生活保護受給者が直面する「自立への壁」──診断書代を巡る制度のいびつな実態
突然ですが、みなさんは「生活保護制度」について、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
「他法優先」という言葉を聞いたことはありますか?
これは生活保護制度の根幹をなす考え方のひとつで、「利用できる他の制度があるなら、そちらを優先的に使ってくださいね」という原則のことです。この原則自体は、制度の効率的な運用のためには合理的で、必要なものだとされています。
しかし、この「他法優先」の原則が、時に当事者の「自立」を阻む壁となってしまう現実があります。今回は、精神疾患を抱えながら、生活保護の受給者として自立を目指すAさんが直面した、制度の「いびつさ」についてお話ししたいと思います。
生活保護と「他法優先」の原則
生活保護には、生活費を賄う生活扶助、住居費を賄う住宅扶助、そして医療費を賄う医療扶助など、8つの扶助があります。
このうち、医療扶助とは診察料や入院費、処方薬代まで全額助成されるもので、生活保護受給者の健康維持に欠かせません。
その医療扶助を受ける際には、生活保護法第4条で規定された「他法優先の原則」が適用されます。つまり、自立支援医療(精神通院医療)(※1)や更生医療(※2)など、利用できる医療費の減免制度があれば、そちらを先に利用することが求められるのです。
以下が生活保護法第4条の部分です。
第四条 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
2 民法(明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
3 前二項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。
ケースワーカーは、この原則に則って、対象となる可能性がある受給者に対して、診断書を書いてもらうよう促し、これらの制度を申請するように指導します。
他法優先の事例
他法優先の原則は、このほか様々な場面にて適用されます。
① 労災保険(労働者災害補償保険法)
内容:仕事中や通勤途中のケガ・病気に対して医療費や休業補償を行う制度。
生活保護との関係:労災が認められる場合、まずは治療費については労災保険が100%優先(医療扶助の出番なし)。休業補償(所得補填)については不足があれば生活保護の補足として給付される。
② 障害年金(国民年金法・厚生年金保険法)
内容:病気やケガで障害状態になったときに支給される年金。
生活保護との関係:障害年金を受け取れるなら、それを優先的に生活費に充てる。生活保護はその後の不足分を補う役割となる。
このように、「他法優先」は 医療系(健康保険・労災・障害医療費助成)だけでなく、所得補填系(年金・手当)にも幅広く及ぶ のが特徴です。
Aさんを襲った、まさかの「診断書代問題」
転院先で知らされた事実
Aさんは、もともと大きな拠点病院に自立支援医療を適用しながら通院していました。自立支援医療を利用して治療を続けていたのですが、諸事情により転院することになりました。
転院先の病院で、改めて自立支援医療の更新手続きを進めることになったAさんは、ここで思わぬ壁にぶつかることになります。
それは「診断書代」の問題でした。
Aさんが通院していた以前の病院では、更新にあたっては医療事務の窓口で規定の書類を提出し、申請するのみでした。ところが、更新時期に差し掛かった際に、転院先の医療事務の方から「自己負担分」を請求されたのです。
このときに、診断書料に対して「医療扶助で負担できる金額は3000円まで」という上限があることを初めて知ることになりました。
診断書代が3,000円を超える部分は自己負担になります。しかし、物価高騰の影響で、生活保護費だけでは日々の生活が圧迫されているAさんにとって、この「自己負担分」は大きな負担となります。
行政との相談
Aさんは、担当ケースワーカーに相談しました。
生活保護は本来は国が行う業務ですが、「法定受託事務」と言って、代わりに地方自治体が実際の事務を行っています。
※法定受託事務についは、こちらの記事で触れています。
Aさんは大阪市在住なので、大阪市が窓口となりますが、実務的な窓口は市の内部機関である「区」の保健福祉を担当する部署になっています。
