追悼、ハルク・ホーガン 永遠のスーパースター
2025.7.24、ハルク・ホーガンが亡くなった。
既にいろいろと追悼記事も出ているので、
「今さら僕が何か書いたところで。。。」
と思っていたのだけど、やっぱりホーガンには、僕なりに思い入れがある。
もしかすると全然面白い記事にならないかも知れないけど、ここは数年後の自分の為にも、何かしら書き残しておきたいと思う。
第1章 新日時代 ホーガンと出会った
僕がハルク・ホーガンをいつ認識したか?
実を言うと、記憶は曖昧だ。
物心ついた頃には、テレビでハルク・ホーガンの姿を観ていた気がする。
たぶん僕が5歳とか6歳くらい。
まだ、小学校にも上がる前。
アントニオ猪木とタッグを組んだり、アンドレ・ザ・ジャイアントと戦っているのを観て、僕は「なんてカッコいいレスラーだ!」と思っていた。
その頃、そもそもプロレスやプロレスラーのことを、まだちゃんと理解していなかったと思うけど、テレビの中で、人差し指を突き上げて「イチバーン!」と叫ぶホーガン。その姿が僕の目には最高にカッコよく映っていた。
当時、外国人レスラーは"ワルモノ"で、猪木や坂口征二は"イイモノ"だと思っていて、たぶん一部の例外を除いて、日本中、みんなそう思ってたんじゃないかな?
そんな中で、猪木とタッグ組んだりしてたのもあって、ホーガンは特別で、僕は"イイモノ"だと認識してた。これも僕が特殊なわけじゃなくて、やっぱり日本中、みんなそう思ってたと思う。
実際、みのもけんじの名作プロレス漫画『プロレス・スターウォーズ』でも、ホーガンとファンクスは、アメリカン・プロレス軍ではなく、日本側についてくれてた。ここでも"イイモノ"として描かれていた。
僕には7歳上の従兄弟がいる。
当時、僕が6歳くらいなので、従兄弟は13歳。たぶん中学生だったと思う。
その従兄弟は別にプロレスファンということではなくて、今に至るまで、プロレスの話をしたことはあまり記憶にないのだけど、従兄弟の部屋の天井にホーガンのポスターが貼ってあったのを、ハッキリと覚えている。
当時のホーガンは日本の子供たちに、大人気のヒーローだった。
そして、その後のホーガンは、日本、アメリカに留まらず、世界中を席巻するスーパースターに駆け上がっていくことになる。
第2章 WWF時代 日本マットを去った頃
以前の記事でも書いたことがあるけど、僕は小学校に上がって、2年くらいプロレスを観られていない時期があった。その後、またプロレスを観るようになった頃、ホーガンは姿を消していた。
新日本プロレスとWWFの提携が解消されて、ホーガンが新日本プロレスに参戦しなくなったのが、ちょうどこの時期。
この頃のホーガンはと言うと、「レッスルマニア3」のアンドレ・ザ・ジャイアント戦で、9万人の観客を集めていた時期で、まさにWWFのアメリカ全土侵攻とともに、プロレスの枠を超えたスーパースターに駆け上がっていた。
では、日本のマット界から姿を消したホーガンのことを忘れてしまったかと言うと、そんなことはない。プロレス以外の場所でホーガンを目にする機会は結構あった。
有名なところだと、エアコンのテレビCM。これがホーガンの姿を目にする機会になっていた。
また、ホーガンをモデルにしたキャラクターもいろいろと見かける機会があった。
例えば、以前にも書いたことがあるけど、コミックボンボンで連載していた『やっぱ!アホーガンよ』は、タイトルにもあるとおり、ホーガンをモデルにしたアホーガンが主役のギャグ漫画だ。
アホーガンをはじめ、プロレスラーをモデルにしたキャラクターが大挙登場。内容はお世辞にも上品とは言えない下ネタ満載。今だったら各所からクレーム殺到でまず連載なんて不可能だろう。僕の周りのキッズたちは毎月楽しみにしてた。
