開いた器〜辺野古事故・特別委が全会一致で可決された日〜 辺野古転覆事故・第40稿
七月十三日、沖縄県議会の最終本会議で、辺野古沖の転覆事故を調べる特別委員会の設置が、全会一致で可決された。
五日前、この提案は否決される見通しだった。第39稿で書いた通り、七月八日の各会派代表者会議では、提案した自民会派以外のすべての会派が、捜査中で時期尚早だとして慎重な姿勢を示した。調べる場所が、ひとつずつ閉じていく——僕はそう書いた。学校は調査中と言い、県は立場にないと言い、議会は時期尚早と言った、と。
その最後のひとつが、五日で反転した。
三日間の推移
経過を並べる。
七月八日、代表者会議で意見は一致せず、設置議案は否決の公算が大きいと報じられた。この週、台風九号が先島に迫り、県議会は日程の変更を告知していた。自然の時計と議会の時計が並走する中で、最終本会議の日は近づいていた。
七月十日の夜、遺族がnoteを更新した。県議会に向けて、こう書かれていた。沖縄県側の受け入れの仕組みを検証できるのは、沖縄県と県議会しかありません。時期尚早という言葉については、時間の経過とともに記憶は薄れ、資料は失われ、風化だけが進んでいく、と。そして、こう結ばれていた。事故の検証は基地への賛否とは切り離して行われるべきです。特定の会派の賛成によってではなく、会派を超えた合意によって調査が行われることを願っています。調査の過程で直接話を聞く必要があれば、お受けします、と。
七月十一日、公明が賛成に転じる方向で調整していることが分かった。公明はそれまで、九月の知事選を前にした政争の具にすべきではない、として、採決では退席する意向を示唆していた会派である。政争の具にしない——この論理は、それまで退席の理由だった。転じたあとは、同じ論理が、全会一致に加わる理由として働くことになる。政争化を避けるために距離を置くか、政争化を避けるために合意に入るか。同じ言葉が、反対向きの二つの行動を、どちらも支えうる。
七月十三日、本会議当日の議会運営委員会で、与党会派も賛成する方針を示した。全会一致。与党会派の議員は、賛成に回った理由をこう述べた。遺族の心情を踏まえてというのが一番大きい、と。
この日の午前、産経新聞は調整の様子を報じていた。その記事の中に、遺族の投稿を読んだという県議の言葉がある。本格的な議論は九月からとなるだろうが、その前に情報収集などできることもある。可決に向け、ギリギリまで協議を行う、と。読んだ県議が、いた。そして遺族は、投稿にこう書いていた。知華のためにも、また、同じような子どもたちのためにも、力を尽くしたい、と。
願いは十日の夜に公開され、十一日に一つの会派が転じ、十三日にすべての会派が並んだ。noteの言葉が議会を動かしたのかどうか、それを証明する術を僕は持たない。因果は、誰にも断定できない。ただ、投稿を読んだ県議がいたことは報じられており、時系列は、この順序で並んでいる。
会派を超えた、という形
結果の形を見る。
遺族が願ったのは、可決そのものではなかった。可決のされ方だった。特定の会派の賛成によってではなく、会派を超えた合意によって——この一文は、賛成多数での可決と、全会一致での可決を、区別している。
自民と公明の賛成だけでも、数の上では可決できた。十一日時点の報道は、自公の賛成で可決の公算大、と伝えていた。そこで止まっていれば、調査は「野党と中立が押し切った調査」という色を帯びたまま始まっただろう。九月に知事選を控えた沖縄で、その色は調査の中身より先に立ったかもしれない。
十二日前、与党側の議員は、一般質問への姿勢としてこう述べていた。学校の教育に対して、県議会が政治の場からチェックする権限は私たちにはない、と。その位置から、今日の賛成までの距離を、僕は評価しない。ただ、十二日間で、その距離が歩かれた、という事実だけを置く。
十三日、与党も賛成に回った。全会一致になったことで、この特別委員会は、どの会派のものでもなくなった。誰かが勝ち取った器ではなく、全員で置いた器になった。遺族が区別していたのは、まさにこの違いだったのだと思う。調査の結論がどうあれ、入り口が全員の合意であることが、結論の重みを支える。
付帯決議という条件
可決には、条件が付いた。与党会派の要望により、付帯決議が行われる。関係機関の調査に影響を及ぼさないこと。教育現場に配慮すること。
ここで、第39稿で書いた言葉に、もう一度出会う。捜査中——あのとき、この言葉は調べない理由として使われていた。捜査中だから時期尚早だ、と。
今回、同じ配慮が、別の場所に収まった。捜査や調査に影響を及ぼさないという条件は、調べない理由ではなく、調べ方の条件として、決議に組み込まれた。調査をやめる論理だったものが、調査と共存する形に変わった。言葉の中身は同じでも、置かれた場所で働きが変わる。第39稿で「同じ言葉が問う側を止める方向と問われる側を守る方向の両方に働く」と書いたが、三つ目の働き方が現れたことになる。条件として、調査の内側に入る、という働き方だ。
教育現場への配慮、という付帯にも、見覚えがある。四日前、玉城知事は文部科学省で、国の学校調査について、結果を踏まえた対応が平和教育の萎縮を生まないよう配慮を求めていた。調査と配慮のセット。国のレベルでも、県のレベルでも、同じ組み合わせが反復されている。配慮という言葉が調査をどう形づくるのかは、これからの運用が示す。
器の中身
特別委員会が調べるとされているのは、事故の経緯、安全管理、平和学習における船舶利用の実態、再発防止策。資料の提出や参考人の招致も視野に入れる、と報じられている。
第39稿で確認した通り、この事故をめぐる調査は難航してきた。国の運輸安全委員会は、運航関係者の誰からも聞き取りに応じてもらえていないと、大臣が五月に明かした。沖縄総合事務局の調査では、他校の乗船は確認されなかった——だが七月、報道機関の取材が、別の二校の乗船を明らかにした。聞き取りに依存する調査の外側から、事実が出てきた形だった。
参考人招致と資料提出という器の道具は、突き合わせを可能にする。遺族は十日のnoteで、三月の校長会見の説明——救急車や警察車両が来ることで事実がすべて分かった——と、映像や報道が示す時刻との間に、整合性がないと指摘し、再度の説明が必要だと書いていた。個々の説明と個々の記録を、公の場で突き合わせる。特別委員会とは、まさにそれができる場所のはずだ。
県議会の特別委員会が、この難所をどう越えるのかは、まだ分からない。参考人招致に、誰が応じ、誰が応じないのか。資料は、どこから、どこまで出てくるのか。器は置かれたが、中身はこれからだ。
一つだけ、確かなことがある。遺族は、直接話を聞く必要があればお受けする、と先に書いていた。調べられる側ではなく、調べる場に協力する側として、最初に手を挙げていたのは、遺族だった。
願いに戻る
この連載は、同じ向きの動きを書き続けてきた。第34稿で、名簿が消えた。第36稿で、対面の謝罪が欠けた。第38稿で、識別の底が空いていた。第39稿で、調べる場所が閉じた。消える、欠ける、空く、閉じる。何かが明らかになる道が、塞がれていく記録だった。
五日後、その一つが開いた。それも、遺族が願った通りの形——会派を超えた合意——で開いた。閉じていく流れを書き続けてきたこの連載で、初めて、開く方向の動きを記録する。
器が置かれただけで、何かが明らかになったわけではない。風化に抗えるかどうかは、これからの調査の中身が決める。それでも、百二十日目に、公の調べる場所が一つ増えた。その事実を、今日の日付とともに、記録しておく。
僕は書き続ける。
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