可能世界遍在転生論(4):佐々木淳子と稲垣足穂に驚愕し子どもの頃の輪廻転生観を復活させた件
*画像は『SHORT TWIST:佐々木淳子傑作選』幻冬舎コミックス[1]の表紙より。
可能世界遍在転生論(3)から続けます。
4 佐々木淳子と稲垣足穂に驚愕し子どもの頃の内密の輪廻転生観を復活させる
4-1 伯備線の車内で高年齢少女マンガ誌を読んでいると‥‥
1988年ごろのある日。
私は岡山駅から伯備線にのりかえ、鳥取県との県境をめざして北上する列車の中にいました。
と、こう書くと、横溝正史の愛読者なら、既視感に襲われるかもしれません。
そう、名探偵金田一耕助は、たいてい、「岡山から伯備線にのりかえ、鳥取県との県境にほど遠からぬある村」を訪れて、なにやらおどろおどろしい事件に出会うことになっているのですから。
そして私の手元には一冊の本がありました。
金田一耕助モノではありません。たしか、『プチフラワー』といったようなマンガ雑誌でした。
『少女コミック』の姉貴分といった雑誌で、私は、似たような傾向の『ララ』と併せて「高年齢少女マンガ誌」とひそかに名づけていたものです。少女の齢を過ぎても少女の心を失わない、オタク女子向けマンガ満載の雑誌です(生物学的♂も読者には紛れ込んでいましたが)。
車窓からは『八つ墓村』や『悪魔の手毬唄』の舞台になってもおかしくなさそうな、由緒ありげな旧家らしい屋敷が望まれました。
そのうち眠くなりました。けれど、途中で芸備線にのりかえる予定だったので、ここで眠ってしまうと乗り過ごしてしまいます。
眠気覚ましに、『プチフラワー』をひらいて、佐々木淳子作「SHORT TWIST」という作品を読みはじめました[1]。
そして、驚くべき体験をしました。
そのマンガには、子どもの頃から心の奥に秘めていた、特別な形の輪廻転生が描かれていたのです。
以下、その8年後に書くことになる講談社現代新書[2]より、長くなりますが引用します。
4-2 「SHORT TWIST」に描かれた特別なかたちの輪廻転生
主人公の少女の体験する時間の流れは、いつからか無茶苦茶にねじれてしまっていた。
昨日までは16歳だった世界にいたと思ったら、今日はもう、7年後の23歳の世界にいた。明日は7歳の幼児だったころの世界にもどるかもしれないのだ。
そうこうしているうちに、同じように意識の時間のねじれた天才的な少年科学者と、その命を狙う黒人青年に出会い、少年科学者が10年後の未来に作る超巨大サイクロトロン装置の事故が原因で三人の意識時間がねじれてしまい、おまけに三人とも死ぬことになっていると知る。
黒人青年の解決策は科学者を事前に殺すことっであり、少女の解決策は、やがて科学者の助手となって、意識が事故の日に跳んだ際にカタストロフィーを食い止めることである。
少女は科学者の命を守り、首尾よく計画を成功させる。が、黒人青年は、「短いねじれ(ショート・トゥイスト)をムリに直したせいで、長いねじれ(ロング・トゥイスト)が生じてしまった」と、謎の言葉を残して息絶える。けれど、時間のねじれはそれきり起らず、少女は結婚し、子や孫に囲まれて平穏な一生を終える。
そして、奇想天外なラストシーンが来る(図、略)。
場面No1 毛皮をまとい、石の槍を抱えた原始人の男が、考えに耽ってい る。「ロング・トゥイスとか」
No2 原始人の女「何?そのコトバ」
男「わからない‥‥。生まれる前から知っているコトバ‥‥だ。」
No3 男「ぼくは生まれる前、ずうっと明日に住んでいた」
女「明日?木の実が落ちて雪が降るくらいの明日?」
男「もっともっともっと明日。子供が年とって死んで、その子が年とって死んで、‥‥もっともっと死んで、あの火山も死んで、その山が崩れても追いつかないくらいの明日‥‥」
