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愛され最低妻のやり直し記|第2話|家出——家族の原点《前編》

決壊

「じゃあ、食べ終わったらパパとおいでね、パパとね?」

ご飯をほお張る長男の頭をよしよしと撫でて、あえて大きめの声でそう言うと、義母は立ち上がった。
その言葉は、ギリギリで表面張力を保ち続けていた、私の心のダムを一瞬で決壊させるのに、充分すぎる威力だった。

あとひとつの石ころを投げ込まれても溢れ出ていたかもしれないけど、その言葉は、爆破といってもいいくらいだった。

ガチャンと玄関の扉が閉まる音、ほぼ同時に、バンッとテーブルに両の手のひらを叩きつけて、私は立ち上がった。

「もう無理……
もう限界!!! 
もううんざり!!!」



なぜ私がここまで追い詰められていたのか。

それは、長男を出産してからこの日までの4年間に、ひとつ、またひとつと投げ込まれ続けた、無数の石ころを胸に抱いていたからだった。

距離感

夫の一目惚れと熱心なアピール、「こんないい子いないよ?」と周囲の後押しもあり付き合うことになった私たち。
20歳そこそこで、純粋を絵に描いたような夫はとにかく優しくて、まっすぐで、いつも一生懸命に大事にしてくれた。

”こんなにピュアな人、みたことないな”
それまでやんちゃな人と付き合う傾向が強かった私には、まじめでおっとりした性格の夫はまるで違う人種のようで。
誠心誠意大切にしてもらえる、こんな穏やかな恋愛もあるんだと、幸せを感じていた。


同じ敷地内といえる距離で隣接する2軒の借家。
片方は夫の実家、タイミングよくもう片方が空いたので、私たちは同棲を始めた。
窓を開けたら会話ができる、文字通りスープが熱々のまま届けられる、お隣さん。

半年ほど同棲生活をしている内に、長男を妊娠して、籍を入れた。
ごく自然な結婚だった。


義父母も2人の義妹もよく気にかけてくれて、ありがたいと思っていた。
義母は当時40代前半と若く、快活でエネルギッシュ、サバサバしていてよく笑う人だった。
「じゃあこうしたらいいよ」「こうしようか」
おとなしいタイプの夫とは対照的で、思った通りに意見できて場を仕切れる人。
任せていればなんとかしてくれる、そう思わせてくれる人だった。

まだ料理に不慣れな私を気遣って夕飯のおかずをよく届けてくれたり、妊娠中にラクに着られる部屋着や腹帯を買ってくれたりと、初めてのマタニティ生活は平凡だけど温かくて、順調だった。


初孫

『目に入れても痛くないほどかわいい』
慈愛に満ちた、微笑ましい光景。
孫を抱く祖父母は、みんな決まってそう言うと思う。

少しでも長く顔を見ていたい。とか
できるだけ抱っこしていたい。とか
それが初孫で、内孫で、すぐ隣の家にいるのなら、ことさらだろう。

長男を出産して間もなく…1ヶ月健診を過ぎた辺りからだった。


長男は、ほとんど、私の手元からいなくなってしまった。


母親

”この子の、生まれて初めてのかけがえのない瞬間を、私はいくつ見逃しているのかな”

夫が仕事から帰宅する直前に連れてこられた、義母に抱かれて眠っている我が子を見ながら、私はそう思っていた。

もうずっと、日中は”隣”に連れていかれる毎日が続いていた。

朝夫が家を出る時間は決まっていて、それから間もなく、義母がうちにやって来る。

カギはかけていなくて、ピンポンも鳴らさない。

1度だけ、カギをかけた日があった。
その時は玄関扉を数回ガチャガチャする音がしたあと、何やら呼ばれていて、私は息を殺して出なかった…。
そしたら数分後、裏のベランダの掃き出し窓をガラッと開けて入ってきた。

