【抜苦与楽──苦しみを消すのではなく、苦しみに支配されない心へ】
私は以前、「人生は山登り」という記事を書いたことがあります。
人生には、平坦な道ばかりではありません。
登っても登っても終わりが見えず、立ち止まりたくなる日もあります。
そんなとき、仏教には私たちの心を静かに支えてくれる考え方があります。
それが「抜苦与楽(ばっくよらく)」という言葉です。
文字どおりに読めば、
苦しみを取り除くこと
安らぎを与えること
という意味になります。
私はこの言葉に出会ったとき、「誰かを助けるための教え」だと思っていました。
しかし学びを深めるうちに、それだけではないことに気づきました。
本当に向き合うべき相手は、まず自分自身の苦しみだったのです。
ブッダが説いた教えの中心には、「苦」があります。
人生には思いどおりにならないことがある。
老いも、病も、別れも、執着もある。
だからこそ苦しみが生まれる。
しかし、ブッダは苦しみを悲観したのではありません。
苦しみには原因があり、その原因が分かれば、苦しみに振り回されない生き方ができると説きました。
これが四聖諦という教えです。
私はこの教えを知ったとき、「苦しみを消す」のではなく、「苦しみとの付き合い方を変える」ことが大切なのだと感じました。
苦しみを無理に忘れようとしても、心は何度も同じ場所へ戻ります。
快楽で埋めても、一時的な安心しか得られません。
けれど、自分の苦しみを静かに見つめることができるようになると、不思議と心は少しずつ落ち着いてきます。
苦しみは消えていなくても、苦しみに支配されなくなるのです。
私は、これこそが「楽」の意味なのではないかと思っています。
仏教でいう「楽」は、楽しさや快楽ではありません。
何が起きても大きく揺れない心。
安心して呼吸ができる心。
その静けさのことです。
また、仏教には「慈悲」という言葉があります。
慈とは、相手の幸せを願う心。
悲とは、相手の苦しみに寄り添う心。
この二つは、どちらか一方だけでは成り立ちません。
苦しみを理解する心があるからこそ、幸せを願う心も本物になります。
だから私は、「抜苦与楽」とは特別な人だけができることではないと思っています。
家族の話を最後まで聞くこと。
落ち込んでいる人を責めないこと。
笑顔で挨拶をすること。
そんな小さな行動も、誰かの苦しみを少し軽くし、安らぎを届ける一歩になるのかもしれません。
そして、その出発点は、自分自身の心を整えることです。
自分が苦しみに飲み込まれているとき、人に安らぎを与えることは簡単ではありません。
だからこそ、まず自分の心を見つめる。
苦しみを否定せず、静かに受け止める。
その積み重ねが、やがて周りの人への優しさにもつながっていくのだと思います。
私は仏教を学ぶたびに感じます。
人生から苦しみをなくすことは難しい。
しかし、苦しみに振り回されない生き方は、誰にでも学ぶことができる。
「抜苦与楽」とは、そのための実践であり、自分自身と周りの人の心を少しずつ穏やかにしていく、生き方そのものなのではないでしょうか。
【第2部】【クリエイターさまの記事】
ここから先は、順不同にての記事の紹介になります。
いつも本当にありがとうございます。
Photo & philosophy donchan
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