【英語教育】キング牧師の授業指導案⑦(中学校)―「差別は終わったのか」を考える―
第7時:いまも続く問いとして
単元の最後となる第7時では、キング牧師の生涯を振り返りながら、「差別は過去の出来事なのか」という問いを、生徒たちと一緒に考える時間にしました。まずはこのような感じで話します。
King fought for justice all his life.
In the end, he was killed.
But the world changed a lot.
So, do you think discrimination still exists today?
すると、生徒からすぐにNoと返ってきました。そこで、一枚の写真を見せます。ワシントン大行進のときのように、大勢の人々が集まり、黒人の手が空に突き上げられている写真です。

When do you think this photo was taken?
Do you think Dr. King is here?
生徒たちはすぐに答えられませんでしたが、直感的に「違う」とわかっているようでした。そして気づきます。
S:「違う、カラー写真!」
“Yes. This photo was taken in 2020.”
「2020年?なんで?」という表情が広がりました。
大坂なおみ選手のマスクから
次に見せたのは、大坂なおみ選手の写真です。口元にはモザイクをかけています。

Who is this?
S: Osaka Naomi.
Yes. What is written on her mask?
Ss: George…

That’s right. It says “George Floyd.”
続いて、もう一枚の写真を見せます。そこに写っているのは、ジョージ・フロイドさんの妹、ブリジット・フロイドさんです。

What do you think she is saying?
S : 差別とか?
彼女のマスクには「8:46」と書かれています。この数字は、白人警察官がジョージ・フロイドさんの首を押さえつけていた時間を示しています。そのまま、彼は命を落としました。この事件は、白人による黒人への暴力として、世界中に大きな衝撃を与えました。
Black Lives Matter という言葉

Read this.
Ss: Black Lives… Matter? (matterを辞書で引いてもらいました)
ここで、生徒たちには日本語で補足しました。「黒人の命は大切だ」という意味になります。もちろん、「All Lives Matter(すべての命は大切)」も正しい考え方です。ただ、現実には黒人の命が軽んじられてきた歴史があるからこそ、「Black Lives Matter」という言葉が生まれたのだと思います。
膝をつく抗議
続いて、スポーツの試合前に、選手たちが片膝をついている写真を見せました。

この光景を見たことがある生徒もいました。これは抗議のポーズです。はじめは「スポーツマンシップに反する」と批判されることもありましたが、次第に賛同の輪が広がり、今では黒人だけでなく、白人も、日本人も、このポーズで差別への抗議を示しています。
キング牧師が生きていた時代とは、少しずつ違ってきています。確実に、前に進んでいる部分もあると感じます。しかし、それでもなお、差別は完全にはなくなっていないことが分かります。
同じ15歳の言葉に出会う
ここで、キング牧師のお孫さん、ヨランダ・レニー・キングさんについて紹介しました。そして、彼女が15歳の時に多くの人の前でスピーチした原稿を配布しました。
https://www.un.org/sites/un2.un.org/files/pdf_of_her_remarks.pdf
班ごとに、私が翻訳したものを音読しながら読んでもらいました。
ヨランダさんへ手紙を書く
最後に、生徒たちには「君たちと同じ15歳の時に、ヨランダさんは思ったこと、感じたこと、伝えたいと思ったこと、素直に書いたら良い」と伝えました。「返事は来ないと思うけど、気持ちは届くかもしれないよ。」とも伝えました。 キング牧師の歴史から学んだこと、ヨランダさんの言葉に触れて感じたこと、自分の中に生まれた問いや願い。生徒たちは時間をかけて、丁寧に綴っていました。
教材研究を進める中で、「どうにかして、生徒たちの思いを本人に届けられないだろうか」と考え、調べていく中で The King Center の存在を知りました。確実ではありませんが、ここに送ればメッセージを届けてもらえるかもしれないと思い、メールを送りました。
さいごに
日本では、差別は「過去のもの」「遠い国の出来事」のように感じられることが少なくありません。しかし、目に見えにくい形での偏見や無意識の線引きは、今も私たちの身近なところに存在しているのではと感じます。
人は自分より下に誰かを置くことで安心しようとする生き物なのかもしれません。しかし、その安心は、誰かの尊厳を傷つけることでしか成り立たない、どこか悲しいものだと思います。
キング牧師が幼い頃に経験した、「黒人も白人も一緒に遊べる世界」。それは本来あたりまえで努力なくして実現できなければならないものだと思います。ですが、その「あたりまえ」が守られない現実があったからこそ、彼は声を上げ続けたわけです。
その問いは、私たちの前にまだまだ課題として山積しています。差別のない社会とは誰かが戦ってつくるものではなく、一人ひとりの日常の選択や言葉、態度の積み重ねによって形づくられていくものなのだと思います。そういうことは、人権教育を通じて伝えていきたいところですね。高校生になった子達が「中学校で習っていたような人権の話、一つも習わない。おかしいと思う」と言っていました。そして中学生に「中学生の間に真剣に学んでおく方が良いよ」と伝えていました。
今回の単元を通して、生徒たちが「正解」を見つけたとは思っていませんし、きっと「こうすれば良い」という正解なんてものもないのだろうと多います。ただ、「自分だったらどうするだろう」「自分には何ができるだろう」と立ち止まって考える時間を持てたこと。それ自体が、何かしらの学びになっていたらいいなと願うばかりです。
キング牧師の物語は、過去の偉人の話ではなく、いまを生きる私たち一人ひとりへの問いとして、これからも続いていくんでしょうね。英語の授業を通して言葉の力と、人の生き方について考えた時間が、生徒の心のどこかで残り続け、いつか花咲いてくれることを願います。
(私も、とても勉強させていただきました)