”その手があったか…” 
内心苦笑いしながら、
「ごめん、気づかなかった」と挨拶したことを憶えている。

「おはよー」と言いながらあがってきて、まっすぐ長男のベッドへいく。
「まーだ寝てたの?」と目を細めながら抱っこして、
「よし!じゃあばぁばぁの家にいこうか」と自然な流れで連れていくのが日課だった。

「まいちゃんはゆっくりしてていいからね~」
長男を連れていくとき、代わりにその言葉を置いていくのがお決まりになっていた。


「はぁ…」
ソファに座って、膝をかかえる。
また、『ゆっくり』と向き合う何時間が始まる。
…夫が帰ってくるまで、9時間か。

実質1人きりになった家の中で、やることはすぐになくなって。
まだ夫婦2人と生後3ヶ月くらいの赤ちゃんしかいない家で、散らかすことなんてそうない、家事はすぐに片付いてしまっていた。


母乳とミルク

母乳で育てたい。

幸いにも、産んで2週間も経つころには、母乳はどんどん湧いて出てくれた。
最初の子だし、2歳くらいまでは保育園に預けず家で育児をしたかった私は、卒乳まで完全母乳でいきたいと思ったりしていた。


”最後は朝方5時ごろに飲ませたから、起きたら泣くかもな…”
ふと見上げた時計は9時半を指していた。

思うと同時に、
目の前で無意味につけっぱなしのテレビの音とは別の”音”を、私の耳が拾う。

「…~」  
「…….~」  
「~~~……..」

”泣いてる…”
”起きたんだな…”

”隣”の壁越しに、ご近所の生活音くらいの遠さで、長男の泣き声がかすかに聞こえてくる。
窓が閉まっていても、私には聞こえてくる。

その”音”に共鳴するように、私の乳腺の全経路に、ジクジクと熱い電気が瞬速で走る。
最後に飲ませて4時間経っていた私の胸はもうガチガチで、岩のように固くなって、重くて、痛くて、痛くて。

吸収パッドでは間に合わないと分かっているから、私はいつものようにキッチンに向かい、タオルを濡らしてレンジで温めた。
あまり熱くせずに、43度くらいの温かさが、岩のようになった胸には優しかった。

”隣”には、粉ミルク・哺乳瓶・白湯・おむつ・おしりふき、ガラガラ
義母が孫の育児をするためのすべてが揃っていた。

代わりに私は、電動の搾乳機を買っていた。


ベビー用品店でそれを選んでいた私に、
「なんでそんなの買うの?ちゃんと母乳出てるのに」と夫が聞いた。

「出すぎるから、〇〇が寝てたり”いなかったり”する間に胸が張って痛いからね。搾乳しておかないと乳腺が炎症起こして大変なんだよ。冷蔵庫に入れておけばその日の内なら飲ませられるんだし」

そうサラッと答えたときの私の顔は、どんなだったんだろう。

そのころはまだ、義母が”してくれる”ことを嬉しく思っているように夫に話さなきゃいけないって、思い込んでいた。

こんなに”良くしてくれている”んだから、愚痴は言えないって。



”今ごろ、ミルク飲んでるんだろうな…”

温かいタオルで胸を包み込むようにして、ジクジクと湧き出る母乳を搾乳している間、私は決まっていつも、声をあげて泣いていた。

誰にも見られていないし、誰にも聞こえない。

まだ物が少ない家の中でちょっと声が響いたところで、それがなんなの?

聞こえたら誰かが〇〇を連れてきてくれるの?

何で、私が産んだ私の子が、目の前にいないの?

誰が母親なの…?