『キン肉マン』に登場するネプチューンマンもハルク・ホーガンがモデルだ。当時のキッズたちは、たぶんネプチューンマンを一目見れば、ホーガンがモデルだとわかったはず。まだ、そのくらいホーガンは日本でも知名度があった。
少し時代が下るけど、格闘ゲーム『ワールドヒーローズ』に登場するマッスルパワーも一目でそれと分かるキャラクターだった。ただ、さすがにこの時代になると権利関係も多少厳しくなったのか、2作目ではトレードマークの髭がなくなっている。(ちなみに僕の持ちキャラはJ・カーン)
この時代のプロレスゲームには高確率でホーガンをモデルにしたキャラクターが登場していた。
下の画像を見てほしい。

2本のゲームカセットを並べた写真。
左はメガドライブの『レッスルウォー』。
右はスーパーファミコンの『WWFスーパーレッスルマニア』。
どちらも一見するとホーガンのように見えるが、実は右はホーガンだが、左は"ホーガンらしき人"で、ホーガンではない。これWWF公式のゲームだと思って買った人いるんじゃないかな? まあ、僕だけど。
話が逸れた。
何が言いたいかと言えば、この時代のプロレスラーのアイコンの一人は間違いなくハルク・ホーガンだったんだ。
第3章 nWo〜WWE時代 ホーガンとの再会
さて、日本のマット界を去ったハルク・ホーガンの試合をまったく観ることができなかったかと言えば、そんなこともない。
中学生から高校生の頃になると僕は週刊ゴングを毎週買うようになり、海の向こうの情報もそれなりには入ってくるようになる。
そして、近所のレンタルビデオ店が海外のプロレスのビデオを結構置いてくれてて(エル・サント主演の映画とかもあった)、WWFのビデオも何本かあって、WWF時代のホーガンの試合も周回遅れ気味ではあるものの、一応は観ていた。
何年かぶりに観るリング上で動くホーガン。
ワクワクしながら、ビデオをセットして再生ボタンを押した。
⋯⋯WWFでスーパースターに駆け上がった黄色いパンツのホーガンは、思ってたのと違ってた。
ビデオで観たホーガンは、基本的には殴る蹴る中心に試合を組み立てて、技らしい技と言えば、時折、つなぎ技的に出てくるアックス・ボンバーと、フィニッシュのギロチンドロップ(レッグドロップ)くらい。
あれ? ホーガンってこんなだっけ?
僕の記憶の中のホーガンは豪快ではあったけど、ここまで大味なプロレスをする選手じゃなかった。
その時期のアメリカでは、そういうファイトスタイルが求められていて、ホーガンはそこに完全に適応することで、スーパースターになった。それが理解できるのは、もう少し先の話になる。
当時の僕が好んで観ていたのは、闘魂三銃士が台頭してきた頃の新日本プロレスと、超世代軍と鶴田が激闘を繰り広げていた全日本プロレスだったから、WWFのプロレスはまったくピンと来なかった。
この頃、WWFは日本のSWSと提携していて、ホーガンも来日し、東京ドームで天龍源一郎と対戦したりしているが、残念ながらこの試合は週刊ゴングの記事で読んだだけで、試合は観られていなかった。
僕がホーガンの日本での試合を観たのは、1993.5.3の新日本プロレス・福岡ドーム大会でのグレート・ムタ戦だった。もちろん、テレビで観た。
正直言うと、WWFのビデオを観てガッカリした後だったので、あんまり期待はしていなかった。
「ホーガンがまた新日本プロレスのリングに登場する。それだけで十分じゃないか。それ以上、何を望む?」
そんな気持ちでテレビの前に座っていた。
そして、僕の予想は良い意味で裏切られる。
試合序盤、お互いを値踏みするような立ち上がり、そして、グラウンドの攻防。ムタの腕を取ってキーロックに行くホーガン。
これ! このホーガン!
