半村良の防御的虚構
半村良の作品において、登場人物たちは、そうとは意識していなくとも、それが自分たちの属性であると確信しているかのように、ディフェンスに徹しきっている。自分の身を守るにせよ、あるいは、自分とは異なるが関わりを持った他人を庇護するにせよ、彼らは守ったり守られたりする役割を、身についた本能を発露するがごとく演じている。
半村良の記念すべき直木賞受賞作「雨やどり」のタイトルが象徴するように、急に降られた雨に立ち往生するかそけき佇まいの弱き人々に傘をさしだしたり、一時の避難所を提供したり、半村作品の主要な登場人物たちは、庇護しなければならないひとを傘の中に入れることで、立ちどころのうちにささやかな温もりの共同体を形成し、さらにはその温もりを土台にした運動の輪を周囲に波及させてゆく。この運動を大がかりに展開するなら、『産霊山秘録』の日本そのものを庇護する<ヒ>一族になり得るし、『岬一郎の抵抗』における下町共同体の擁護が国家との衝突にまでいたる事態を引き寄せることにもなろう。
再び「雨やどり」に話を戻すと、同作が収録された短編小説集『雨やどり』は、半村良の基本的な生存様式となっている傘の下の体の寄せ合いが、手を変え品を変え登場する。『雨やどり』の主人公は仙田という名のバーテンダーである。飲食店に限らず床屋でも行きつけの店ができれば、なんやかや他人行儀ではない濃い関係が出来上がるものだが、とりわけそれが飲み屋であるなら、なおのこと人情のやり取りが行き交い、ただならぬ愛憎関係が育まれる。相当に濃厚である。この濃厚さは、世代的なものであり、地域的なものであろうか。例えば、生まれた年も生まれた土地も半村とは異なる村上春樹の小説に登場する飲み屋は、まるで異次元の世界のごとくに隔たっている。『風の歌を聴け』の主人公が行きつけの店としている「ジェイズ・バー」は、店名からして趣きが違うし、次のような光景は半村作品ではまずお目にかからない。主人公は、ある日、「ジェイズ・バー」で、「30歳ばかりの女」と偶然席が隣同士となる。女は誰かと待ち合わせらしく、なかなか現れない相手に店の公衆電話から3回電話を入れるが、4回目の電話の時に、主人公から小銭を借りることとなる。電話から戻ってきた女と主人公の間で次のような会話が始まる。
「待ち人来たらず、ね。あなたは?」
「らしいですね。」
「相手は女の子?」
「男です。」
「じゃあ私と同じよ。話が合いそうね」
僕は仕方なく肯いた。
「ねえ、私って幾つに見える?」
「28。」
「嘘つきねえ。」
「26。」
女は笑った。
「でも悪い気はしないわよ。独身に見える?それとも亭主持ちに見える?」
「賞金は出るんですか?」
「出してもいいわよ。」
「結婚してる。」
「ん……、半分は当たってるわね。先月離婚したのよ。離婚した女の人とこれまでに話したことある?」
「いいえ。でも神経痛の牛には会ったことがある。」
「何処で?」
「大学の実験室でね。5人がかりで教室に押し込んだ。」
女は楽しそうに笑った。
「学生?」
「ええ。」
「私も学生だったわ。60年ごろね。良い時代よ。」
いかにも80年代の村上春樹らしくスタイリッシュなまでに軽い。精神科医の斎藤環が注目するグルーミング=毛づくろいとしてのコミュニケーションの典型だともいえる。意味も重さも周到に遠ざけられている。「神経痛の牛」云々といったレトリックが当時受けていたのだろうし、またそれが村上特有のスタイルである無意味なものにあえて拘る姿勢の神話化につながっていたであろう。もうひとつ『風の歌を聴け』から村上春樹を特徴づけるスタイルを引いてみる。
かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。
高校の終り頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思いつきを、何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。
それがクールさとどう関係しているのかは僕にはわからない。しかし年じゅう霜取りをしなければならない古い冷蔵庫をクールと呼び得るなら、僕だってそうだ。
