“頑張りすぎる母親”の家庭で起きていること
未だにものすごく記憶に残ってることがあるんだけど、
小学校低学年のころかな
花火大会を見に行ったときに、友達の家族と会って
ポテチの袋をもらったのね。
んで、嬉しくて母親にそれを伝えたら、
返してきなさいって言われて
泣く泣く返したことがあった。
子ども心に、ものすごいプライドが傷ついたんだよね。
せっかくもらったのに申し訳ないなとか、食べたかったなとか。
お菓子をもらってうれしいと思った気持ち自体を否定された気がして
もらっちゃいけないんだ
うれしいと思っちゃいけないんだって
そう思った自分を、卑しいとさえ思えてきたんだよね。
その悲しい記憶が、ずっとこびりついてて。
男性性が過多になってる母親の家庭って
もれなく不幸せだと思うんだよね。
もちろん、一概にはいえないんだけどさ。
今の社会システムって、
どうしても母親に家事・育児の負担がのしかかっちゃって
母親の男性性が過多になりやすいんだよね。
男性性が過多になるのって、
つまりは、“与える”にエネルギーが偏ってる状態。
“私が頑張って家族を支えなきゃ”とか
“家族のサポートをするのは私の仕事”とか。
でも、母親が受け取り許可降ろせないと、
旦那さんは幸せにする対象見失うのね。
旦那さんが仕事を頑張るのは家族(妻)のためだし、
奥さんが家事・育児を頑張るのは家族(夫)のため。
本当は、お互いのことを大切に思うからこそなのに、
気づけば、
“もっと子どもの面倒見てよ。家のことしてよ。”
“俺だって仕事で疲れてるんだよ。俺が稼がなきゃ生活できないだろ。”
って、すれ違いが起きちゃう。
でね、
子どもも子どもで、そんな母親を見て、
お母さんを助けたい
お母さんを癒したい
お母さんの役に立ちたい
って思ってるんだけど、
男性性が過多な母親って、子どもの素直な愛情を受け取れないんだよね。
前にさ、こんなつぶやき投稿したんだけど
男性性の頑張りの原型は『お父さんに認められたい』『お母さんを喜ばせたい』。で、モラハラ父と自己否定母だった私はことごとくそれが叶わなかった。インナーペアレントに認めてもらい喜んでもらうこと。これが癒しの鍵になると感じた。
男性性の傷つきって、親を幸せにさせてもらえなかったことから来てるんだよね。性別関係なくね。
で、女の子の場合は、その傷つきを抱えたまま大人になると、
男性と張り合ったりとか、
男性に負けたくない、舐められたくない
っていうマインドになる。
つまりさ、
受け取り許可が下ろせなかった母親の姿を、再演しちゃうんだよね。
夫に対して意地をはったり、愚痴や不満をこぼしてた姿を、
つまりは、母親が父親にしていた態度を、そのまま異性に対してしちゃう。
いりません。
受け付けません。
結構です。
大丈夫です。
って。
ああ、書いてて私の女性性が悲しくなってきた。
だからさ、
母親が頑張るのをやめて、受け取り許可を下ろせるようになったら、
子どもも嬉しいし、旦那さんももっと頑張ろうと思える。
仕事がきつくても、子どもの世話だって家事だって手伝ってくれるようになる。
あなたに幸せにしたもらいたいから、結婚したの。
わたし、あなたに幸せにしてもらいたいの。
だって、あなたが好きだから。
っていうマインドを母親が取り込んだら(っていうか思い出したら)
そうか。この女は自分じゃないと幸せにできないのか。
よし、頑張ろう。
もっと笑顔にしよう。
もっと幸せにしよう。
って、自然と思えるんだよね。
まずは、私たち一人ひとりの中で内なる男女の循環が起きることによって、
外のパートナーシップに反映されてくるんだけど。
そもそもね、
受け継いでるんだよね、母親も。
自分の母親が自己犠牲的な生き方してきたから、
それをそっくりそのまま踏襲しちゃってるんだよね。
だからさ、
一人ひとりのインナーマザーの癒しが進めば、
男性は男性のままでもっと幸せになれるし
女性は女性のままで、もっと幸せになれると思ってるんだよね。
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母という呪いを越えて、わたしを生きる
愛されることに抵抗を感じてしまう。 女性であることに、どこか居心地の悪さがある。 自分の魅力を素直に受け取れない。 そんな女性として…
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