涙は止まることなくボタボタと零れ落ちて、胸を包んでいるタオルが慌てて吸収してくれているようだった。

牛乳瓶より少し大きい240mlの哺乳瓶は、毎日すぐに満タンになった。
きれいに拭いて、キャップを閉めて、冷蔵庫にしまう。
だけど、多分今日も捨てることになるんだろう、それももう分かっていた。


「もうミルクでお腹いっぱいでぐっすりよ~」
義母に抱かれている長男は、満腹顔で眠っていた。
「あぁ、搾乳したのを飲んでほしかったんだけどな…」
「あら。でもまぁ、夜でもいいんじゃない?」
「母乳あげれる状態でわざわざ搾乳は飲ませないから…」
「…明日でも大丈夫よ!」

”明日”もまた連れていくでしょう?

義母は、夫が帰ってくる前に、間に合うように連れてくる。
まるで、”ちょっと前にこの子の顔見に来たのよ”といった空気感で「おかえり~」と夫に声をかける。

会話の中にも、1日中”隣”に連れていっていたことが分かるようなことは混ぜない。

それが暗黙の了解のように思えていた。


義妹

長男が生まれてから数年はまだ、義妹は2人とも学生だった。
高校から帰ってきたら、先にうちに寄って、学校での出来事など少し話したあと、長男を抱き上げて言う。
「ばぁばぁのとこいこうね~♪ じゃ、連れていくね~」
義妹にとってもまた、可愛い可愛い初の甥っ子だった。

本当にかわいがってもらった。
本当に感謝している。

だけど当時の私には、
『私から息子を連れていく人』が3人いるのと、何ら変わらなかった。


独占欲

よってたかって、私から長男を離そう、引き剝がそうとしているように、あの日々の私は感じていた。

義実家とみんなで出かけるときは、大きい車1台での移動だった。
今ほど世間が厳しくなかった当時、チャイルドシートはうちのセダンにしか付いていなくて、大きい車で出かけるときは、誰かしらが長男を抱っこしていた。

運転は義父か夫。
今振り返るとあまりに不思議で少し滑稽ですらあるけど、道中、私だけは長男を抱けなかった。

1時間の道のりでも、義母か義妹が代わる代わる抱いて、重くなったら「はい、ちょっとパパにいってね」と夫にパス。
”今なら”と思って私が夫から抱き上げようとすると、別の誰かが
「大丈夫よまいちゃん。〇〇、おいで~」とさらっていく。
出先では、ベビーカーすら義母や義妹が押すことが多かった。


ある日には、私の母が久しぶりにうちに来ていて、母にとっても初孫である長男を抱いて和んでいるところへ、隣から来た義母は挨拶するなりすぐに、ごく自然に、母からひょいと長男を抱き取った。

「〇〇大きくなったでしょ~」
「ホント、小さい時の《夫》や《義妹》にそっくりなんですよ、ほら」

まるで、”自分の孫を他人に自慢する”ような言葉の選び方だった。
母はその時は笑って話を合わせていたが、返答に戸惑っているのが私にはよく分かった。

だって、私が産んだのだから、私にも似ている。
目が大きくてクリッとしていたり、髪の生え方だったり、母にとっては私や姉弟の幼いころと重ねる部分があって当然だった。

でも、そういった話を封じるような”圧”が、その空間にはあった。


1歳半ごろのある日曜日、夫が出勤して間もなく、私も長男を車に乗せて出かけた。
行き先なんてどこでもよくて、ただただ、いつものようにガチャリと無遠慮に玄関が開く音を聞きたくなかったからだった。

春先の、のどかな陽光が降り注ぐ午前中。
家から車で10分ほどの公園。
まだ9時過ぎだったこともあって、親子連れはまばらだった。
大きめの東屋といくつかのベンチがあって、観賞用の池にはほとんど水がない。
ちょこちょこ走るようになっていた長男にはちょうどいい広さとアスレチック感だった。

2時間くらいだろうか。
興味津々でしゃがんだり立ったり何かをつまんだりする長男を見て、いっぱい話しかけて、写真を撮って、転んだら手をパンパンして、お茶を飲んで、2人で”親子”の時間を過ごしていた。
心の中の石ころにザリザリと削られないですむ、穏やかな時間だった。

