短編小説『楽園』

楽園
この世界には苦労というものが存在しなかった。
陽光は常に穏やかに大地を照らし、夜は満天の星が人々を包む。
畑を耕さずとも木々は果実を実らせ、川を覗けば魚が群れをなして飛び跳ねる。
獲物は自ら罠にかかり、病も災いもない。
人々は争うことを知らず、財も名誉も求めない。
朝には太鼓が鳴り響き、広場では老人が子どもと手を取り踊る。
昼には歌声が波のように重なり、誰もが笑いながら酒を酌み交わす。
夜には炎を囲み、愛を語り、快楽に身をゆだねる。
生きることは、ただ「楽」そのものだった。
ただ一人、マラキだけはその輪の中で時折涙を流していた。
皆の笑顔を見ているのに、理由もなく胸が締めつけられる。
夢の中では知らぬはずの言葉――“労働”“苦難”――がよみがえり、
彼はそのたびに目覚めては、賑わいに取り残されたような孤独を覚えた。
子どもの声は消え、宴の輪は老いた者たちで埋め尽くされた。
それでも太鼓は鳴り、最後の歌と舞が夜空に響き渡る。
マラキは杯を掲げ、胸に熱いものを抱えながら思った。
――それでも、この笑い声を愛していた。
そして静かに呟いた。
「これは……壊れた夢にすぎない」
その瞬間、世界にノイズが走った。
───ジッ、ジジジッ……。
「……またダメだったか」
無機質な声が闇に漏れる。
「楽園も失敗、戦乱も失敗。やはり人間という種は、困難や争いがなければ繁栄しないらしい」
「そのようで。シミュレーションは再び破綻しました」
冷たい返答が重なる。
「次のシミュレーションでは、人々が必ず対立し、奪い合うように設計しよう」
星空はひときわ強く瞬き、太鼓の音も歌声も炎も、すべて途切れた。
楽園は消えて、新しい世界が再構築された。
あとがき
喜怒哀楽物語 第四週『楽』に参加させていただきました。
なかなか面白いテーマだったのに、四週目で気づいたので最後だけ……。
少し前に『マトリックス』の裏設定を解説した動画を見ました。
ご存じの方も多いと思いますが、一作目が公開されたのは1999年。
もう四半世紀前なんですね。
言わずと知れた名作SF映画ですが、当時の印象は人によって結構違ったと思います。
僕のまわりは“バレットタイム”“ワイヤーアクション”といった派手な映像表現に盛り上がっていました。
でもSF好きの僕にとっては、設定そのものがたまらなく魅力的で夢中になったんです。
最近その裏設定を解説した動画を見て、改めて唸らされました。
仮想世界はAIに管理され、何度も再構築されている。
過去には本作で描いたような「地上の楽園」の世界も存在した。
しかし、人類はどうやら“自分で意思決定できない世界”では生き延びられない。
だから最終的に、僕たちが暮らす現実に近い世界になったのだそうです。
今回「楽」を題材にしたとき、まさにそのイメージがよぎりました。
楽しいことしかない世界は幸福に見えるけれど、繁栄にはつながらない。
そんな教訓めいた物語として形にしたのが、今作です。
……とはいえ、僕自身は働くのが大嫌いです。
できることなら、毎日楽しいことだけして生きていたい!
ここまで読んでくださってありがとうございます!
もし「楽しいことしかない世界」がお好きなら、ぜひスキやフォロー、コメントをお願いします。
読者の反応が、僕にとっての“現実世界でのエネルギー源”です。
現在はフードデリバリー配達員を題材にした連載小説『配達員ろること2号』を公開中。
こちらは逆に“楽”なんてほぼ無縁、雨と坂道とタワマンに苦しむ物語です。
それでも笑ったり泣いたり恋したり……つまり「喜怒哀楽フル装備」なので、ぜひ覗いてみてください。
Xでは、配達員あるあるや小説の進捗、AIイラストの試作品などをゆるく発信しています。
「毎日楽しいことだけして生きたい」と言いつつ、汗だくで稼働している僕を眺めに来てもらえたら嬉しいです。
※本作はフィクションです。
登場する人物・団体・地名・出来事などは実在のものとは関係ありません。
また、一部の描写は実在するX(旧Twitter)ユーザーの投稿や活動に着想を得ていますが、特定の個人・団体との関連性はなく、内容は創作に基づいて構成されています。
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