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結果を出しても、出さなくても同じ。 20年放置した評価制度を作り直した。


結果を残した人も、残さなかった人も、手にするものは同じ。

うちの会社は長いあいだ、そうだった。


わかっていなかったわけじゃない。むしろずっとわかっていた。
ただ、手をつけられなかった。

目の前の課題が多すぎて、そこにお金も労力も回せなかったし、社内の議論も正直そこまで熟していなかった。

それに、苦しいときほど制度の話って響かないんだよね。持ち出すとみんなの反応はむしろ逆を向く。

一度、頓挫している

白状すると、今回が初めてじゃない。

7〜8年前に一度、会社を横断する制度に手をつけたことがある。

でも頓挫した。

いま振り返ると、あのときはまだその段階じゃなかったんだと思う。

裏を返せば今なら間に合う。今がそのタイミングなんだ。

犯人は担当者じゃなかった

背中を押したのはあの案件だった。大きな仕事を、粗利がほとんど残らないまま終えてしまった。

知ったとき、最初は担当者を責めそうになった。

でも少し考えて、向きが変わったんだ。

人は有益性のバランスで動く。ルールが曖昧なら、どこに力を入れればいいのか迷う。「これだけ残ればいい」って考えるのは、その仕組みの下ではむしろ自然なことだ。

本人の問題じゃない。仕組みがそう仕向けていた。

そう考えると、責められるべきは自分のほうだった。

経営者の仕事

本人が意識しなくても、自然と粗利が残る方に足が向く。しかもそれが本人の喜びや手取りにつながっていく。

そういう仕組みを用意するのが経営者の仕事なんだと思う。

うちには長いあいだ、二つが足りていなかった。

ひとつは教育。創業者にはできて部下にはできない仕事の勘どころを、渡していく仕組み。

もうひとつは制度。出した結果と受け取る処遇をちゃんとつなぐ仕組み。

今回作ったのは後者のほうだ。

約束だけ先に走らせない

本当は賞与を約束したかった。ずっとそう思ってきた。

ただ、評価の基準がないまま賞与だけ約束しても公平にはならない。「達成したのに何もなかった」なんて思いは誰にもさせたくない。

かといって、基準が曖昧なまま約束だけ先に走るのも違うと思う。

だから二つを同時に作った。約束と基準を。どっちかが欠けたら、もう片方も嘘になってしまうから。

自分で立てて、自分でサインする

制度そのものはそんなに複雑じゃない。

目標を立てる。結果を見る。達成すれば処遇が上がる。届かなければ上がらない。大きな損害を出したときは下がることもある。

上から一方的に評価を下すんじゃなくて、目標を自分で立てて自分でサインしてもらう。

やったことがちゃんと見える会社にしたいんだ。制度はそのための道具でしかない。

「評価制度なんて、本質じゃない」

ある幹部にそう言われたことがある。

言いたいことはわかる。でも自分の考えは違うんだ。

これは本質の一つだと思っている。制度そのものが目的なんじゃなくて、決めたことを正しく走らせるための道標になる。

それがないと、人はどこへ向かって頑張ればいいのかわからなくなってしまう。

一人で作ったわけじゃない

社員に説明する日、自分でも意外なくらい落ち着いていた。

理由はすぐにわかった。この制度は自分一人で作ったものじゃないからだ。

人事を任せた仲間が、考えを一つずつかたちにしてくれた。

一人で抱えた仕組みはその一人が倒れたら止まる。でも何人かの手で作った仕組みは、そのあともちゃんと走り続ける。

毎朝、神棚の前で

毎朝、神棚の前で手を合わせて願っていることがある。

働いてくれているみんなに、きちんと賞与を出せる会社になること。

恥ずかしい話だけど、長いあいだそれができていなかった。

でも今期やり切れたら、その約束をやっと果たせる。

頑張った人がちゃんと報われる。うまくいったらその果実をみんなで分ける。

想像するとちょっと笑ってしまう。

20年かけてやっとここまで来た。準備はだいたい整った。

ここからが面白いところだ。

DW


追伸

ここまで真面目な話をしておいてなんだけど、最後に少しだけ雑談を。

前回はAIの活用をこれ見よがしにタイトルへ出して書いた。正直、あれは失敗でしたね。

ついでに白状すると、この文章もAIの力を借りて書いてます。

……と言っても、いまどき誰も驚かないんだろうな。

たぶんみんな、もうとっくに気づいている。世の中に出回っている文章の何割かにはもうAIの手が入っている。とんでもない速さで進むこの技術に、書くほうも読むほうも正直ちょっと振り回されているんだと思う。

一年前は「AIっぽい」ってだいたい悪口だった。それが今じゃ、そう言いながらみんなちゃっかり使ってる。技術より先に、こっちの気持ちのほうが慣れてきたんだよね。

自分のやり方はこうだ。伝えたいことを熱量のまま勢いでぶつける。散らかった言葉をAIに整えてもらう。夜中でも文句ひとつ言わないし、こっちに媚びない。「そこ、論理が飛んでますよ」って平気で返してくる。正直、そこがかなり助かっている。

ただ、中身は間違いなく自分のもの。熱も迷いも恥ずかしい過去もぜんぶ。そこだけは誰にも何にも渡していない。

もう一つだけ白状してしまうと、ここまで書いてきて1回目から3回目を改めて読み返してみた。そうしたら、なんというか、自分が思っているより堅い。ちょっと暗いし、かっこつけすぎてるし気持ち悪い。

たぶん慣れないうちに気合いが入りすぎたのかな。

だからここから少し肩の力を抜いていくことにする。中身はこれまで通り本気ですが。でも雰囲気は、普段しゃべっている自分にもう少し近づけていこうと思う。

そのほうがきっと長く続くと思うんだよねえ。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


次回は、もう一つの足りなかったもの。「個人技を、組織に渡す」教育の話を書きます。

→ その回はこちら:20人のコピーを作るより、20人の『らしさ』を育てることにした。

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