夢子式【未来のためにできること】どんなにきみの周りがクソみたいだとしても。
【未来のためにできること】それは、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読むこと。
第二次世界大戦時、ユダヤ人強制収容所での過酷な生活の体験、また被収容者の精神の変遷についてを、被収容者でありながらも精神科医の立場として綴った世界的名著。
夢子はこの本を図書館で借りて、その後自分で購入した。普段、本は買わない派なんだけれど、なんでだか、これは手元に置いておかないといけない気持ちになったの。
「ただの生活の有り難み」を忘れやすい夢子は、時折この「夜と霧」の白い背表紙が目に入って、ピリリとした気持ちにさせられるわ。自分への戒めになる。
今は池田香代子さんが新訳を出されているけれど、夢子は下山徳爾さん版をあえておすすめさせてもらう。少し分かりづらい文かも知れないけれど、その分、理解できた時の心の震えは大きいと思うの。
夜と霧の中で、ヴィクトールフランクルはこう書いてた。
「結局、最後まで問題なのは、人間なのです。その人の、人間性なのです。
わたしは強制収容所で、ユダヤ人を助けるSSの将校を見ました。
また、ユダヤ人であっても、ナチスよりも非道な行為に及んでいる囚人もまた、見たのです」
これを夢子は、つまり「どんなにきみの周りがクソみたいだとしても、きみがクソまみれになるかどうかはきみが選べる。クソの野原に咲く花になれ」ということと解釈してる。
クソみたいなことが多すぎて、気付いたら自分もクソみたいになってる、なーんてことは往々にしてある。
夢子、お恥ずかしいのだけれど、暑かったり寒かったり荷物が重かったりすると、それだけで人間性が少し、悪くなる。心の余裕を失って、少し性格悪くなる。それだけで。ちょっとの空腹や喉の渇きもできれば我慢したくない。
だけど、そんな自分のそういう弱さ愚かさを知っているから、夢子は他人の弱さにも同情する。
横暴な人、意地悪な人、損得勘定ばかりの人、みんな弱くて愚か。そういう人にいちいち腹を立てたり、傷ついたりする夢子もまた、弱くて愚か。
どうして、そんなことすら許せないのだろう。
フランクルは、著書の中で一度もナチスを罵ったり、恨んだりしなかった。慎重に、繊細に、そして断固とした意志を持って、そちらに筆が流れないよう注意を払っていた。
その態度は、夢子にまさしく【未来のためにできること】を教えてくれたわ。
「夜と霧」を読むこと。
そして、どんな時でも「人間」であるよう努めること。