つまり、この場面で、主人公の少女の一生が、まさに原始人の男にとっての前世であることが暗示されているわけだ。
No4 場面が変わり、未来の宇宙ステーションの中で向き合う男女。
男「それが君の前世の記憶か」
女「ええ。つまりロング・トゥイストの意味がわかってきたわ‥‥」
No5 女「そう‥‥不規則な時の変化が、生まれ変わりの中に組み込まれてしまったの‥‥」
さらに、近代、人類最後の時代と場面が飛んで、「次に生まれ変わるのが、ずっと昔になるか、ずっと明日になるか予測がつかない」ことが、ますます明確にされる。
そして、最後の頁。
No1 ギリシャ風の神殿で説法をする男「何が恐ろしいって!?、よく考えてみたまえ。10回や20回じゃない! 1000回でも2000回でも100億回でも9000兆回でもない。無限‥‥にだ!」
No2 考えに耽るエジプトのファラオ「そう‥‥。同じ時代に一人や二人ではなくなってくる。永遠の生まれ変わり、ランダムな生まれ変わり。その意味するところ‥‥。父王も私‥‥次の王も私だ‥‥いや奴隷も妃もおぬしも、超過去か超未来の私‥‥だて」
No3 無数の裸体の男女の列を背景に、預言者風の老人ーー「そういう事‥‥だ。過去・現在・未来‥‥生きとし生けるすべての人間は、私‥‥だという事になる」
4-3 子どもの頃から秘密にしていた輪廻転生観が描かれていた‥‥
私の驚きを想像できるでしょうか。
子どものころに思いついて内奥に秘めたまま、古今東西の哲学書宗教書思想書をあさっても見つけることのできなかった、すべての他人は転生する私自身に他ならないという死生観が、少女マンガの中に描かれていただなんて‥‥
といっても、まったく同じかといえば違います。
佐々木淳子さんの転生論はSF的です。
これに対して私のは、他人の非存在の直観と、人見知りや羞恥心における他人の存在の肯定の板ばさみという、矛盾葛藤を解決するために思弁的に考え出されたもので、心理学的かつ形而上学的なものです。
とはいえ、似たような死生観にそれまでまったく出会わなかったかといえば、そうではありません。
4-4 稲垣足穂の形而上学的な輪廻転生観
たとえば、稲垣足穂という、今では(たぶん)ほぼ忘れられたマイナーな作家がいます。1970年代に『少年愛の美学』が有名になり、一部ではカリスマ的人気を誇った異端の作家です。
ちなみに三島由紀夫がこんな風の名言を、『作家論』[4]の中で残しています。
「埴谷雄高と稲垣足穂が星雲だとすると、われわれの文学は長屋の路地裏に咲いた昼顔にすぎない。」
やはり70年代の末の頃、その稲垣足穂の「兜率上生」というエッセイを読んでいて、こんな一節に出会って深く心を打たれたものでした。
俺はもっと人生を愛したい,味わいたい,面白いことをしたい。或は苦しみたい・・・・など云って死にぎわに喚くには当たらないのである。自分がいま,ここにいるように,死んだら又,別ないまここの裡に閉じこめられるであろうことには,疑いはない。この論旨が薄弱だと考えるのは,未だ一度も「自分は何故他の誰かではないのか?」「何故たったいま此処に居るのか?」について思いを凝らしたことのない者共である。
この文章の中で,足穂は,「今,ここ」の偶然性の不思議から,死後,別な「今,ここ」へと何度でも回帰してくるという,一種の輪廻転生観へと到達しているのです。
この結論は奇抜で唐突に見えます。けれども,以下のようにその心理-論理を解釈すれば,奇抜とばかりは言えなくなります。
ーー1899年から1977年までしか存在していない稲垣足穂というひとりの日本人だけに,たまたま,「今,ここ」があるというのは,なにやら不条理に感じられます。何百万年何億年という時間の中で,この80年足らずの期間が,特別な時間に感じられてくるからです。
そこで,「今,ここ」はあらゆる時代を通じて,いろんな人間にあったと考えてみるのです。この80年足らずの時間を特別視する必要がなくなって,不条理感も軽減されるのではないでしょうか‥‥。
ちなみにこの論法に、さらに20年後に、「エレガンスの原理」と名づけたものです[5]。このネーミングは、そのころ読んだ理論物理学者のすぐれた解説書『エレガントな宇宙』[6]から着想したのですが。
何がエレガントかといえば、「特異点」がないのがエレガントなのです。
なぜなら、宇宙には特別な一点、特異な一点などないからです。
渡辺恒夫という平凡な人間だけに意識があって他の人間はすべてゾンビならば、渡辺恒夫に特異点が位置することになってしまいます。
だから、子どもの頃に、考えたのです(むろん「特異点」などというコトバは使いませんでしたが)。私はすべての人間に生まれ変わっては死ぬ。そう考えれば、渡辺恒夫は特異な存在にならなくてすむのではないか、と。
4-5 遍在転生観とネーミングして発表の時機を待つことにしたが‥‥
それにしても気になったのは、「SHORT TWIST」にも、稲垣足穂の文章にも、他者の非存在の直観が欠けていることでした。ハインラインの「かれら」や大森荘蔵の哲学書にはあった、あの、私にとっては最も根源的な直観が。
この直観から出発することで輪廻転生観を構築し、世に問わなければならないという、思いに駆られました。
まず、印刷を待つばかりになっていた『トランス・ジェンダーの文化』[7]という本のあとがきに、無理やり「SHORT TWIST」からの絵を一枚押し込みました。
次に、大学の人文学科内で内輪でひらかれていた研究会で、「遍在転生観」とネーミングして発表しました。転生することによって私は遍在する、つまり同時にいたるところに(あまねく)存在する、という意味を込めたのです。
研究会では、みんな、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていました。
無理もないことです。私は当時、ジェンダー論の専門家ということになっていたのですから。
次になすべくことは、論説のかたちで発表することです。
けれども、マンガ家でも著名作家でもない、一介の心理学研究者にすぎない私には、ハードルがありました。
論文にして研究誌に載せるというのが、通常の研究発表のルートなのですが、心理学関係の雑誌に載せるには、とっぴすぎました。なにより、心理学では必須の、経験的資料(=エヴィデンス)の持ち合わせがありません。
といって、哲学として世に問うにも、大学院進学いらい哲学の研究コミュニティから外れてしまった私には、とっかかりがありません。
今ならば、noteのような、専門家でなくても発表できる場があります。けれども、当時はまだ、論文を書いて専門誌に載せるか、しかるべき出版社に持ち込むかの、どちらかのルートしかありませんでした。
意外な形でチャンスがおとずれたのは、8年後のことでした。
参照文献
[1] 佐々木淳子(2011)『SHORT TWIST:佐々木淳子傑作選』幻冬舎コミックス(初出『プチフラワー』1988)
[2] 渡辺恒夫(1996)『輪廻転生を考える』講談社現代新書
[3] 稲垣足穂 (1973) 「兜率上生」.『稲垣足穂大全第4巻』(pp. 352-360).現代思潮社.
[4] 三島由紀夫(1970)『作家論』中公文庫
[5] 渡辺恒夫(2002)『〈私の死〉の謎:世界観の心理学で独我を超える』ナカニシヤ出版
[6] グリーン、B.(2001)『エレガントな宇宙:超ひも理論がすべてを解明する』林一・林大/訳、草思社
[7] 渡辺恒夫(1989)『トランス・ジェンダーの文化』勁草書房