おそらく「キャラ」や「空気を読む」という行動規範の源流は、このような生のスタイルにあるのであろう。「心に思うことの半分しか口に出」さないことこそが、「キャラ」の属性であり、掟であるのだから。そこで優先されるのは端的に言って、システムの論理である。システムというとメカニカルな印象になってしまうが、それは空気であり、経済的熱のようなものである。あるいは現在そのものといっていいかもしれない。『風の歌を聴け』の舞台となるのは、1970年の8月8日から26日までの夏の一時期であるが、1970年6月23日の日米安保条約が自動延長された後のこの時期には急速に反システムの熱は冷め、現在に従順な姿勢を受け入れるスタイルが広がり始めたことだろう。このような状況においてシステムの対抗軸となり得るのは、過去やそれに付随する意味であり、もう少し肉感的に言うとふるさと感覚のようなものであるが、1979年の『風の歌を聴け』には、そのようなものは見当たらない。『風の歌を聴け』が連呼する「意味などないさ」は、そのようなものの不在を暗示するし、意味も伝統も知らないが現在における優勢だけは保持しているかに見える貨幣システムとかなりなものを共有していると言える。例外的なのは、この作品の末尾に登場する、ラジオ番組に送られてきた脊髄の神経を病んだリスナーから送られてきた手紙であるが、この手紙の言葉も作品の舞台と直接的な関わりはなく、どこか異国(たとえば中東ガザとか)の不幸を遠くから眺めている印象となっている。あるいは、それこそが村上が狙ったものかもしれなく、この薄っすらと冷ややかな高度消費社会の現実とそれに対するささやかな違和の表明が賭けられているのかもしれない。ラジオのディスク・ジョッキーが発する「僕は・君たちが・好きだ」という言葉は、浮きまくっているのだが、それをも含めて、言葉を無力化するシステムへの精一杯の抵抗が、好意的に受け取るならば、感受できる。
一方、では、半村良のほうはどうであろうか。半村の場合、半村は意味の人であるとは、ひとまず言える。半村は、村上と違って、拡散する現在に同化することはなく、過去にこだわりを持っている。歴史に意味を見出す半村には共同体への信頼感がある。ただしそれは極めて小さな共同体であり、ことによると虚構の共同体であるかもしれない。『雨やどり』の主人公仙田は、妻子のいない独身者であるが、それと同様、肉親の親兄弟についても希薄で、作品中血のつながった家族が登場することはない。どうやら半村は母親に対して複雑な感情を抱いているらしく(彼の家庭はいわゆる「母子家庭」であった)、父親に複雑な感情を抱いていた村上春樹との共通点がうかがえる。村上の場合、小説に母が登場することはまずなく、対立者としての父親がいるばかりだ。『1Q84』や『海辺のカフカ』に登場する父親はいわゆる「毒親」である。
仙田が勤めるバー「壺」や「ルヰ」に集まってくるのは、訳ありで不幸な人々ばかりである。彼らは、不幸であるがゆえに、「実際以上の何かを自分の上に積みあげ、その虚像を理解させようとする」者もいれば、室谷という男のように虚像を持たず「箍が外れてバラバラになる」直前の者もいる。そもそも仙田に住居を提供し、「ルヰ」の経営を任せることになる建築士の野本という男は、『雨やどり』の冒頭の作品「おさせ伝説」で、親とそりが合わずに家を出てしまった不幸な男として登場する(この家出の原因は、作品の結末で明かされるが、なんとも吃驚するもので、一種のホラーとも言えるし、一種のSFであるとも言える。味付け次第では、ロバート・F・ヤングふうのSFになったかもしれない)。野本の「背中が赤剝けに剝けているような痛々しさ」が仙田の何かを刺激し、深い付き合いへと発展するのだが、このベタついた感じは村上春樹にはないものである。
ところで、このベタつきを伴う古いスタイルは、『雨やどり』が刊行された1975年がギリギリのラインであったようで、「昔ごっこ」という短編は、作品のタイトルからしてそのことに自覚的である。物語の内容は、資本の運動によって解体される新宿の最後のあがきを描いている。解体するほうは銀座に進出して勢力を拡大し続ける大阪資本の「茨木興業」であり、狙われたのは新宿の老舗キャバレー「ゴールデン・ベア」である。言うなれば、「量的拡大」しか信じない資本と「時間の厚み」に愛着を覚える意味との戦いである。
