雑記1475「終わりくるフランクル」
しつこいけどヴィクトール・フランクル引用回。これで最後。
たまたま録ってるレコーダーを見た部分が(言うてもこれで4回目だが)いまの自分にピッタリんこ! ってのが続いちゃうので、また今回もすんばらしい考えを載せちゃって終わっちゃう。
今日のは、生きることに意味は有る派、意味なんか無い派の論争が終わる考えだと思う。
いや、そんなに真新しくもないかもだが、こういうのってその時その時で同じ自分でも刺さり方違うじゃん? 今日は「あーっ」ってなったので、ね。
意味ということを根源的に問うならば、
この世界の出来事全体に意味があるとは考えられないでしょうか。
まったくの無意味か、すべてが有意味かという決断は、
論理的に考えると、根拠がない決断です。
人間は、もう論理的な法則からこの決断を下すことができません。
ただ自分自身の存在の深みから、その決断を下すことができるのです。
ただ一つのことははっきりしています。
究極の意味、存在の超意味を信じようと決断すると、
その創造的な結果があらわれてくるでしょう。
信じるというのは、
ただ「それが」真実だと信じるということではありません。
信じることを、真実のことにするのです。
たんに考え方の可能性にすぎないものを実現することなのです。
これも昨日同様ややこしいんだけど、すんごいこと言ってると思う。
「信じるというのは、ただ「それが」真実だと信じるということではありません。信じることを、真実のことにするのです」
のところは、よくキンコン西野が言ってるような、選んだことを是が非でも正解にするってような意味ではもちろんなくて、あることをAであると信じる人も、同じことをいやいやBであると信じる人も、世界の中では辻褄が合うということで、辻褄が合うどころか(それぞれそう解釈しても差し支えないというような両者の考え方の違いの数々の隙間を掻い潜って、というような些末な意味ではなく)、どちらも、本当の本当にそうなっている…という摩訶不思議なことが起こっているんだろう。
だから、オレはまだ一応「意味無い派」は一種の理解不足、経験不足、感情不足だとは思っているが、無いと思う者にとってはそれは本当の本当に無い…ということなんだろう。
いまオレの目の前に目薬がある。この世のおそらくは誰を呼んで来て、ここに目薬がありますか? と聞いても「はい」と答えるだろう(もちろん目薬を知ってるかどうかの話ではないんや)。
でも、それが存在しないと本当に思ってる稀有な人にとっては、その人が単なる「稀有な未認識者」ということではなく、本当の本当に存在しないんだろう。
(こう考えたら、認知症の人ってのはその名づけのブサイクさと関係なく、実は本当に、多くの人が認知できない何かを認知しているかもしれんよなぁ)
こう書いててもオレも意味がわからんが、これがフランクルの言いたいことであると思う。
目に見えないもの、それは幸福や神や目に見えない幽霊なんかについては特に顕著で、この世の法則からではそれが有るとも無いとも言えない。その量りは”現世製”のものではあり得ないんだから量りようもない。
ただ、オレにとって気持ちいいのはここ。
「ただ一つのことははっきりしています。究極の意味、存在の超意味を信じようと決断すると、その創造的な結果があらわれてくるでしょう」
そうか、だからオレの好きくないタイプの著名人らはそうなのか、と思うんだ。オレの好きくないヤツらはみんながみんな、何も作ってない。偉そうに知識を集めて伝達するだけの人間。だから「そんなものに意味なんかない」と悟ったように言うのだ。創造的(上記の(立ち現れてくる)”創造的”とはまったく文脈関係ない)なことを何もしてないんだから(そのかわりに判断(あってるかどうかしらんが)や正否決め(あってるかどうかしらんが)がヤツらのすべて)。
って、カッコ読みづらっ。
最近は、なんでもかんでもぜんぶスピに持ってく人も苦手なオレだけども。
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