旭日旗はなぜ韓国人の感情を逆撫でするのか
サッカーW杯北中米大会、日本対チュニジア。W杯通算1000試合目という節目だった。その観客席の旭日旗が、また韓国で問題になっている。誠信女子大の徐坰徳教授がFIFAに告発メールを送ったという。
この手の話は、たいてい「韓国がまた騒いでいる」で消費される。あるいは2011年、奇誠庸の猿真似の言い訳に話を回収して終わる。僕はその両方に乗りたくない。一人の選手の嘘で国民感情が動くなら、その感情はもともと脆い。実際は逆だ。彼の嘘が燃え広がったのは、燃える薪が先に積まれていたからだ。
問うべきは薪のほうである。なぜ「旭日旗」でなければならなかったのか。
空席だったシンボル
植民地支配への感情という土台は、韓国に強固にあった。ところが、それを背負う具体的な視覚記号が欠けていた。
日章旗を叩けば日本という国家そのものへの敵意になる。角が立ちすぎる。ナチスのハーケンクロイツのような、叩いても誰からも文句の出ない「悪の記号」が対日感情には存在しなかった。
そこに旭日旗が、ちょうど空いた椅子に座るように収まった。新しい憎しみを一から作るより、既存の感情に新しい標的を与えるほうが、はるかに速く広がる。
その椅子が2011年まで空席だったことは、記録が示している。1998年と2008年、韓国で開かれた国際観艦式に海上自衛隊は自衛艦旗で参加した。反発らしい反発は起きていない。確認されている範囲では、それ以前の旭日旗への抗議も数年に一度の散発的なものにとどまる。無関心は、つい最近まで実在した。
ナチス類比という翻訳装置
旭日旗=ハーケンクロイツ。この等式は、国内向けの理屈ではない。国際社会への翻訳装置だった。
「植民地支配が悪い」は世界に届きにくい。「これは日本版ナチス旗だ」は一瞬で通じる。ホロコーストという人類共通の絶対悪に相乗りすることで、二国間の歴史問題が普遍的な正義の問題に格上げされる。
徐教授の活動が一貫してFIFA、IOC、海外企業という「国際的な場」を狙うのは、この翻訳が効くからだ。
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