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穏やかな機能不全家族

私の父は、自他ともに認める「穏やかな人」だ。

私の育った家庭は、
公務員である父と、専業主婦の母、父方の祖父母と妹の6人家族だ。
1982年生まれの時代としては、至極一般的だったと思う。


生活に困ったことはなく、
両親が激しい喧嘩をするようなこともなく、
円満な家庭だと思っていた。

ただ一つ、普通と違っていたのは、
母が双極性障害で、数ヶ月置きに寝込んでしまうことだった。

母は、元気なときは明るい人だったけれども、感情的になることが多かった。
そんな母を、父や周囲の大人たちは、
わがままだ。 だらしがない。 根性がない。というような評価をしていた。


この頃の家庭では、まだ亭主関白の空気が強く残っていて、
精神の病というものには理解が浅かった。

専業主婦である母は、
「家庭を支えられないダメな主婦」という烙印を背負っていた。


母は、自分の辛さを理解して支えてくれる人を探していたと思う。

長女である私は、
母の気持ちを受け止めるいちばんのはけ口だった。

辛そうな母を見るのはいつも悲しかったし、大人の感情を受け止めることは心に重かった。

でも、子供の経験値で解決できることはほとんどなくて、
ただ黙って、話を聞いているしかなかった。


母が理解されることを一番望んでいた相手は、父だ。

父は穏やかで優しい人という印象だったけれども、
自分の気持ちをあまり面に出すことはなく、
人の感情に対しては鈍感なところがあった。

話をするときに、感情よりも冷静な論理が必要な相手だ。

母のような感情的な訴えは、門前払いだった。


そんな両親を見て育った私は、
子供ながらに学んだのだろう。

自分の気持ちを面に出す前に、
周囲を観察し、その場で求められている結果を探し、そこへ向かうための最適解を求めて言葉を選ぶことを、自然に行うようになっていた。

母の感情を、父に伝えたかったのかもしれない。
いつしか母は、父を説得するときに私を仲介するようになった。


子供の観察力と適応力は恐ろしく優秀だ。
両親という、自分を守るための絶対的存在に亀裂があると、その溝を埋めるために、真っ先に自分を最適化していく。

人間が健やかに育つためには、
衣食住よりも大切なことがあると思う。

自分の世話をしてくれる身近な大人が、
幸せであることだ。

子供にとって、保護者が壊れることは自分の世界が壊れることを意味する。だから、未熟な自分自身を、何より優先して、壊れそうな大人を支えられるように作り上げてしまう。

それが、自分の一生を左右する歪みになるとも知らずに。


私は、母の気持ちを父に伝えたいと考えたのと同じくらい、
父にも笑っていてほしかった。

今思うと、父のように他者の感情に鈍感な人は、
感情を処理する余裕を持っていないことが多いように感じる。
だから、無理やり感情を伝えようとすると、より強固に拒否反応を示す。

それでも当時の私は、父に感情を伝えることをあきらめなかった。
届いてほしい気持ちが届きそうになると、
父は傷ついているように見えた。

これ以上どうしろというのだと、そう思っていたかもしれない。

そんな父を見るのも悲しかった。
母の気持ちを伝えたい義務感と、父を傷つけたくない気持ちの板挟みで、自分の感情はどんどん見えなくなっていった。


「機能不全家族」とは、
大人が怒鳴り散らしていたり、生活が破綻している家庭を想像されるかもしれない。

でも、私が育った家庭のように、
一見穏やかで平穏でも、気持ちのやりとりが機能しなくなってしまっていたら、それもまた「機能不全」だったのだ。


今振り返ると、こうした家庭は珍しくなかったのではないかと思う。

特に、昭和後期〜平成の、
社会構造の影響も大きかったのではないか。

  • 核家族化が進み、大人の存在が減った子育て家庭

  • 長時間労働が当たり前で、「家族を養うこと」を誠実さとして背負っていた父親

  • 家庭の維持と子供の教育は母親の責任という認識

  • まだ共働きに理解の浅い社会


努力と根性が美徳とされ、個人の感情によって役割を放棄することは「甘え」と言われて、自分の限界を伝えることは許されなかった。

それが当然のことであるように、毎日を回していた大人たち。

心に余裕のない生活は、
健全な愛情を育む時間を削っていく。


そんな歪みに気が付かないまま、健全な愛情が削られた家庭で育った私は、社会の中で、ずっとどこか異質な自分を感じていた。

誰に言われたわけでもないのに、自分の存在は周囲に劣っているのだという認識があって、努力をして役に立たなければ存在を許されないような気がしていた。

役に立つことで自分の価値を感じられたので、
どんなときでも役に立つ人間になれるように生きてきた。

気が付いたら、たいていのことが人並み以上にできるようになっていたけれども、自分で自分を認めることはできなかった。

私は努力していなければいけないという呪縛のような気持ちが、ずっとつきまとっていた。


でも、自分の子供が生まれて、子育てをしてみたときに、
自分の子供時代の異常さを理解した。

子供は、ただそこにいるだけで、
何にも代えがたい存在だった。

人はみんな、こういう存在のはずなのだ。


子供が安心して過ごすためには、
まず、大人が安心して生きられることが必要なのだと
自分の経験を通して感じている。

幸せを感じること。
弱さを見せられること。
誰かに支えてもらえること。

そんな一見当たり前のことを、
誰もが許されていると感じられる社会であれば、子供が安心して過ごせる温かい家庭が増えていくのではないかと思う。


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