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あるプロレスファンの履歴書:出会って、別れて、また出会って

自己紹介を兼ねて書いた記念すべきnoteの初投稿記事の中で、プロレスファンとしての生い立ち的なことを少し書いた。

今回は改めて、
僕がどういうきっかけでプロレスを観るようになったのか?
本格的にプロレスにハマった時期は?
一時期、プロレスから離れた理由は?
再びプロレスにハマった理由は?

といったようなことを、掘り下げてみたいと思う。


第1章 プロレスとの出会い

この記事を書くにあたって、
「さて、プロレスと出会ったきっかけは、何だったろうか?」
と改めて考えてみて、思い出した風景が有る。

物心ついたくらいの頃、僕は布団に横になって、半分眠りそうになりながら、テレビを見上げている。ブラウン管に映っているのは、パンツ一丁の大男が戦っている姿。

その番組は、父が観ていた新日本プロレス中継「ワールドプロレスリング」だった。父は熱心なプロレスファンというほどではなかったかも知れないけど、少なくとも毎週、「ワールドプロレスリング」は観ていたし、本棚には村松友視『私、プロレスの味方です』があったりしたので、たぶん人並み以上にはプロレス好きだったんだろう。

僕はと言えば、まだ、それがプロレスだと理解できてなくて、ただただ「凄い!何かカッコいい!」という感じで観ていたんだと思う。

そんな僕が、ハッキリとプロレスを認識したのは、おそらく、アニメ『タイガーマスク二世』(1981年放送)だったんじゃないかな?

「力が正義ではない。正義が力だ!」
という台詞から始まる水木一郎の主題歌は今でも大好き。この作品でプロレスを認識したし、猪木やブッチャー、アンドレといった実在のレスラーが登場した時には、実在のレスラーだと認識できていた気がする。

この頃には「ワールドプロレスリング」を観るときにも、父が観ているのを横で観ているというより、自分から主体的にテレビの前に座るようになっていた。

当時の推しのレスラーは、やっぱりアントニオ猪木。藤波辰巳(現・辰爾)も好きだった。外国人だとホーガン、アンドレが出てくると嬉しくなった。

だけど、なんと言っても最高だったのは、タイガーマスク(初代)だ。もともと『タイガーマスク二世』がプロレスとの出会いのきっかけなので、最初に「ワールドプロレスリング」にタイガーマスクが登場した時は、正直言うと「アニメと違う」と思った。よく見なくても、アニメとは全然違うマスクだし。

でも、動き出したら、その一挙手一投足に目が釘付けになっていた。それまでに観てきた、どのレスラーとも明らかに違う動き。スピーディーでダイナミックで、ローリングソバットの切れ味にときめいた。今思い出しても、ワクワクする。

初めてタイガーマスクを観た試合は、正直言うとハッキリとは分からない。デビュー戦だった気もするけど、後からビデオとかで観て記憶が塗り替えられてる気もするし。

いずれにしても、間違いないことは、テレビでタイガーマスクを観た時、それこそ僕がプロレスの虜になった瞬間だ。

第2章 アニメと漫画とプロレスと

小学校に上がる少し前から、僕は"家庭の事情"というやつで、2年ばかり親元を離れて、祖父母の元で暮らしていた時期があった。この時期、祖父母の家の地域では、いつもの時間に「ワールドプロレスリング」が放送されておらず、父と離れて暮らしていたこともあり、プロレスを観る機会がなかった。

では、この時期はプロレスから完全に離れていたかと言えば、そんなことはない。『キン肉マン』と出会っている。人生の中でも大きい出来事だ。

本当はダメなんだけど、学校に『キン肉マン』の単行本を持ち込んだ同級生がいて、それを読ませてもらったのが、『キン肉マン』との出会いだった。とにかく面白くて、その日、家に帰ると祖母にねだって、当時の最新巻だった『キン肉マン』の11巻を買ってもらった。

プロレスから離れていたこの時期は、アニメや漫画が僕とプロレスを繋いでくれていた。ちなみにプロレス漫画やアニメについては、以前、別の記事に書いているので、興味がある方は是非。

そんなわけでしばらくの間、僕にとってのプロレスと言えば『キン肉マン』や再放送の『タイガーマスク』、あとは『プラレス3四郎』といった、漫画やアニメだった。

なので、この時期のプロレス界の出来事を当時は全然知らなくて、例えばコミックボンボンで『やっぱアホーガンよ』にタイガーマスクとスーパータイガーが出てくるエピソードがあった(名前はちょっと変えてた)。今ならこれは2代目タイガーマスク(=三沢光晴)とUWFに登場したスーパー・タイガー(=佐山サトル)のことだって分かるけど、当時はタイガーが二人出てくる意味が分かってなかった。

