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人にはそれぞれ「ものさし」がある

ものさし


子どもの頃、誰もが一度は使ったことのある「ものさし」。

長さを測るための道具ですが、人の心にも、それぞれ違う「ものさし」があるように思います。

同じ出来事を見ても、笑う人もいれば怒る人もいます。

同じ言葉を聞いても、励まされる人もいれば傷つく人もいます。

それは、どちらが正しい、どちらが間違っているという話ではありません。

持っている「ものさし」が違うだけなのです。

教育の現場で20年以上子どもたちと向き合ってきて、この「ものさし」の存在を何度も感じてきました。

今日は、その話をしたいと思います。


ものさしが違うと、伝わらない


先日、生徒たちと好き嫌いの話になりました。

私は、

「普通の野菜は食べるよ。」

と言いました。

食べないのは、ブロッコリーやカリフラワーです。
(生産者の皆さん、ごめんなさい。)

すると生徒が言いました。

「ブロッコリーも普通の野菜だよ。」

私は、生産量の多いキャベツやジャガイモ、大根、白菜などを思い浮かべ、「普通」と表現しました。

一方、生徒たちは、

「スーパーで普通に売っている野菜」

「家で普通に食べる野菜」

という意味で受け取っていました。

どちらも間違ってはいません。

ただ、「普通」を測るものさしが違っていただけなのです。


英語にも似たような例があります。

a fewfew

どちらも「少し」と習いますが、実際には受ける印象が違います。

a few は「少しある」。

few は「ほとんどない」。

同じ数量を見ても、どちらのものさしで捉えるかによって、伝わる印象は大きく変わります。


ここまで見てきたように、ものさしは長さだけを測る道具ではありません。

人は誰でも、自分だけのものさしで世界を見ています。

つまり、「ものさし」とは、人が物事を感じたり、判断したり、受け止めたりする基準なのです。

だから、

「これくらいで疲れたの?」

「そんなことで傷つくの?」

「もっと頑張れるでしょう。」

という言葉も、自分のものさしで相手を測ってしまっている言葉なのかもしれません。

100m走で考えると分かりやすいでしょう。

陸上選手にとって100mはウォーミングアップかもしれません。

しかし、普段運動をしない人にとっては100mでも息が切れます。

どちらが正しいわけでもありません。

体力のものさしが違うだけです。


勉強でも同じです。

30分集中すれば精一杯の子もいます。

「たった30分?」

と思うかもしれません。

でも、その子にとっては、本当に頑張った30分なのです。

大切なのは、自分のものさしではなく、相手のものさしを理解しようとすることです。


子どものものさしに合わせる


教育の現場では、こんな言葉を耳にすることがあります。

「こんなのも分からないの?」

言った本人に悪気はありません。

自分のものさしでは、「簡単なこと」だからです。

しかし、その一言で子どもの心は閉じてしまうことがあります。

「自分はできない。」

「質問するのが怖い。」

「もう勉強したくない。」

そんな気持ちになってしまうのです。

子どもが分からないのは、能力が低いからとは限りません。

説明の仕方が、その子のものさしに合っていないだけかもしれません。

私は、理解してもらえなかった時ほど、

「どうして分からないのだろう。」

ではなく、

「どうすれば伝わるだろう。」

と考えるようにしています。

言葉を変える。

図を書いてみる。

身近な例に置き換える。

一歩戻って説明してみる。

教育とは、自分の知識を披露することではありません。

相手のものさしに合わせ、理解できる場所まで降りていくことなのだと思います。


ものさしは、少しずつ伸びていく


教育とは、今の子どもを受け入れるだけではありません。

もちろん、できないことを責める必要はありません。

しかし、「この子はこういう子だから」と最初から限界を決めてしまうことも違うと思っています。

子どもは、誰でも成長する力を持っています。


以前、支援学級に通う中学一年生の子と勉強したことがあります。

学校ではまだ習っていなかった分数の計算に挑戦しました。

最初は苦戦していましたが、一つずつ理解を積み重ね、最後には自分の力で解けるようになりました。

その時の笑顔は、今でも忘れられません。

そして、その子は言いました。

「来週もまたやりたい。」

私は、その一言が何よりもうれしかったのです。


教育とは、できる子をさらに伸ばすことだけではありません。

昨日より少しできるようになること。

「やってみたい」と思えること。

その積み重ねによって、子どものものさしは少しずつ伸びていきます。

20点しか取れなかった子ではありません。

昨日より10点伸びた子です。


他の子と比べる必要はありません。

昨日のその子より、今日のその子が少し成長していること。

その一歩を支え続けることこそ、教育なのだと思います。


私たち大人のものさし


子どもにものさしがあるように、大人にもものさしがあります。

長く生きてきた分だけ、その目盛りは増えています。

しかし、長く使ってきたものさしだからこそ、知らないうちに思い込みや経験で固まってしまうこともあります。

それが、いつも正しいとは限りません。

自分のものさしだけが正しいと思った瞬間、人の話は聞こえなくなります。


教育も、子育ても、人間関係も同じです。


相手のものさしを理解しようとすること。

そして、その人が昨日より少しだけ成長できるよう支えること。

それが、本当の意味で「育てる」ということなのではないでしょうか。

子どもは、昨日までできなかったことが、今日できるようになります。

私は、その瞬間を20年以上、何度も見てきました。


だから私は、子どもの可能性を簡単には決めつけたくありません。

教育とは、自分のものさしを押しつけることではなく、その子のものさしを理解し、少しずつ伸ばしていくこと。

それが、私の考える教育です。


自分のものさし


最後に、もう一つ大切な「ものさし」があります。

それは、自分自身に向けるものさしです。

私たちは、人には優しくできても、自分には厳しすぎることがあります。

「まだ頑張れる。」

「休んではいけない。」

「自分が我慢すればいい。」

そんなものさしを、自分自身に当て続けてはいないでしょうか。

私自身、今年二月に母を亡くしました。

受験直前ということもあり、葬儀など必要な日以外は仕事に出ました。

教室のドアを開けるまでは、悲しみでいっぱいでした。

それでも、ドアを開けた瞬間には気持ちを切り替え、生徒たちの前ではいつも通りでいようと努めました。

もちろん、それが仕事です。

でも今振り返ると、自分に対して少し厳しすぎるものさしを当てていたのかもしれません。

悲しい時は、悲しんでいい。

苦しい時は、「苦しい」と言っていい。

疲れた時は、休んでいい。

それは甘えではありません。

自分を大切にすることです。

子どものものさしを理解しようとするように、自分のものさしにも、ときどき目を向けてほしいと思います。

無理を続けることだけが頑張ることではありません。

自分を守れる人だからこそ、長く誰かを支え続けることができるのだと、私は今、そう思っています。


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