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敗戦を選べなかった国 【第二回】退けない者たちの時代

前回、私たちは一つの仮面が現実からの修正を受けつけなくなっていく過程を見た。ペルソナが影を排除し、排除された影が沈黙し、その沈黙が見かけ上の合意を生み、その合意がさらに影を沈黙させる。この循環は、しかし、なぜあの時代に限って、これほどまでに強く作動したのか。仮面の心理力学だけでは、まだ説明しきれないものが残る。それを埋めるのが、時代そのものが置かれていた位置——旧い秩序がすでに死につつあり、新しい秩序がまだ生まれていない、宙吊りの時間である。


一、旧秩序の死

第一次世界大戦後の国際秩序は、国際連盟を中心とする協調体制として組み立てられていた。日本もその一員として、条約に基づく秩序の中に位置づけられていた。だが満州事変とそれに続く国際連盟脱退は、この秩序からの離脱を意味していた。

重要なのは、離脱した瞬間に新しい秩序が用意されていたわけではない、という点である。国際連盟という旧い枠組みはすでに実質的な拘束力を失いつつあった。しかし、それに代わる「大東亜共栄圏」という秩序は、まだ言葉としてしか存在していなかった。実体を伴う制度でも、国際的に承認された枠組みでもない。旧いものが機能不全に陥り、新しいものはまだ理念の段階にとどまっている。この宙吊りの時間帯に、当時の日本は置かれ続けていた。

だが、この宙吊りは、日本一国の国際連盟脱退という出来事だけに由来するものではない。より大きな時間の尺度で見れば、当時の世界そのものが、覇権秩序の空白期にあった。十九世紀を通じて世界の海と貿易を律していたパックス・ブリタニカは、第一次世界大戦によって決定的に揺らぎ、イギリスはもはや単独で秩序を支える力を持たなくなっていた。その後を継ぐはずのパックス・アメリカーナは、しかしまだ到来していなかった。アメリカは経済力においてすでに世界最大の国家でありながら、国際連盟にすら加盟せず、秩序の担い手としての役割を引き受けようとはしなかった。イギリスはもはや秩序を支えきれず、アメリカはまだ秩序を担う意思を持たない。この空白こそが、あの時代の国際秩序を規定していた、より根源的なインターレグナムである。

日本が満州事変から日中戦争、そして対米開戦へと突き進んでいった宙吊りの時間は、この世界規模の空白の中で起きていた出来事だった。旧秩序の死につつある不安定さは、日本一国の内側だけで生じたものではなく、覇権そのものが誰の手にもない時代の空気を、そのまま吸い込んだものでもあった。

この影響は、抽象的な「時代の空気」にとどまらない。具体的な出来事の連鎖として跡づけることができる。

まず、1923年、日英同盟が更新されず終了した。これは、ワシントン会議を経て、イギリスが東アジアの秩序を単独で支えきれなくなり、アメリカを軸とする多国間の枠組み(ワシントン体制)へと軸足を移そうとした結果である。しかし、その肝心のアメリカは、国際連盟にすら加盟せず、東アジアの秩序に対して能動的な保証者としての役割を引き受けようとはしなかった。イギリスは退き、アメリカはまだ入ってこない。この隙間が、東アジアにおける実質的な力の空白として残された。

次に、1931年の満州事変に対し、国際連盟はリットン調査団を派遣し、日本の行動を非難する報告書をまとめた。だが、非難を実効力のある強制力に転換する手段を、連盟は持たなかった。イギリスは大戦の財政的消耗から立ち直っておらず、アメリカは連盟の外にいた。誰も実力を伴った異議を突きつけてこないという経験を、日本はこの時点で一度、確かに得ている。

さらに、1929年の世界恐慌は、パックス・ブリタニカの残滓であった自由貿易的な国際経済秩序そのものへの信頼を打ち砕いた。各国がブロック経済へと向かう中、日本もまた円ブロックの形成へと進んでいく。これも、旧秩序の経済的裏づけが崩れ、新秩序がまだ形を持たない空白を、独自の圏域によって埋めようとする動きだった。

そして、前回見たように、ヨーロッパでドイツが電撃的な勝利を重ねた際、日本の陸軍や外務省の内部で交わされた期待——「英米中心の秩序が崩れつつある今なら」という言葉は、単なる希望的観測ではない。当時の指導層自身が、自分たちが覇権の空白期にいるという認識を、明確に言葉にしていたことの証拠である。三国同盟という賭けは、この空白を新秩序の側から埋めようとする、きわめて自覚的な一手だった。

イタリアの思想家グラムシは、こうした時代を評して「旧きものが死につつあり、新しきものが未だ生まれ得ない時代には、実に多様な病的症状が現れる」と述べている。彼が念頭に置いていたのは戦間期のヨーロッパだが、この診断は驚くほど正確に、あの時代の日本にも当てはまる。

二、なぜ「立ち止まる」という選択肢が消えていくのか

前回見たように、仮面は自らの誤りを認めることに強い抵抗を示す。だが、それだけであれば、外部からの圧力や時間の経過によって、いずれ修正が働く余地も残るはずである。にもかかわらず、当時の日本には、そうした修正の機会がほとんど訪れなかった。なぜか。

宙吊りの時間には、独特の不安が伴う。旧い秩序が生きていた頃には、そこに留まるという選択肢自体に一定の安定があった。しかし旧い秩序がすでに死んでいるとなれば、「留まる」ことは、もはや安定ではなく、ただの空白に身を置くことを意味する。空白に耐えるよりも、たとえ根拠が薄くとも、次の一手を打ち、前進している感覚を得ることの方が、心理的には選びやすい。

