェンダー・イデオロギーとは呼ばないはずです。
試しに、その部分で挙げられている参考文献10 Corredor “Unpacking ‘Gender Ideology’ and the Global Right’s Antigender Countermovement,” の要旨部分を読んでみると、"Around the globe, religious and other conservative actors are intensifying their attacks on feminist and LGBTQ+ scholarship and activism, casting advocates as “gender feminists” promoting a radical “gender ideology.”"とあり、僕の理解の通りです。これは「ジェンダー・イデオロギー」という言葉を宗教や保守派による不当なラベリングとしているわけです。
この文書の著者たちは自分が何を書いているのかも理解していないように思います。
上の指摘は確かにこの文書の本旨ではありません。しかし、瑣末事と片付けるには重大だと思います。放射能問題以降の僕の印象では、学術会議第一部の「反科学」的傾向には目に余るものがあり、第二部・第三部からの批判が必要に思います。そんなことだから、学術会議不要論が続いてるんじゃないですかね
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