Aさんはまず、「上限を超えた自己負担分の捻出が厳しいこと」、「転院先の病院が幸いにも相性がよく、自立(=就職)がより現実味を帯びつつあり、自立支援医療の適用をしないまま、現在の通院を継続できないか」と相談しました。
しかし、ケースワーカーからは
他法優先の原則から自立支援医療の更新するよう指導せざるをを得ない立場である。
自己負担ができないのであれば、診断書代が3,000円以内で済む病院を探して、そこで治療を。
という回答でした。
そして同時に大阪市全体の生活保護を統括している福祉課にも同様の問い合わせをしましたが、回答はほぼ同じでした。「市としては医療機関にかかる診断書代を3000円以内に収めてもらうように要請している」ということも添えられていました。
昨今、医療機関の経営状況が厳しさを増す中で、診断書料を3,000円以内に抑えている医療機関を見つけることは、至難の業であると言えます。
そもそも大病院への通院自体、地域の拠点病院や、救急医療の要としての役割を鑑みれば、これは事実上、受給者側に過度な探索負担を強いることにつながります。
自立を目指す当事者にとっての「二重の負担」
病院選びの負担
まず、生活保護受給者が医療サービスを受けるには、その医療機関・薬局・介護機関が「生活保護指定医療機関」である必要があります。
またAさんは、過去に別の病院でいろいろ話をしたかったにもかからわず、「もう時間がない」と、診察中に医師から心無い言葉を投げかけられ、なかば診察を切り上げられたにも近い経験がありました。
転院は、再び同じような経験をするかもしれないという不安をAさんに与え、精神的な負担を増大させました。
医療機関の選定にかかる経済的負担
さらに、診断書代を事前に公開している医療機関はほとんどなく、Aさんは転院先を探すために、一つひとつ電話で確認するしかありません。これはかなりの経済的な負担です。
また仮に条件に合致する医療機関が見つかったとしても、距離や受診時間帯などによって、通院にかかる身体的・精神的負担が大きい場合もあります。つまり、長期的な負担も見越して探すということです。
区の自立支援医療の申請窓口に、選定の相談を持ち掛けても「選定のお手伝いはできない」という答えで、さらに状況は複雑になりました。
「自立を目指しているのに、制度の壁が邪魔をして、むしろ自立から遠ざかっている……」
このような状況に直面し、Aさんは日に日に体調を崩していきました。
当事者の負担となる「制度の矛盾」
実は、今回のケースは制度上、大きな矛盾を孕んでいます。
生活保護に関する取扱いや事務手続き等は、生活保護法にすべて規定されているわけではなく、『保護の実施要領』や厚生労働省からの『通知』等に基づき、自治体は運用しています。
厚生労働省の通知「生活保護と他法の調整」(1987年5月28日 保発第52号)の中に、重要な記述があります。それは、「生活保護の医療扶助を適用すれば、被保護者は自己負担ゼロ」という内容です。
加えて実務解説書『生活保護手帳 別冊問答集』には、「自己負担軽減型の制度(自立支援医療など)は生活保護中は適用しない」と明確な記載があるのです。
これは、医療機関が生活保護受給者に医療サービスを提供した場合、「医療扶助」と「自立支援医療」という2つのルートで医療費を自治体に請求をすると二重請求されるリスクがあるため、「二重給付を避けるため、生活保護ルートで全額精算する」という運用をしており、それを裏付けるものなのです。
つまり、自立支援医療を使おうが、生活保護の医療扶助を使おうが、最終的に国・自治体が負担する財源は変わらないということなのです。
こうした運用ルールを鑑みると、当事者である生活保護受給者が自己負担額を払い損するだけとも見ることもできます。
そして、そもそも自立支援医療や更生医療の申請自体、申請したからといって「100%申請が通る制度ではない」のです。そのような結果が不確実な出費を強制するような指導をする仕組み自体が、「生活保護受給者の自立」をより遠ざけるものとなっているのです。
制度の柔軟な運用を求めて
再び窓口へ相談
これらの事実を踏まえ、Aさんはケースワーカーさんに以下のことを伝えました。
自立支援医療を申請することの経済的負担、ならびに改めて転院先を探すことの心理的・経済的負担
生活保護を継続しながら、現状の病院での治療を継続することが、中長期的な観点から自立に向けて最も望ましいこと
更新手続きをしようがしまいが財源の変化がないのであれば、実質、当事者がさらに経済的負担を背負うだけになるのではないか
診断書代の上限超過分を、一時扶助や臨時扶助として支給してもらうことはできないか
