「好き」と「欲しい」が同じ手話、という迷宮にハマった話
おんぶの合図
夜ご飯を食べ終わって、お風呂までの少しゆったりした時間。
「好き」の手話をしながら、息子が抱きついてくる。
親指と人差し指をあごに添えて、きゅっと引き寄せるあの形。
そのまま、くるっと背中に回り込んで、ぼふん、とよじ登ってくる。
おんぶの合図だ。
嬉しくなって、その場でぐるぐる回った。息子も大笑い。「ははは」と、心底楽しそうな声をあげている。
とても可愛い。
けれど、ふと立ち止まる。
「好き」と「欲しい」、実は同じ手話
「好き」と「欲しい」、実は同じ手話なんです。
違いは表情や文脈で判断する。でも2歳児が、その使い分けまでできているとは思えない。
これまで息子にこの手話を教えてきた場面を思い返す。大抵、何かを欲しがるとき。
これが欲しい。ちょうだい。
繰り返し伝えてきたのは、いつも物への要求だった。「好き」という気持ちの意味では、まだ一度も教えていない。
つまり今回も、あれは。
好意の告白ではなく、純粋な移動要求。「背中に乗りたい」を、知っている唯一の手話で表現しただけ。
そう気づいた瞬間、静かにテンションが下がる。でも、都合のいい解釈も捨てがたい。
妻に聞いてみた
「好きって言ってるよね、これ。パパのことが好きなんだろうね」
「いや、それは背中に乗りたいという意味の『欲しい』だと思うよ」
「いやいや、パパが好きって表現だよ!?」
夫婦間でも、手話の解釈はこんなに割れる。一つの手話に複数の意味が乗る言語だから、こういうことが起きる。
音声言語でも同じ現象は起きているはずなのに。手話だと、意味の重なりがそのまま可視化されて、解釈がくっきり分かれる。
決めたのは、愛でも言語学でもなく
そんなことを考えているうちに、腰が悲鳴を上げた。連日の抱っこで、足首はボロボロ、全身筋肉痛。屁理屈(主にパパ)をこねくり回した挙句、この議論にケリをつけたのは愛でも言語学でもなく、パパの腰だった。
すぐに降ろした。息子は不満そうな顔をしていた。
それでも、お風呂に入る前の洗面所で同じようにおんぶをせがんできたので、応えたら腰が……、うん。
これから語彙が増えるたびに、この手の迷宮に何度も迷い込むんだろう。「好き」と「欲しい」、そろそろ教え分けた方がいいのかもしれない。
とりあえず今日のところは。
妻の説を、採用することにしました。かなしみ
デフファミリーとは?気になった方はこちらもぜひ
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