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🟪『オキシトシンの沈黙』シリーズ  第4章|沈黙は、何を守っているのか

【全8章】
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語らない身体が守っていたもの
— 自立と孤立のはざまで —

1. 身体はなぜ沈黙するのか?

これまで私たちは、「語らなくなった身体」をどう再び語らせるか、「育てなくなった社会」でどうつながりを取り戻せるか──そんな"再起動のベクトル"について対話を重ねてきた。
けれどここで、あらためて問い直したい。 そもそも、なぜ身体は沈黙するようになったのか?

この章では、その"沈黙の起点"を辿っていきたい。 オキシトシンが出ない──この状態を単に「感情が鈍くなった」「冷たくなった」と捉えるのは、少し違うのかもしれない。
それは「感じない」のではなく、"感じたくないから感じないようにしている"という身体の反応なのだろう。
つまりそれは、自己防衛としての沈黙
過去の拒絶された経験や、差し出したものを笑われた痛み──そんな記憶が積み重なるにつれ、身体は少しずつ「もう応答しなくていい」と自分に言い聞かせるようになっていく。


2. 過剰な自立が生んだ“語らない身体”

現代の社会では、「誰にも頼らずにやりきること」が称賛される。 自分で整え、自分で乗り越え、自分で癒す。
でもそれは、裏を返せば「誰にも頼れない」「委ねられない」孤立の形でもある。
かつての日本には、村や近所で「子を育て合う」「助けを差し出し合う」文化があった。迷惑をかけることが、関係の証でもあった時代。
もちろん、そうした関係性のなかに“しんどさ”を感じていた人もいたはずだ。実際に私の母も、地方の田舎で育ち、都会に出てから「あの濃密な人間関係にはもう戻りたくない」と話していたことがある。

でもだからこそ、今は「関係の煩わしさを避けて生きる自由」がある一方で、ぬくもりの回路が閉じやすくなっている時代でもあるということ。
誰かに頼ること、委ねること、触れられること── それらが慎重に“吟味されてからでないと許されない”ような空気が、身体に静かなブレーキをかけていく。「誰にも頼れない」「委ねられない」孤立の形でもある。

誰にもケアされないまま、ケアする側にまわり続ける。 そうして身体は、ケアされることに慣れていない“硬さ”を抱えたまま、大人になっていく。
“触れてもらうこと”が怖い。 “触れてほしい”と願うことすら、弱さに思えてしまう。
そんなふうにして、身体は少しずつ、静かに“語らなくなっていく”。
でもそれは、裏を返せば「誰にも頼れない」「委ねられない」孤立の形でもある。


3. 安心の不在と、ホルモンの回路の封鎖

オキシトシンは、関係性のなかに安心があるときに反応する。
逆に言えば、安心できない関係性のなかでは、ホルモンの回路は作動しない。

・この人に触れてもらっても、裏切られないだろうか?
・ここで弱さを見せても、バカにされないだろうか?
・もし甘えてみたとして、それを受け止めてもらえるだろうか?

そんな不安が、言葉にならないまま身体にたまっていくと、 ホルモンの通り道は、いつしか塞がれてしまう。
“語らない身体”とは、そうした問いに対する「もう傷つきたくない」という沈黙の答えなのかもしれない。


4. 小さなまとめ|沈黙は、守るために起きていた

身体が語らなくなったのは、壊れたからではない。
感情を失ったからでもない。
差し出したものが拒まれた記憶があるから、
もう差し出さないようにしている。

それだけのことだった。
だからこの沈黙は、ただの欠如ではない
それは、「もうこれ以上、無防備なまま傷つきたくない」という、
とても人間らしい“防衛のかたち”なのだ。
そしてその沈黙は、 もしかすると「呼びかけられれば、応えられるかもしれない」という、 小さな予兆を、今も静かに胸の奥で抱えているのかもしれない。


🧬【補足コラム|他種における“沈黙の構造”】

本章では、オキシトシンが反応しなくなる過程を「防衛としての沈黙」と捉えてきた。
この“応答の停止”が、必ずしも人間固有の現象ではないことを示す事例として、
他種における「授乳・育児行動における支配構造」が参考になるかもしれない。
たとえば、ミーアキャット(Suricata suricatta)の群れ社会では、
以下のような特異な育児構造が観察されている。

  • 群れ内で出産が許されるのは、支配的なメス(通常1ペア)に限られる

  • その他のメスが出産した場合、その子は殺されることがある

  • 生き残ったメスは“ヘルパー”として、支配的メスの子に対し、授乳・育児を強制される

この行動は、「育てる身体の差し出し」が関係性や信頼を基盤とせず、むしろ強制と支配の文脈において生起している例として興味深い。
ミーアキャットにおける“授乳”は、
人間社会における「育てる関係性」や「安心の回路」とは異なり、
階級的な権力構造と生存競争に依拠して成立している
ここではオキシトシン的な「信頼ホルモン」の作動は想定しづらく、
むしろ“支配的環境下における沈黙”のモデルとして捉えることも可能である。
こうした例は、私たち人間が“身体を差し出す”という行為に、
どのような社会的・感情的文脈を求めているかを逆照射してくれる。
つまり、沈黙とは“関係性の欠如”に対する、生理的な反応である可能性が高い、ということだ。

※ただし、人間社会における乳母文化もまた、支配構造の中で成立していた面は否めない。
特権階級に雇われ、命の育成を担わされる立場には、従属と沈黙が強いられる場面もあっただろう。
それでもなお、そこに信頼や誇りが育まれる余地があったことは、ミーアキャット社会との決定的な違いとも言える。


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