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可能世界遍在転生論(5):新書版で世に問うたが無視され実証的調査研究に方向転換した件

*図は本記事「事例0-1」に基づくGemini(Nano Banana 2)作成のイメージ絵

可能世界遍在転生論(4)から続けます。


5 新書版で世に問うたが無視され、実証的調査研究に方向転換する

5-1 新書レーベル編集者の訪問を受ける

 それから8年後の1998年の冬のある日、研究室に、某出版社の新書編集部の方の訪問を受けました。
 提案された新書のテーマは、当時、ようやく流行の兆しをみせていたジェンダー論に関するものでした。 
 私の内心の反応は、またか、というものでした。関心が、すでに別なところに移っていたからです。
 前回書いたように、佐々木淳子の「SHORT TWIST」やさらにその前には稲垣足穂の「兜率上生」に深い印象を受けていらい、こういった問題を心理学として研究できないものかと、少しばかり試行錯誤を始めていたのでした。
 だからこの数年、いくつかの出版社から一般向けの本の打診があったのですが、ことごとく、断るか、気のない返事で有耶無耶にするかしてきたのでした。
 その日も、H氏は、私と言葉を交わしているうちに、敏腕編集者らしく顔色を察したものか、
「どうやらあまり乗り気でないようですね」といって、しばらく雑談をしただけで引き揚げていきました。
 私は、ホッとすると同時に、勿体ないとも思ったものでした。なにしろ、20世紀には長らく三種類しかなかった、岩波新書中公新書に並ぶ、大出版社による新書レーベルでの、出版企画なのですから。
 だから、数日後、思い切ってH氏に電話を入れ、別の企画があるのだが検討してくれないかといって、『トランス・ジェンダーの文化』ともう一冊、やや後に心理学専門出版社から出したさらにマイナーな本[1]を送りつけたものでした。
 うれしい驚きでしたが、H氏の反応は、前向きなものでした。これら2冊にひっそりと埋もれていた遍在転生観の、萌芽的記述を展開させて、高校生にもわかるような語り口で200枚ほど書いてほしいというのでした。
 タイトルも『輪廻転生を考える:死生学のかなたへ』[2]に決まりました。
 執筆期間のあいだ氏は、月に一度は研究室をおとずれ、励ましてくれました。
 おかげさまで4か月ほどで脱稿に漕ぎつけ、その夏のうちに出版できたのです。
 

 蛇足ですが、それ以来、今日にいたるまでH氏との関係が続いていて、そして、その手で計4冊の本を出すにいたったのでした。
 本社の学芸局長という重責を担われた後、現役を退かれてからは、オンライン研究ジャーナルの創刊にも力を貸していただき、特別編集顧問にもなっていただきました。
 編集者の常として名を出すことをあまり好まれようないので、やむをえず匿名化していますが、H氏は私にとっては恩人といってよい存在です。
 氏との邂逅がなかったら、コミュ力・人脈形成力ともCマイナー級の私では、大出版社から本を出すことなど思いもよらず、地味な一研究者で終わっていたでしょう。
 あらためて感謝の意を表したく思います。

5-2 転生するにふさわしい世界モデル(1):2次元時間論

 さて、この本を書くに当たって最も苦心した点は、「過去現在未来すべての人間はこの私の転生する姿にほかならない」という遍在転生の中心テーゼを、いかに納得のいくように合理的に説明するかでした。
 特に、同時代人である「あなた」への/からの転生を、いかに説明するかです。
 SFではないので、時間のねじれ(twist)で済ませるわけにもいきません。
 そこで考えたのが、時間の第2次元の導入でした。
 私とあなたとは、第1次元の時間では同時代にいても、第2次元でみると過去か未来になる、という仕掛けです。
 でも‥‥
 結果としては、これは失敗でした、疑似物理学的という批判を招いてしまったのです。

5-3 転生するにふさわしい世界モデル(2):刹那転生

 第二のモデルとしては、刹那転生と名づけたものがあります。
 刹那(せつな)とは、仏教哲学でいう時間原子、時間量子みたいなもので、ごく短い時間です。
 だから刹那転生とは、一刹那ごとに転生して、一日のうちに世界中のあらゆる人間を転生して回るという話になります。
 この説は元々、アメリカの論理学者スマリヤンの「悟りをひらいた独我論者」というエッセイにでてきます。

アンドリカス ……第三の仮説は、宇宙には、たった一つの心しか存在しない、というものです。この心が、驚くべきスピードで、この世に存在するすべての生物の間を駆け巡るというわけです。たとえば、この心は、あなたの身体に一兆分のそのまた一兆分の一秒間宿り、次に僕に、それから隣人に、そして犬に、というふうに動いていきます。あまりに速く駆け抜けるため、結果的には連続的に見える。つまり、一本の光線がテレビの画面を縦横に駆け巡るのが、あまりにも速いので、僕たちには映像に見えるのと同じことです。
哲学者1 それが、東洋の神秘主義者の「汝の隣人は汝自身である」という言葉が表す意味なのかね?