その後、紆余曲折あって僕は祖父母の元を離れて、再び親元に戻ることになり、また僕の生活に「ワールドプロレスリング」が帰ってくる。

第3章 週に一度の茶の間でTVプロレス観戦

久しぶりに観る「ワールドプロレスリング」では、前田日明率いるUWF軍団との抗争が勃発していた。

まだ、小学校の低学年だった僕に、父はUWFがいかに先進的なプロレスかということを説いて聞かせてくれた。僕には今ひとつピンと来てなかったけど、前田日明はカッコよかった。

でも、僕はそんな前田日明にボコボコに蹴られまくって、血まみれになりながらも倒れることなく、前田に立ち向かう藤波辰巳の方が好きだった。

信じられないかも知れないけど、80年代前半のこの時期は学校に行くと、「昨日の前田と藤波の試合見た?」みたいな会話が子供同士で普通に交わされていた。

もっと言えば、クラッシュ・ギャルズの下敷とかを使ってる女子が同級生に何人かいた。ドラマ『極悪女王』で描かれていたクラッシュ・ギャルズのブームは、誇張ではなく本当に大人気だった。

ただ、当時、僕の周りでは、女子プロレスを観ているのは女子だけだった。僕も女子プロレスにはまったく興味を持つことなく、「あれは女子が観るもの」。何なら「僕がテレビで観ているプロレスとは別のもの」だと思っていた。

とにかく、その頃の僕は、毎週毎週、「ワールドプロレスリング」を楽しみにしていたけど、今にして思うと少しずつ学校でプロレスの話をする仲間が減っていったような気もする。

放送日も金曜から月曜に変わり、火曜日になったと思ったら、山田邦子が司会の「ギブUPまで待てない!!」というプロレス+バラエティという謎の番組に変わっていた。子供の僕には分からなかったが、視聴率が落ちて、放送時間が変わったり、番組の内容をテコ入れしたり、試行錯誤が行われていたようだ。

「ギブUPまで待てない!!」については、とにかくプロレスファンの中では評判が悪い。僕も最初は物珍しさもあって、それなりに楽しんでたものの、早々に「これじゃない」という気持ちが強くなっていた。

スタジオトークの合間にプロレスが中継される構成ってどう思います? 僕はプロレスというより、この番組から気持ちが離れていった。当然のように不評の「ギブUPまで待てない!!」はひっそりと終了した。

僕が中学校に上がる頃には、プロレスはゴールデンタイムから姿を消し、土曜日の夕方に追いやられいて、部活が忙しくなったこともあり、やがて僕も毎回は観なくなっていく。

第4章 僕の青春とプロレス

積極的にプロレスを観ることのなくなった僕は同級生で同じ部活だったY君と出会う。

中学校に入学する頃には、僕の周りにプロレスの話をする相手もいなかったこともあり、僕がプロレスを好きだってことを知ってる同級生は少なかったと思う。

中学2年になって3ヶ月くらい経った頃、何がきっかけだったか忘れたけど、彼がプロレスについて熱く語り始めた。

「三沢光晴がタイガーマスクのマスクを脱いで、川田、小橋、菊池と超世代軍を結成して、ジャンボ鶴田と戦ってて、今、プロレスが最高に面白い!」

三沢? 川田? 誰?
ジャンボ鶴田は知ってる。テレビで見たこと有るし、『やっぱアホーガンよ』にも出てたし。
え? タイガーマスクってまだいたっけ?

ここまで読んでいただいた方はお気付きかも知れないが、僕にとってのプロレスは新日本プロレスと同義の言葉。この時点ではそれ以外のプロレス団体のことは、ほとんど知らない。全日本プロレスもかろうじて名前は知ってるくらいで、ちゃんと観たことはなかったのだ。だから、Y君が熱弁する全日本プロレスの話はとても新鮮だった。

Y君が録画していた全日本プロレスのビデオを借りた僕は、カルチャーショックを受ける。ダグ・ファーナスのフランケンシュタイナー、テリー・ゴディのパワーボム、三沢のタイガードライバー⋯⋯知らない技だらけ。新日の選手は使ってなかった技。と言うか、しばらく観てなかった間に登場した技もたくさんあった。

新しい世界に出会った僕は、またプロレスを追いかけ始める。新日、全日の中継は毎回録画。愛読する雑誌は週刊ゴング(週刊プロレスは立ち読みしてた)。レンタルビデオ店のプロレスコーナーのビデオも借りて観た。