茨木興業は、ゴールデン・ベアの隣にある焼き肉屋や中華料理店を乗っ取り、いよいよゴールデン・ベアにも手を伸ばそうとするが、ゴールデン・ベア側もM銀行の地元支店の融資で、木造の建物をビルに改築することで抵抗しようとする。とはいうものの茨木興業は、M銀行の本店に圧力をかけその手を封じ込める。次に茨木興業は乗っ取った隣の店をキャバレーにして、ゴールデン・ベアの客を奪い取る戦略を画策するのだが、ゴールデン・ベアおよび地元の飲み屋関係の人間たちは「ゴールデン・ベアを守る会のようなもの」を結成し、「同じ土俵の中なら敗けやしねえ」と昔ながらの歓楽街の手法で巻き返しに打ってでる。
ター坊とかゲンさんとか地元の呼び込みの名人を押さえ、おさわり、おさすり、ノーパンティと「曲射ち」と呼ばれる禁じ手も取り入れ、上野、池袋、小岩といった潜在的な銀座の対抗地域からもホステスが呼ばれる。さらには鶯谷のキャバレーから凄腕のホステスを四,五人連れて来て、そのうちの一人は「十二番のテーブルで本番」までやらかす始末である。こうした数々の狂宴は、資本という現在のためよりも、過去への哀悼の儀式として行われたのである。坂を上り始めた新宿の青春の輝きの再現であった。「そのちょっと混乱気味の、はめを外したサービスこそ、勃興期の新宿の味である。安っぽいオードブルと、客のふところを計算しながら飲ませるテクニック。行って損のないキャバレーがあるとしたら、それはそのときのゴールデン・ベアであった」。一種のふるさと感覚のようなものが作用しているように感じられる。登場人物たちは口をそろえて次のような言葉を発する。
あたしもやっぱりみんなと同じなのよ。新宿がかわって欲しくないの。そういう人間よ。安いお酒と安いたべ物で満足してた、昔の新宿のまんまでいてもらいたかったの。
俺たちは新宿の乗り遅れ組だ。時代をおっかけて不人情な商売にかえるくらいなら、店に火をつけて燃やしちゃったほうがいいくれえのもんだ。
夢の中にいる気分だぜ、まったく。日本中、もうどこへ行ったってこんな場所はありゃしねえもんな。
昔ごっこを演じること、あるいはふるさとの気配をもうひとつの現在として感受すること、それが半村的ディフェンスのありうべき形態であり、特徴ではあるまいか。半村が自らを稀代の嘘つきと呼び、擬(偽)史を量産するのは、エンターテインメントの快楽と同時に、消えつつある(あるいは消滅した)ふるさとの擁護ではないか。正史が勝者の側にあるのなら、擬(偽)史は敗者の側にある。昔ごっこは資本の論理の側ではなく、互酬や贈与の側にある。昔ごっこの「ごっこ」がはずれ、ふるさとが互酬の論理を忘れる時、ふるさとは暴力に接近する(イスラエルのように)。キャバレー「ゴールデン・ベア」的なものが存続しえたのは、1975年あたりまでであったろうか。80年代にはそれは「偽善」だと貶められていた。それは新自由主義の優勢とぴたりと重なる。われわれは80年代の呪縛からまだ自由でないようである。
今回は「新宿」および「昔」がらみの音楽を。まずは椎名林檎の「歌舞伎町の女王」。椎名の曲で最初に聞いたのがたぶんこれ。ファーストアルバムは名曲揃いの傑作だが、サウンド、メロディの素晴らしさは言うまでもないが、歌詞のレベルがとんでもない水準である。どこからあれらの言葉は出てくるのか。
次いで、ノスタルジー・ナンバーの定番と言っていいカーペンターズの「イエスタディ・ワンスモア」。おそらく洋楽に目覚めたきっかけを作ってくれたのがこの曲である。私がいわゆるポップス・ナンバーをけっして馬鹿にできないのはカーペンターズ体験があるからである。
そのカーペンターズの影響を受けているかのような南沙織の「ひとかけらの純情」。南沙織はたんなるアイドルとしては片づけられない数々の素晴らしきナンバーを昭和歌謡の世界に届けてくれた。
最後はフォー・シーズンズの「December, 1963」。フォーシーズンズもそのポップス・センスにおいてカーペンターズと重なるところが多いと、私は受け取っている。