[3](p.235)

 ウィリアム・ジェームズの説によると[4]、主観的「いま」とは長さのない瞬間ではなく、一定の長さを持っています。現在の心理学でも、視覚ではおよそ250msec、聴覚では1sec余と、感覚様相によって幅があることが確かめられています。
 とにかく、主観的「いま」を最小単位とすれば、1日のうちに地球上のあらゆる人間に転生して回れるかもしれません。

5-4 出版の反響は思わしくなく‥‥

 このように、遍在転生を可能にすべく複数の世界モデルを提案したのですが、出版後の反響は思わしいものではありませんでした。
 今は亡き池田晶子さんが著書のなかで3頁にわたって紹介してくれたくらいが主な反応で[5](p.53-56)、メディアからは軒並み無視されてしまったのです。
 とりわけショックだったのは、それまで年に1~2回ぐらいの割合ながら細々と続いていた青土社系雑誌(『ユリイカ』『現代思想』『イマーゴ』)からの原稿依頼が、バッタリ来なくなってしまったことでした。
 いまでこそ分かりますが、日本の学界・大手メディア界では、オカルトやスピリチュアルの匂いを少しでもさせたが最後、総スカンの目にあうらしいのです。
 オカルト風味はできる限り避けたつもりでしたが、題名がいかにもそれらしかったので、仕方がありません。
 それに、不評と無視には、別のしかるべき理由もありました。
 当時の新書版の著者は、例外なく、地道な業績を重ねてようやく、お呼びがかかったものです。
 ところが私の場合、同じテーマではどんなアカデミックな業績もありませんでした。
 一発屋と思われて無視されても仕方なかったのでしょう。
 心機一転して、地道な実証的研究に向かうことにしました。
 てがかりはあったのです。

5-5 「体験」の本格的な調査を始める

 じっさい、その頃から、心理学の授業で、自己といったテーマで自由に書くようなレポートを課してみると、自然発生的に、心を打たれるような体験を報告してくれる学生がいることに、気づいていたのです。
 私は自分なりに工夫して、質問紙調査(アンケート調査)を実施することにしました。
 調査範囲も、回数を重ねるにつれ、他の大学の友人にも依頼して、最終的には4大学、1専門学校、合計1000名ほどにものぼることになり、十余年後には学位論文として纏めることになったものです[6]。
 次の2つの例は、調査を始めたころのものです(事例番号は、学位論文に引用した際の番号です。)

【事例0-1】(20歳/女)
6歳か7歳くらいの頃,ある晴れた日の正午ちょっと前,二階の部屋にいて,窓からさしこむ日差しをぼーっと見ている時に,「私はどうして私なんだろう,私はどうしてここにいるんだろう」と思った。

[6](p.2)

【事例2-18】(21歳/女)「何歳ごろかは覚えていないけど,よく思ったのは,なぜ今なのかということ。何千年も前から人間は生活していたはずである。‥‥”りんね転生”ということがあるが,誰かの生まれ変わりだとしたら自分が死んだ後,また誰かに生まれ変わるのだろうか。よく心霊の本などで前世を覚えている人というのが出てくるが,その人が確かにその本人だったなんて証拠はないのだ‥‥」

[6](p.54)

 最初の事例には、稲垣足穂のエッセイに出てきた、「なぜいま、ここにいるのか」「なぜ、他の誰かではないのか」という問いと同型の問いが、明瞭にあらわれています。
 次の例では、「なぜ今なのか」という疑問が、つまり、「なぜ古代エジプトや縄文時代でなく現代の日本にうまれたのか」という疑問が、輪廻転生の思いを呼び起こしています。
 なぜなら、「なぜ現代の日本に生まれたのか」という疑問は、「過去にも古代エジプトや縄文時代の日本に生れたのだが覚えていないのだ」と考えることによって、答えられているかのように感じるからです。
 前回述べたように、「現代の日本」が「いま・ここ」という特異点だったのが、古代エジプトや縄文時代にも「いま・ここ」という特異点が位置していたと想定することによって、特異点は特異点でなくなるのです。それが、エレガンスの原理の発動ということなのです。

 けれども、稲垣足穂には欠けていて、ハインラインの「かれら」や大森荘蔵にはあった、他人の非存在の直観をうかがわせるような体験報告は、なかなか見つかりませんでした。
 でも、やはり、存在していたのです。
 子どものころから他人の非存在の直観を備えながらも、強いて抑圧して、ひっそりと生きているという事例が、学生のなかにも見つかったのです。
 世紀があらたまる頃のことでした。

参照文献

[1] 渡辺恒夫(1992)『迷宮とエロスの文明』新曜社
[2] 渡辺恒夫(1996)『輪廻転生を考える:死生学のかなたへ』講談社現代新書
[3] スマリヤン,R.(1995)『哲学ファンタジー』高橋昌一郎/訳、丸善
[4] James, W.(1890/1950)"The Principle of  Psychology, 
vol 1". Dover Publications 
[5] 池田晶子(1999)『魂を考える』法蔵館
[6] 渡辺恒夫(2009)『自我体験と独我論的体験』北大路書房

<可能世界遍在転生論(6)に続く>


 

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