1992年4月6日。
大阪府立体育会館。
僕とY君は初めて、生でプロレスを観戦する。
全日本プロレス チャンピオン・カーニバル。
メインのカードはスタン・ハンセンvs川田利明。
当時の僕は川田のファンだったけど、結果はハンセンの勝利。しっかりハンセンと一緒に「ウィーッ!」ってやってた。
その時に買った、川田のサイン色紙は今も大事にしまってる。

Y君とは別々の高校に進学したこともあり、その後、疎遠になってしまい、プロレスを楽しむ仲間はいなくなったけど、僕は毎週の週刊ゴングは買い続け、レンタルビデオ店のプロレスビデオを借りまくる。それは高校を卒業し、大学に入学し一人暮らしを始めてさらに加速する。

この頃に通っていたレンタルビデオ店は、プロレスのビデオがなかなかに充実していて、UWF系(旧UWFの無限大記念日とかもあった)、WWF(現在のWWE)、WCWのアメリカンプロレス、FMWやW★INGといったインディー団体など、とにかく片っ端から観まくった。

やがて観るものがなくなった時に、たまたま手に取ったのが、「女子プロレス夢のオールスター戦」というタイトルの2本組のビデオだった。

収録されていたのは北斗晶vs神取忍の伝説の喧嘩マッチや、W井上vs尾崎魔弓&キューティー鈴木、堀田祐美子vsダイナマイト関西など、出てくる選手が掛け値なしに当時の女子プロレスオールスター。

中でも僕が最も心を掴まれたのは、長与千種vsデビル雅美のエキジビションマッチだった。当時、既に引退していた長与千種が主演映画『リング・リング・リング』のPRで限定復帰した試合だが、長与千種の表情、技、試合後のマイク、すべてに心を鷲掴みにされてしまった。この試合の後、長与千種は現役復帰し、GAEA JAPANの旗揚げ、解散を経て、Marvelousを旗揚げし、今に至ることになる。

このビデオを観たことをきっかけに、僕は女子プロレスという、また新しい世界に踏み入っていく。今度は女子プロレスのビデオを片っ端から観ていったのは、言うまでもない。

僕は当時から、積極的に会場に足を運ぶ方ではなかった。僕のプロレスの世界はテレビや雑誌の中に広がっていて、それは今もあまり変わっていない。

毎週の週刊ゴングと全日、新日のプロレス中継。そして、レンタルビデオ。それが、僕の青春そのものだった。

第5章 プロレスが遠くなった

90年代後半から2000年代後半にかけて、僕は少しずつプロレスから離れていく。何か明確な理由があったというわけではないと思っていたけど、改めて思い返してみると、いろいろな出来事が積み重なった結果のように思う。

1997年8月某日。真夏の暑さで、午前8時頃に目が覚めた僕はいつものようにテレビをつける。テレビには女子プロレスの映像が映っていた。それはJWP所属のプロレスラー・プラム麻里子が試合中の事故で死亡したことを伝えるニュースだった。

この時、とにかく頭の中が混乱したことを覚えている。
「試合中に選手が死ぬ? プラム? 知ってる選手がリング上で死んだの?」
まだインターネットに繋がる端末を持っていなかった僕は、とにかく何でも良いから情報が欲しくて、コンビニでスポーツ新聞を有るだけ買った。一面にプラム麻里子の写真が掲載されているのもあったと思う。

プロレスラーがリング上の事故で亡くなるというニュースは僕にとってとんでもなく衝撃的で、たぶん数日は様子がおかしかったんじゃないかと思う。

この事件をきっかけにプロレスを観なくなったということはないけど、今にして思えば、この時期から僕は女子プロレスのビデオは借りなくなっていた。意識的というわけではなかったと思う。相変わらず週刊ゴングで女子プロレスの記事は追い続けていたけど、女子の試合は観なくなっていた。

1998年4月4日。アントニオ猪木引退。
テレビ中継を観ながら、多くの人と同じように、一つの時代が終わったと僕も感じていた。僕の原点は父と一緒に観ていた「ワールドプロレスリング」。その主役はアントニオ猪木だった。猪木信者というわけではないけど、猪木がリングを降りるというのは、やはり大きな出来事で、これも"今にして思えば"だけど、この頃から「ワールドプロレスリング」を毎週録画する習慣が薄れていった気がする。

2000年代に入ると、世の中をK-1、PRIDEが席巻し空前の格闘技ブームが到来した。

当初、僕は、
「前田日明のリングスに出ていた佐竹が出ているK-1」
「プロレスvsグレイシー柔術の異種格闘技戦のPRIDE」
という感覚で、プロレスの延長としてK-1やPRIDEを観ていたけど、どんどんプロレスとは別物として進化していき、今となっては、両者が完全に別のジャンルだと認識されているように思う。

僕もそこまで熱心なファンというほどではなかったけど、地上波で放送があれば、必ず観ていたし、PRIDE GP決勝のクローズドサーキットを観に行ったり、たまたまもらった招待券でK-1 WORLD GPを観戦しに大阪ドームに足を運んだりする程度には、格闘技ブームに乗っかっていた。

反面、「プロレスは?」と言えば、やっぱり見る機会はどんどん減っていった。

2007年に中学生以来の愛読誌「週刊ゴング」が休刊したことで、プロレスとの距離がさらに開いていった。

それでも、ネットニュースで最低限の情報は追いかけていたけど、特に試合を観ることもなく、ほぼプロレスは僕の日常から姿を消してしまった。

第6章 僕にプロレスが帰ってきた!

