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SNSが苦手な自分がnoteを始めてみて思ったこと


はじめに


noteの存在自体はしばらく前から知っていました。
アカウントを作らなくても読めるので
司法書士試験に関する伊藤塾の先生の解説記事を読んだりしていましたし
有料の記事を購入したこともあります。
アカウントを作ったのは、購入した記事の更新情報が届くからという理由のみで
全然自分が書く気持ちはなかったのですが
(そもそもクリエイターというのが気恥ずかしい…)

年も押し詰まったこの時期に
なぜかふと、note始めてみようかな、と思ったのです。


SNS全盛期ともいえる現在で 一つもSNSをやっていない自分が
どうしてnoteならいいかな と思ったのか
そして幾つか記事を投稿してみてどう感じているかを書いた記事です。
長くなりそうなので最初にキーワードを書いておくと、
私がnoteに感じているのは 多様性 と 放流性 です。
また後で詳しく触れたいと思います。

ネットとの出会いは2000年頃

2000年ごろのネット環境といえば
ダイヤルアップ接続が徐々にブロードバンド化し
常時接続、定額プランが始まったころでした。
当時子育て真っ最中だった自分は
仕事を終えて 子どもを寝かしつけた横で
子育て情報を交換する掲示板が息抜きで楽しみでした。

そのうちに個人でホームページを作るというのが流行りだし
Yahooジオシティーズなどにホームページを作っては
行き来する時期がありました。
今思えば結構個人情報ダダ漏れというか……
全世界に公開している、という意識はあまりなかったかもしれません。

ブログへの移行

子育て掲示板はサービスが終了してしまったので
そこからはブログへ移行していきました。
今年サービスを終了したgooブログさんには長らくお世話になりました。
元々書くことが好きだったため
gooブログは10数年続けたと思います。
その後Facebookが流行り始めた頃、ブログで知り合った人たちは
軒並みFacebookに移行していく流れがありました。
でも……

ブログを続ける中で感じていた違和感

会ったことのない人とネットを通じて仲良くなれる、というのは
確かに楽しいことかもしれません。
ただ、ブログというのはどうしてもその個人とのつながりが強くなり過ぎる。
仲良しサークルのようなものがいったんできてしまうと
見えない鎖でゆるく縛られているような窮屈さがあると思います。
毎日、サークルの誰かが記事を更新するたびにコメントをやりとりする。
巡回と称してフォローし合っている仲間を訪問しなければならない感じ。
一番違和感があったのは
贈りあったプレゼントを公開し合わないといけない雰囲気でした。

だって、実生活でプレゼントを手に持って
「これ、◯◯さんからいただいたんですよ~!」なんて
大声で言わないでしょう?

だけどブログの仲間どうしだとそうしなくちゃいけない雰囲気があったんです。相手の誕生日、お子さんの誕生日、何かのお礼などなど…
贈ってくれた相手が見ているから、
嬉しいよ~こんなに喜んでるよ~って
記事で紹介しなくちゃいけない、みたいな。
そしてさらにその記事にポジティブなコメントをしなきゃいけない、みたいな。

でも私はどうも苦手でした。
別に孤高を気取っているわけではないけれど
絆が とか つながりが とか言われると
そっと後ずさりしたくなってしまう性分。

それなのに、義務として一生懸命合わせようともしてしまう性分。

そんなこんなで Facebookへの移行が始まった頃に
そっとブログからもフェイドアウドしていったのでした。

SNSは大変そう

近所の友人も ほとんどの人がSNSをやっている印象です。
一つだけじゃなく、InstagramもXもFacebookも。
そして、同じメンバーどうしでどのSNSでもフォローし合っている。
どこへ行った、何を食べた、全部お互い監視しているみたいでちょっと怖いな、と思います。

「〇〇ちゃんと会ったんだね。〇〇ちゃんのインスタで見たよ」
「〇〇ちゃんは●●のお店に行ってたのを上げてたけど私は誘われなかったの。行ってみたいから一緒に行こう」

うーん…。見てしまうからどうしても気になるんだと思うけど
疲れそうだなあと。
ブログ時代にそういうのは十分味わったのでもういいや、と。

noteに感じた多様性と放流性

冒頭の話に戻りますが、noteさんが掲げているモットーに
「創作の街」をめざすということ、多様性を大事にしているということが書いてありました。
この多様性 というのは、もちろん「いろんな人がいていろんな考えがある」という多様性もありますが
私が思ったのは「自分の中にある多様性」にも合っているんじゃないかということ。

自分って多面的ですよね。
例えば私は調理師免許を持っていて料理に関係した仕事をしているけど
一方で司法書士の勉強もしている。
犬を飼っている。本が好き。たまに短歌も作ったりする。実家が苦手。

noteって書いた記事がそれぞれ独立しているので
そんな自分の一面だけを乗せやすいんじゃないかな と思ったのです。

そしてそれは放流性と感じたことにも通じているのだけど
書いた記事が独立して泳いでいく感覚。
泳いでいった先で誰かに出会って スキ!と思ってもらえたらうれしい。
読んだ人は、書いた人がどこの誰かは分からなくても
それこそ、街ですれ違った人に「あ、素敵だな」と感じたりするような感じ。

結局言いたかったことは

そういうのがnoteのいいところかな、と感じているこの頃です。
もちろん勝手な解釈なので、本来の良さとは全然違うかもしれませんけれども。

そしてぶっちゃけた話をすると この文章は
スキ!を押していただいたらとってもうれしいけれど
必ずしもスキ!のお返しはしないかもしれないし、フォローバックもしないかもしれません、という
私の言い訳かもしれません。

ふと無言でフォローさせていただきますがご容赦いただければと思います。

もちろん逆もそうです。私がスキ!を押したからといって無理にお返ししなくて大丈夫です。
無言フォローも大歓迎です。

お互い自由に泳いでいられたらいいですね。
長くなりましたが読んでいただきありがとうございました。
2025年12月末 
読み書きし考える赤柴 拝

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