辺野古転覆事故 それぞれが選んだ言葉
事故から57日が経った。生徒たちが口を開き始めた。
生徒が書いたこと
不屈に乗っていた同志社国際高校2年生2人が、経験を書面にまとめた。ご遺族の許可を得た上で公開されたものだ。
辺野古のテントで説明と地図を受け取り、細い堤防を歩いて乗船した。自民党県議団の現地視察で確認された通り、防波堤の幅は50センチ程度、砕石が積まれた場所から1.2メートル下の船に乗り込む形だった。「今日は波が穏やかだから大丈夫だよ」。金井船長からそう言われ、安心して船に乗り込んだ。救命胴衣は床に置いてあり、各自で着用した。
最初は穏やかだった。珊瑚礁の説明を受けながら、島をぐるっと回った。「船長さんと船の操縦について話していた流れで、操縦してみると提案してくださったので操縦することになりました」。2人が各5分程度、不屈の操縦体験をした。その間、海保の巡視艇と並走していた。
帰路。「急に海の色が濃く変わり、波が荒くなってきました。船のスピードもかなり上がり、横から大きな波が来てそのまま転覆しました」。
「横から大きな波が来るのを見て私たちは叫びましたが、船長さんはまっすぐ前を向いたまま何も言わずに操縦していました」
転覆後、浅瀬に流れ着いた5人ほどが船の破片に捕まった。男子生徒がスマホを取り出し、海保に電話した。5分ほどで救助が来た。
証言書面の末尾はこう結んでいた。「ともかの告別式に参列させてくださり、直接お別れが言えるようにしてくださってありがとうございました」
「撮影禁止」と言われた場所で
事故から約1カ月後の4月18日、沖縄県内で勉強会が開かれた。「沖縄戦の記憶継承プロジェクト 戦争をしない/させないために」。琉球新報社が実行委員会に入り、編集局幹部が委員を務めているプロジェクトだ。
この日のフィールドワークの途中で、事前の告知なしにヘリ基地反対協議会の浦島悦子共同代表が登場した。運営スタッフは浦島氏が話し始める前に、参加者に「撮影禁止」を言い渡した。
浦島氏は約25分間にわたり語った。「虚偽情報が山ほど流されている」「私は知らなかった」「産経新聞や週刊誌報道を鵬呑みにしないで」。さらにこうも述べた。「私たちは学校やご遺族への謝罪の申し入れをしているんですけど、まだ実現していない状況で」と。ご遺族の記録には、沖縄滞在中の3日間、協議会からの接触がゼロだったことが確認済みと記されている。謝罪を申し入れているが相手が断っているという印象の言葉が、撮影禁止の場で語られた。
後日、琉球新報に掲載されたこの日の勉強会の紹介記事には、浦島氏のスピーチ内容はおろか、辺野古に立ち寄ったことすら書かれていなかった。
週刊文春・週刊ポスト・マネーポストWEBが参加者から音声を入手し、それぞれ報じた。琉球新報はこの件についての問いに「お答えは差し控える」と回答した(マネーポストWEB 2026年5月)。
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