2010年代も半ば、その頃になると僕は結婚して家庭を持っていた。物理的に使える時間が減ったことも、僕のプロレス離れに拍車をかけていた。

そんな時、僕はAmazonプライムビデオで配信されていた『有田と週刊プロレスと』に出会う。この番組は、毎週、一冊の「週刊プロレス」のバックナンバーを取り上げ、その記事をテーマにくりぃむしちゅー・有田が語るトークバラエティ番組だった。

くりぃむしちゅー・有田は、僕よりも少し上の世代だけど、取り上げられる内容は、僕が知ってる時代のことが多く、毎回「そうそう!」と頷きながら、自分の懐かしい思い出と重ねて楽しんでいた。

番組自体は一度番組名を変更した後、2020年にプライムビデオでの配信は終了し、その後はYouTubeに配信プラットフォームを変更して後継番組の『有田哲平のプロレス噺「オマエ有田だろ!!」』が2022年から現在も配信が続いている。

この番組を観るようになって、紹介された試合をYouTubeなどで探して観るようになった。懐かしい試合もあれば、最近話題の試合もあった。

そんな中で、女子プロレスが紹介されることが有り、特にスターダムは取り上げられる機会が多い。

この頃、スターダムについては知っていたけど、試合はほとんど観たことがなくて、詳細は割愛するが「世IV虎・惡斗事件」「木村花事件」が、プロレスマスコミではない、一般のマスコミも取り上げるようなニュースになっていて、僕もその事件によりどちらかと言うとネガティブな印象を持っていた。

転機が訪れたのは、2022年7月。
僕は病院のベッドの上にいた。
胆石が暴れだし手術、手術後、1週間ほど入院する。手術直後は痛みがあったものの、翌日の夕方くらいには、スマホを触れるくらいには回復し、そうなると時間を持て余すようになり、何か観るものはないか?と探してるうちに、プライムビデオで「We are STARDOM!!」を見つける。

「We are STARDOM!!」はスターダムの試合を美味しいとこ取りで編集している番組で、地上波でも放送している。

試しに観てみるか。
軽い気持ちで再生ボタンをタップする。
気が付けばその時点で配信されていたエピソードを全て観てしまっていた。

メチャメチャ面白い。
試合のクオリティの高さ。
選手たちのキャラクター。
展開されるストーリー。
どれを取っても最高だった!

無事に退院した僕は、プライムビデオの「We are STARDOM!!」は観尽くしてしまったので、スターダムの公式YouTubeチャンネルの動画を片っ端から観ていった。ちなみに「We are STARDOM!!」も公式YouTubeチャンネルで配信されている。

あらかたスターダムの動画も見終わった頃、
「そう言えば、他のプロレス団体って今どうなってんの?」
と思い立ち、男子、女子、国内、海外を問わず、"今"のプロレスを観まくった。

何だ!全部、面白いやん!
しばらく観ていなかった間に、"今"のプロレスは僕の想像を超えて進化してた。観るもの全てがホントに面白かった。

僕のもとにプロレスが帰って来た。
いや、僕がプロレスに追いついたのか?

いずれにしても、今の僕はSTARDOM WORLD、NJPW WORLD、WRESTLE UNIVERSE、全日本プロレスTVに加入し、暇さえ有れば配信でプロレス観戦に明け暮れている。

あとはAmazonのKindle Unlimitedで毎週「週刊プロレス」を愛読し、たまに最新号が読み放題になかなか入らないことがあって、ヤキモキする日々を送っている。

青春時代。プロレスのビデオと、毎週の「週刊ゴング」が日常だった、あの頃。

今はネット配信とタブレットで読む電子書籍(ついでに「週ゴン」から「週プロ」)に変わったものの、やってることは変わらない。

要するに。
要するに僕は、今も昔もプロレスが大好きなんだ。

読んでくれた皆様へ

またしても、長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございます!

もし良かったら、あなたがプロレスファンになったきっかけも教えてください。

いや、なんならプロレスじゃなくても良いので、何かにハマったきっかけエピソードを知りたいです。

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