これは、前回述べた仮面の防衛機制とは、別の力学である。仮面は「誤りを認められない」という、自己像の一貫性を守るための機制だった。これに対して、宙吊りの時間が生む不安は、「立ち止まる」という行為そのものに耐えがたさを感じさせる、時間の構造に由来する機制である。出どころの異なる二つの力が、たまたま同じ方向——前進の継続——を指し示すことで、互いを強化し合う。仮面は誤りを認められない。同時に、宙吊りの時間は「立ち止まる」という選択そのものに耐えがたい不安を与える。二つの力が合わさることで、「退く」という選択肢は、心理的にも、時代の構造としても、事実上消去されていく。満州事変以降の日本の指導層が繰り返し口にした「ここで退けば、これまでの努力が無になる」という論理は、単なる責任回避の言葉ではない。仮面を守る機制と、宙吊りの時間に耐えられない機制、その両方が同時に働いていた主体が、次の一手を選び続けることでしか自己を保てなくなっていた、という状態の表れである。

三、賭けが賭けを呼ぶ論理

この構造は、満州事変から対米開戦に至る一連の判断を、点としてではなく、連続する線として捉え直させる。

満州事変によって国際連盟という旧秩序から離脱したとき、日本は代わりの秩序を持っていなかった。その空白を埋めるために、日中戦争へと戦線が拡大される。日中戦争が長期化し、南京占領でも国民政府が屈服しなかったとき、その乖離を埋めるために、仏領インドシナへの進駐が選ばれる。ヨーロッパでドイツが勝利を重ね、旧来の国際秩序がさらに揺らいだとき、その空白を埋める一手として、日独伊三国同盟が結ばれる。同盟が期待に反してアメリカの警戒を強めたとき、その乖離を埋めるために、南部仏印進駐という、さらに大きな一手が選ばれる。そして、対米交渉が行き詰まったとき、最後に選ばれたのは、真珠湾攻撃という、それまでで最大の賭けだった。

一つひとつを見れば、それぞれの局面には固有の判断があったように見える。しかし通して眺めると、そこにあるのは同じ一つの形である。旧い秩序が崩れ、新しい秩序がまだ実体を持たない空白を、その都度、より大きな行動によって埋めようとする運動。空白に耐えることも、後戻りすることも選ばれず、残された道は前進だけになっていく。真珠湾攻撃が「緒戦で大勝すれば、アメリカは長期戦を嫌って講和に応じる」という、いくつもの希望を重ねた構想の上に成り立っていたことは、この運動が行き着いた最終地点を示している。もはやそれは、勝算に基づく計算ではなく、宙吊りの時間に終止符を打ちたいという、時代そのものの衝動に近いものだった。

四、宙吊りの時代は、繰り返し訪れる

旧い秩序が死につつあり、新しい秩序がまだ生まれていない——この構造は、あの時代だけに固有のものではない。国際秩序の再編期、業界の枠組みが崩れる過渡期、あるいは個人の人生における大きな転換の時期にも、同じ形の宙吊りは繰り返し訪れる。

そして、いま私たちが置かれているのも、まさにこの構造の反復である。パックス・ブリタニカが衰え、パックス・アメリカーナが確立するまでのインターレグナムは、第一次世界大戦前後に始まり、第二次世界大戦の終結によって幕を閉じた。それからおよそ百年が経ったいま、パックス・アメリカーナは、一挙に終わりを迎えつつあるのではなく、その部分から順に終わりはじめている。基軸通貨としてのドルの相対的な地位、同盟網による軍事的な保証、自由貿易を軸にした経済秩序、国際機関を通じた規範形成——これらは一枚岩の秩序ではなく、それぞれが個別に機能してきた柱である。その柱が、同時にではなく、一本ずつ揺らぎはじめている。アメリカが単独で世界秩序を支えるという前提は、もはや自明のものではなくなった。しかし、それに代わる新しい秩序——多極化した世界の中で誰が、どのような枠組みで、何を支えるのか——は、まだどこにも実体を持たない。旧いものはすでに機能不全に陥りつつあり、新しいものはまだ言葉の段階にすら達していない。かつての空白から百年を経て、世界はふたたび同じ形のインターレグナムの中にいる。

そうした時期に共通して現れるのは、「立ち止まって空白を見つめる」という選択肢が、心理的にも構造的にも選びにくくなるという症状である。空白に耐えられないまま、次の一手、さらに次の一手へと駆り立てられていく主体は、あの時代の指導層だけの姿ではない。

問われるべきは、旧い秩序が死につつある時代に、次の一手を打つこと以外の選択肢——すなわち、空白そのものに留まり、それに耐えるという選択肢が、なぜこれほどまでに困難になるのか、ということである。

これは、私がこれまで別稿で論じてきた「対立を抱える」という主題と、根を同じくする問いでもある。対立を、どちらか一方の勝利によって性急に解消してしまうのではなく、答えの出ない状態のまま保持し続けること。それによってはじめて、いずれの陣営にも属さない第三の視座が生まれる余地が残る。空白に耐えるということは、対立を抱え続けることの、より大きな時間的な相似形にほかならない。

近年広く知られるようになった「ネガティブ・ケイパビリティ」——性急に答えを出さず、不確実さや宙吊りの状態に耐え続ける能力——という概念も、同じ場所を指している。あの時代の日本に欠けていたのは、優れた分析力でも、情報でもなかった。答えの出ない空白に、答えを急がずに留まり続ける力、その一点だったのではないか。

第三回では、この賭けの連鎖が最終的に何を消し去っていったのか、対立そのものを保持できなくなった社会の代償という視座から、この国の敗戦への道を締めくくる。

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