この4つ目の主張についてですが、「生活保護手帳 別冊問答集」に「自立支援医療更新のための診断書費用は、医療継続に必要な場合、扶助対象とできる」という記載があるためです。これは自治体の判断に委ねられていますが、今回のケースはまさにその「医療継続に必要な場合」に該当するのではないか、と訴えた意図があります。
相談の結果
後日、ケースワーカーさんから回答がありました。
診断書代の超過分は扶助できない
自立支援医療の更新や転院をせず、今の病院に通院し続けてもよい
結果的にAさんの望んだとおり、治療を中断することなく、同じ病院に通い続けることが認められました。
ただ、この結果が出るまで当事者の精神的負担が重くのしかかり、病状が悪化したことにより、目指している「自立」から遠のいてしまった事実は看過できません。
補足:生活保護受給者が自立支援医療を必要とするとき
今回のケースは、生活保護受給者が自立支援医療の適用を強制されかねない場面でしたが、逆に必要とする場面もあります。
それは「自立」への道筋ができて、保護廃止(=生活保護の打ち切り)が見えてきた場合です。
保護廃止になると、医療扶助もなくなります。そうすると今まで扶助で賄われてきた医療費が、一気に負担となって生活に重く圧し掛かってくることも想定されます。
そうなると生活が破綻し、また生活保護に逆戻りするリスクを孕んでいます。そうならないように、保護廃止となる前に自立支援医療や更生医療が利用できる可能性がある人は、事前に申請をしておくことでリスクを低減できる場合があります。
こうした場面では、適宜ケースワーカーが適切に判断していくことが重要です。
当事者に寄り添う、温かい制度へ
今回のAさんのケースは、生活保護制度が抱える課題の一端を示しています。
「他法優先」の原則は重要ですが、その運用が当事者の心理的・経済的負担を増やし、自立を遠ざけてしまうようでは、本末転倒ではないでしょうか。
内閣府共通意見等登録システム「規制改革・行政改革に関する提案」のご紹介
そして、今回のケースが制度主旨と矛盾していることを指摘するため、管轄の厚生労働省に連絡を試みましたが、電話はつながりにくく、しかも通話料も自己負担となり、社会的弱者が伝えるにはなかなかハードルが高くあります。
そこで、内閣府のHPにある「規制改革・行政改革に関する提案」という意見募集フォームを利用してみました。
これは「規制改革・行政改革について、広く国民の声を伺い、規制・制度の見直しや行政組織・運営の改善に結び付ける」ことを目的としており、直接の返答は得られませんが、「提案は、所管省庁で検討し、所管省庁の回答をHPで公開」するということです。
みなさんも、日々の行政に対しての提案があれば、ぜひ利用を検討されてみてはいかがでしょうか。
真に当事者に寄り添う制度へ
自立を目指す当事者を、制度が応援する──。
そのために、今回のケースのように、柔軟な運用がなされることが大切です。将来的には、通知の改定や制度の再設計など、行政全体の対応も求められます。
国や、一部の政党は「社会保障費の削減」を政策として訴えていますが、額面的な削減ではなく、今回のような制度の矛盾や歪さを改善することによる削減を目指してほしいものです。
当事者が孤立することなく、安心して治療を受け、自立への道を歩める社会となるよう、私たちも声をあげ続けていく必要があります。
みなさんのご意見も、ぜひお聞かせください。
【注釈・参考資料】
(※1)自立支援医療(精神):精神疾患のある人を対象に、通院医療費の自己負担を1割に軽減できる制度。申請・更新には医師の診断書が必要です。また申請・更新にあたっては病状など条件がある。
(※2)更生医療:身体障害者手帳所持者向けの、18歳以上を対象とした負担軽減制度。障がいに伴う手術や治療にかかる医療費を軽減。申請・更新には診断書の提出が必要。
「生活保護と他法の調整」(厚生労働省からの通知、1987年5月28日 保発第52号)
実務解説書『生活保護手帳 別冊問答集』:公的機関が発出したものではないが、「保護の実施要領」等の規定を補完する事務連絡として、厚生労働省が発出した「生活保護問答集について」を収録した実務書。
※今回のAさんのケースの掲載に関してはご本人の了解を得ています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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