中学2年生、日常を忘れて青春18きっぷ旅 1日目
中学2年生、流石にもう人並みな旅はしていられない。そう思った僕は効率を全て捨てて青春18切符で九州へと向かうことにした。初めて使う青春18切符だ。黒く印字された5日間乗り放題という文字を見て小さい券面に信頼感を抱いた。
内田百閒の阿房列車という本はかなり知られている。僕は贔屓にしている本である。
今回の旅は僕の祖父が同行する。
いわば、僕がヒマラヤ山系くんなら祖父は百閒先生のような存在である。前回の富山の旅なども何回も連れて行ってもらった。
最寄りの駅まで歩くだけで、夏の空気が体全体にへばりついてくる。
朝、池袋の駅名標をまじまじと見つめる。ここからあと3日もすれば九州の特徴的な駅名標を見ることになるだろう。6:30ごろに、ボックスシートに収まった僕たちを乗せた列車は、レールを舐めるような滑り出しを見せて、殺伐とした雰囲気の池袋駅を発車した。

早速胸が高まる。朝のあったかい朝日を浴びながら列車は進む。周りの風景は銀色に光る高層ビルで、蜘蛛の巣のように電線が張り巡らされている。隣を新幹線が走った。まだ横浜近くだから余裕な走りを見せているがそれでも速い。
今までの旅のスタイルを反省した。
根府川付近の太平洋を見ながら、学校の1学期を振り返った。いろいろなことがあった。だがキラキラと輝く太平洋を眺めたらそんなことなんてもう忘れてしまった。
丹那トンネルを通過する。難工事だったトンネルを通るとどうしても函南の記念碑を見たくなった。
吉村昭氏の闇を裂く道にはトンネル真上の旧函南村はわさびが採れるとても水がきれいなところだという。
だがトンネルの工事でその水が失われたらしい。トンネル工事とは難しいものである。いつか訪れたい。
静岡県に入っても結局富士山は見えなかった。新幹線では見れない富士山の一面をみようと思ったのだが。
弁天島という駅で降りた。浜名湖が目の前に見える。そして新幹線もすぐ横を全てをかき分けるようにして走っていく。
新幹線の速さがとても殺人的なものだと、痛感した。

変わらず列車はご機嫌な様子で牧之原台地を上り下りしながら滑って行く。
東京を思い出すようなビル街が見えたらもう名古屋だった。
関西本線 僕にとっては未知の路線だった。名古屋を過ぎると近鉄と並走しながらたくさんの川を渡って行く。
揖斐川や長良川、木曽川など遠くから来た川ばかりで一つひとつの川を遡りたくなった。
桑名はとても暑い街だということは知っていた。矢っ張りその日の桑名も暑かった。
僕は暑いのが苦手だから余計に堪える。そして三岐鉄道北勢線ホームで待っていた列車はまさかと思っていたが、非冷房車と書いてあった。窓を開けると少し涼しい風と、路面電車のようなモーター音がダイレクトに聞こえてきた。
列車で窓を開けたのは前に行った北海道の時以来だ。

宗谷本線で初の日本最北端を目指した。車内は冷房が効いていなく、窓を全開にして稚内まで向かった。
あの時は乗っている時どこかドキドキして、北海道にいる気分ではなかった。新幹線で行ったからであろう。
今回は在来線である。九州についても実感があるだろうという自信がある。しかしまだまだ旅は続く。
またも関西本線に帰ってきた。横にはコンビナートがある。四日市ぜんそくの発祥の地ぐらい学校でやった。
そのくらいはわかる。ずっと眺めているとなんだか不思議な気分になった。工業地帯と家が至近距離にあって、別世界と現実が交差したようだ。僕は好きだ。
関西本線というのは、亀山を境に性格が豹変する。
タバコを吸っているかのように煙を上げたキハが亀山駅の広い構内に居座っていた。その頃同行の祖父は熱中症のようになっていてほとんど魂が抜けているようだった。

加太駅からは力強く標高を稼いでいく。下り坂が見えないくらいの上り坂、あそこを自転車で登っているようだった。気動車は人間のようで面白いようで気味が悪い。
草津線に乗り換えると気持ち良いくらい下り坂をスキップするように下りていく。
雲間から漏れ出す景色がとても綺麗だった。東京だと狭い空、そしてスマホなどでほとんど気づかないだろう。

ミドソド♪というドアチャイムを聴くと西日本に来たという感情になる。その日は草津線沿いで旅を終えた。通常だったら、そこには9時ごろについているはずである。まだまだ、旅は続く。
補足 続きの記事が出たのでぜひ見てください!