僕が観たかったホーガンの姿がそこにあった。
ホーガンはやろうと思えば、僕が子供の頃に大好きだった、あのホーガンをやることができたんだ。ただ、アメリカではそのスタイルは求められていないから、やってなかっただけ。
だいぶ後になって、前述したSWS時代の天龍との試合も観る機会があったけど、そこでもホーガンはムタ戦と同じように、かつて日本で活躍していた頃のホーガンのファイトスタイルだった。
ホーガンは自分が求められていることを理解して、その場その場でアジャストできるクレバーな選手だった。アメリカではアメリカのファンが好きなプロレスをやって、日本では日本のファンに好まれるプロレスをやる。だからホーガンは世界のスーパースターになった。改めてそれに気付かされた。
その後、ホーガンはWWFからライバル団体のWCWに移籍しヒールターン。nWoの中心メンバーとして、またしても世界を巻き込む空前の大ブームを作り出す。そして、ホーガンは当たり前のようにヒールのキャラクターにアジャストしてみせた。
さらに時が流れて、ホーガンは再び古巣WWFに復帰する。そして、伝説の「レッスルマニア18」でのザ・ロック戦。この試合でホーガンは変わらぬスーパースターぶりを見せつける。
ヒールのホーガンと、ベビーフェイスのロックの対決のはずが、試合が始まると、観客はホーガンに大声援。一方のロックにはブーイングという逆転現象が発生した。
もはやホーガンはベビーとかヒールとかを完全に超越したスーパースターの座に君臨している。それを示す事件だった。
第4章 拝啓、ハルク・ホーガン様
あなたがこの世から去り、2週間が過ぎました。
まだ、あなたを追悼する記事や動画は、世界中で発信されています。もちろん、僕のこの記事もその一つです。
こうして僕の記憶の中にある、あなたの足跡を辿ってみて、改めてあなたのプレスラーとしての偉大さを思い知らされます。
あなたがWWFを去った後、WWFはポスト・ホーガンとして、アルティメット・ウォリアー、シッド・ジャスティス、レックス・ルガーなどを売り出そうとしました。しかし、残念ながら誰一人として、第二のホーガンにはなれませんでした。
あなた以降、アメリカのマット界には様々なスーパースターが登場しました。ジ・アンダーテイカー、ストーン・コールド、ザ・ロック。最近だとローマン・レインズやコーディ・ローデス。名前を挙げれば、枚挙にいとまがおりません。誰もが名前を知る、掛け値なしのスーパースターたちです。
でも、あなたを超えるようなスーパースターは、ついに登場することは有りませんでした。
最近はあなたの姿をリング上ではない場所で目にする機会が多かった気がします。正直なところ、あなたのリング外での言動には、がっかりさせられたことも有りましたが、僕はあなたのリング上の勇姿だけを記憶に留めることにします。
心残りなのは、あなたの勇姿を生で観る機会を得られなかったことです。それが本当に残念でなりません。
少し前に、あなたのライバルだったアントニオ猪木さんも、この世を去りました。もしかすると、既に再会されたかも知れませんね。まだ先のことになりますが、僕がそっちに行った時には、あの第1回IWGP決勝の決着戦が観られることを楽しみにしています。
長くなりました。
このあたりで締めたいと思います。
最後にあなたに心より感謝をお伝えしたいです。
あなたは僕の人生にプロレスというプレゼントをくれた1人です。もし、あの時、テレビであなたの試合を観ていなければ、僕の人生は今とは違うものになっていたと思います。
ありがとう。
そして、さようなら。
永遠のスーパースター、ハルク・ホーガン。
安らかに。
ホーガンにも少し触れてます:
『やっぱ!アホーガンよ』『プロレス・スターウォーズ』のことも書いてます:
