無駄を体現する者|【狸の話】
バヒヌの日記_☉

私たちは、無駄を演じることでしか、自らの価値を証明できない宿命を背負った生き物なのかもしれない。
人間を覗き込んだ時、そこに見えるのは生存と繁殖を最大化するための、狡猾な戦略である「無駄」の姿がある。
孔雀が、生存に不利なほどの豪奢な羽を広げて、優れた遺伝子を誇示するように、人間もまた、高級品やブランド品という「顕示的な無駄」を通じて、自らが持つ余裕、すなわち力を世界に発信する。
ハンディキャップ理論を元に考えれば、これはより優れたパートナーや仲間を引き寄せるための、抗いがたい本能に他ならない。
当然、利他的な行動も、この本能から逃れることはできず、社会で生き残るために、評判という社会資本を築くための生存戦略となる。「情けは人のためならず」ということわざは、このシステムの核心を突いている。
この構造はAIという新たな神が降臨する未来において、消え去るどころか、より巧妙な形で人間を縛り続けるかもしれない。
AIが効率と生産性という価値を独占したとき、人間は、その真逆である非効率や非生産的なものに、新たな価値を見出すことになる。
つまり、無駄な文字を書き、無駄な絵を描き、無駄な筋肉を鍛え、無駄な情報を見て、無駄な知識を得る。無駄な会話をし、無駄な食事をし、無駄な思考をする。
何の役にも立たない無駄な探究と創造に没頭することこそが、「私」という存在を保つための行動となり、来たる時代の強さの証となる。
この視点を突き詰めるならば、私たちが神聖視してきた純粋な好奇心や無償の愛といった領域でさえ、例外ではないかもしれない。
これらは、「目先の利益に囚われない」という現在の余裕を他者への示すものであると同時に、人生という長い時間の中で、自らの存在理由と自己を確立するための鍵となる。
禁欲を説く宗教や消費社会から距離を置くカウンターカルチャーですら、「俗的な欲望を超越する」という強さを誇示する、無駄の行使と見なすことができる。
結局、時代や文化という皮を一枚剥げば、そこには富、知性、感性、精神性と、形を変えながらも、「コストのかかる無駄を通じて、他者に対して自らの生存価値を証明し、自己に対して存在意義を確立しようとする」という、人間の根源的な姿が浮かび上がる。
私たちは、意識、無意識にかかわらず、この宿命からは逃れられない。
人間は、生涯をかけて「いかにして価値ある無駄を演じ、自らの生を確立するか」という問いを、それぞれの形で表現し続ける、無駄を愛してやまない実に無駄な存在なのかもしれない。


#みんなフォトギャラリー から画像を使用していただきまして、ありがとうございます!
🔸共同運営マガジン始めました。参加者募集中!
🔸 AI画像のアートスタイルを集めました!
🔸おすすめ!(画像をタップ)⬇️
🔻依存の養殖|【狸の話】

依存の養殖という生存戦略にたどり着いた
🔻不害無い@母|【狸の短編小説】

だから切り捨てられてしまった。
もう見逃さない。全編を一気読みできます。⬇️

