僕なりの京極夏彦のススメ、それは 『美少女キラー』 なのかもしれないよ、たぶんね|||シン小説 No.016
初詣の帰り道だった。
コロナ禍ではあったが、参拝客は、けしてまばらではなかった。
ここが名のある神社だからでもあるのだろう。
参道の砂利は夜露を含んで鈍く光り、吐く息が白い。人影はまばらで、屋台の鉄板の匂いだけが冷気に残っている。
石灯籠が並んでいた。
その幾つかが、白いものを纏っている。
「なあ、京極堂」
私は、足を止めて尋ねる。
「灯籠がマスクをしているんだが、なぜだかわかるかい?」
京極堂は煙草に火をつけ、すぐには答えなかった。煙が白く伸びる。
「灯籠は、光を供えるものだ」
京極堂は言った。
「魂を慰め、境界を守り、闇を退ける」
私は、灯籠を見上げる。
「境界?」
「神域と人の世の境界だ」
風が通り、マスクがわずかに揺れた。
「昔な」
京極堂が続けた。
「嵐、海難、干ばつ、飢饉とかね、災難が続くと、民は神社へ赴いた」
「神頼みってやつか」
京極堂は静かに言った。
「宮司は神意をうかがい、儀礼の方法を示す」
「どんな?」
「参道の灯籠に札を納める」
私は、振り向いた。
「札?」
「八つの札に、八人の少女の名を書く」
「八人も?」
「八は全体を示す数だ。村全体の未来を神前に置く構造になる」
思わず、私の喉が鳴った。
「そして、宮司も誰の名がどこにあるか知らぬまま、儀式の場で灯籠が選ばれる」
「くじ引きじゃないか」
「神意だ」
「でも、どうして少女なんだ」
「未来だからだ」
「未来?」
「共同体の存続を象徴する存在だ」
私は、顔をしかめる。
「しかも、処女で美しい娘が選ばれる。
清浄性と生命力の象徴だ」
京極堂は淡々と続ける。
「共同体が差し出せる最大の祈りでもある」
私は、さらに顔をしかめた。
「そんな娘、村の有力者が放っておくわけがないだろう?」
「だから神意に委ねる形式が必要になる」
「人間の恣意を排するためか」
「そうだ」
「でも、集めるのだって大変だろう」
「当然、隠す者も出る。逃がす者も出る」
私は、目を伏せた。
「親だものな」
「共同体の存続と、家族の存続は衝突する」
風が止んだ。
境内は静かだった。
「だがな」
京極堂が言った。
「少女たちを揃えようとしている間に、嵐は去り、雨が降ることが多い」
私は、顔を上げた。
「時間が解決する?」
「儀礼は、人が恐怖の時間を渡るための装置でもある」
私は、小さく息を吐く。
「宮司は言う」
京極堂は続けた。
「あなたたちの思いが神に届いた、と」
私は、灯籠をみる。
「誰も死なずに済むな」
「だが」
京極堂の声は、低く落ちた。
「飢饉のように、終わらぬ災厄もある」
私は、息を止めた。
「そのときは、
くじは引かれ。
灯籠が選ばれ。
名が呼ばれる」
境内の空気が、わずかに重くなる。
風が止む。
音が遠のく。
灯籠の火は揺れない。
世界が呼吸を止める。
少女たちは白布をまとう。
灯籠の前に立つ。
名を書いた札は、灯籠の光の中に納められ、誰も配置を知らない。
知らぬことが、恨みを生まぬための秩序となる。
宮司の祝詞が流れる。
意味ではなく、響きとして空気を満たし、古い音が人の内側を撫でてゆく。
灯籠の一つに手が触れる。
その瞬間、世界の重心がそこへ集まる。
札が引かれる。
紙の擦れる音だけが夜に響く。
名が呼ばれる。
時間が止まる。
呼ばれた名だけが現実となり、他の名は未来のまま残される。
少女が一歩前に出る。
誰も泣かない。
泣けば秩序が崩れるからだ。
本殿の神台に寝かされる。
三種の神器。
少女に鏡が渡された。
少女は、それを抱く。
最初で最後の煌めく贈り物。
勾玉も渡される。
それは、いつか授かるはずであった、赤子の幻影のようなもの。
そして、刃が現れる。
灯籠の光を受け、その線は境界そのもののように空間に浮かぶ。
血飛沫が舞う。
少女は奥へ運ばれる。
拝殿の奥、本殿のさらに奥、不可視の中心。
そこから先は誰も見ない。
光だけが残る。
揺れているのは、人の心だけだ。
「境界は越えられた」
京極堂が言う。
風が戻る。
灯籠の火が揺れる。
夜が再び動き始める。
「……本当に殺したのか?」
私の声は掠れていた。
京極堂は答えない。
やがて言った。
「供犠は必ずしも死を意味しない」
「見えぬはずのものを、人は見たと信じる。信じることで儀礼は完成する」
「神社は人の世界と神の世界を分ける構造を持つ」
京極堂は参道の奥を指した。
「拝殿の奥に本殿があり、そのさらに奥に神座がある」
「見えない中心か」
「そこへ運ばれることは、神域への移行を意味する」
私は、黙って聞くことにした。
「秦河勝。神社建立の祖とされ、芸能の祖とされる。その秦河勝を祀る社もある」
京極堂は続けた。
「神楽、猿楽、能――芸能は神を迎え、変身と再生を体験させる技術だ」
「変身とは境界の通過だ。
要するにマジシャンズトリックだよ、関口くん」
「そうか、そうか!鐘が落ちて鬼になる、あれか」
京極堂は、少し間を空けて続ける。
「それにね、神職や芸能者は各地を巡る。民は村を出ぬが、彼らは、ほうぼうにネットワークを持つ」
「神社は外界との窓口か」
「集会所であり、市場であり、出会いの場であり、情報の交差点でもあった」
私は笑った。
「ファミレスとか、コンビニみたいなものだな」
京極堂は否定しなかった。
そして、まるで神社の本殿を舞台かのように見つめながら、言う。
「能の一座の役者として、因果を学び、ときに他の集落に、巫女として降臨する」
「村人は、少女が生きているとは知らない」
「戻らぬ者は死者として記憶される」
「だから灯籠が供養となる」
私は、振り返る。
白いマスクをした灯籠が並んでいる。
「身代わりとなった象徴として、魂を慰める光か」
「記憶は祈りへと変わる」
京極堂は、わざとらしく手を合わせてみせた。
境内を出かけたところで、立ち止まる。
石段の脇に、ひとつだけ、マスクをしていない灯籠があった。
京極堂は黙って自分のマスクを外し、
そっと灯籠に掛けた。
何も言わず歩き出す。
私はその背中を見ながら、足を早めた。
夜気は冷たかった。
だが、しかし、どこかやわらいでいた。


実を言ってしまうと、京極堂というのは、彼が勝手に成り切っているだけなのだ。
ただ、この成り切りに付き合わないと、彼は語るのをやめてしまう。
『なりきり屋』と仇名されるほどのこだわりがあるらしく。
この、なかなか興味深い四方山話を、途中で終わらせるのも惜しかった。
すまないが、便宜上、京極堂と関口ということで。
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