帰りたくないな…
帰ったら車の音ですぐ気づいて、この子を連れに来るだろうな…

座ってお茶を飲ませながら、このままいなくなれたらいいなぁなんて、ぼんやりと思っていた。


「こんなとこにいたのね~。 〇〇、おいで~♪」

近づきながら横目で私をちょっと見て、そのまま長男に歩み寄ってひょいと抱き上げた。
義母と義妹だった。

私を見た”視線”に、
うちの車を探してまでここに辿り着いたんだなと、私は悟った。


それからしばらくして次男が生まれ、長男が4歳になるまでの間にも、初孫である長男への執着はいつも特別だった。
次男が小さいことで、より長男を連れていく正当な理由ができたということもあるんだろう。

大きいものや小さいもの、尖ったもの、悪意があるもの、ないもの…
私の心のダムに投げ込まれた石ころは色んな形をしていた。
痛みに気づかないふりをして、慣れた感じで笑っていても、それは確かな重みを伴って、少しずつ積みあがっていった。

そして私の心のダムは、この夏祭りの夜、ついに”決壊”した——。


《後編に続く》



📛 あとがき📛

ここまで読んでいただいてありがとうございます。
長くて暗い話なのに、本当にお疲れさまでした😢

寝る前の1時間くらい、公休で家に1人でいる時間を使っての、AIに頼らない執筆です。
32インチのモニターでカタカタ書いているんですが、家族は副業をしていると思っているので、ふと近づく人を察知するとタブを切り替えたりメール画面を全画面にしたり、小細工が大変です笑

それに、初めて言葉にしたことがトリガーになったのか、もう昇華されていると思っていた当時の感情が爆発してしまって、ワーワー泣いて進まなかったりもしました。

今振り返ると、義母も私も、お互いの気持ちを理解し合えずにいたのだと思います。
初孫への愛情と、初めての育児への不安。
どちらも自然な感情だったのに、なぜこんなにもすれ違ってしまったのか。

後編では、ついに限界を迎えた私の選択と、その後の家族の変化をお話ししたいと思います。

ここまでは影が薄い”夫の愛情”が、どういった形で表れていて、私がそれに気づけなかったのかも。

📛 読んでくださる方へ 📛

自己紹介で公言させていただいたとおり、このnoteは
《夫への恩返しプロジェクト》という私の挑戦です。
『第2話 家出《後編》』を有料記事として投稿させていただきます。

人様の役に立つとか、”答え”を提示できるようなものではありません。
それでも、結婚年数を重ねて空気のようになってしまった、与えるばかり、受け取るばかり、すれ違い、無関心…
そんな歴史がある夫婦の”これから”が少し変わるきっかけ、小さな気付きやヒントに成り得るのではないかなと思っています。

有料記事への挑戦は、正直怖いです。

noteに参加して10日ほど。
たくさんの方の記事を読み、感性に触れ、生き様に感銘しました。
おひとりずつの人生があって、作品があって、そこに込めた想いがある。
目の当たりにしたその事実に、足が震える思いです。

ですが、長い間保守的で冷めていた私も、
壁に穴が開くまでの経過を見たときに生まれた大きな衝動とともに
「書きたい。残したい。」と強く思い、その”成果”を夫へのプレゼントという形で、恩返ししたいと思っての挑戦です。
夫は何も知らないし、恩返しなんて望んでいないかもしれませんが。。

震える足でも、一歩踏み出してみます。
この挑戦を支えてくださる方がいらっしゃるなら、 それは私にとって何より大きな励みです。
後編でお会いできることを心から楽しみにしています。
そうでなくても、ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

読んでいただいてありがとうございます😊


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ささやかな日常を織り交ぜつつ、飾らず、自分らしい言葉で向き合っていきたいなと思っています。
ゆっくりな歩みですが、交流を楽しみながら続けています。
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今後ともよろしくお願いします🙂‍↕️


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