喉に棲むもの|【狸の短編小説】
唇は丸くすぼめられ、舌は上顎の奥へと引きずられる。
喉から押し出された呼気は、音の形を結ぶ前に壁の染みへと吸い込まれていく。
完璧な円を描こうとして、何度も歪な線で紙を汚すような作業。
女は来る日も来る日も、そんな無音の儀式を繰り返していた。
冷たい空気が溜まる部屋の隅、黒い影に覆われた硬い床に、水滴が一つ落ちるたび、鈍い音が闇を揺らす。
カレンダーの数字は半年前から増えることがなく、埃が地図の等高線のように静かな起伏を描いていた。
彼女が息を殺すと、その音は枕元へ這い寄って、耳のすぐそばで響いた。
皿を洗う水の流れに紛れても、それは骨を直接震わせて、鼓膜の内側を執拗に叩く。
時に責めるように、時に何かを要求するように。
彼女は床に膝をついて、喉を掻きむしった。
声にならない呼気の塊が壁に当たって、窓ガラスが軋む。
その振動に呼応するように、空気の揺らぎが窓の隙間から外へと滲み出した。
揺らぎは糸のように伸びて、彼女の足首に絡みつく。
彼女は抗う間もなく身体を引きずられて、裸足の裏が冷たい床を擦り、玄関の扉、アスファルトの上へと彼女の意思とは無関係に運ばれていった。
川沿いの公園。
錆びたブランコの鎖が奏でる音が、夜の空気を細く切り裂いている。
揺らぎはブランコの上で静かに明滅している。
彼女の視界の端で、アスファルトに残る黒いタイヤ痕が歪むと、頭蓋の内側で金属音の残響が低く唸り、歯の根を痺れさせる。
ブランコの上で音は鳴る。
誰かの喉の奥から絞り出されたような、湿った熱を帯びた音。
彼女は、無意識に喉に当てていた指を下ろした。
もう一度、唇を丸くすぼめると、肋骨がきしんで、諦めと共に震える肺から空気が押し出される。
「……ウキ」
声帯をかろうじて掠めた、ひび割れた音が彼女にできる、唯一の返答だった。
彼女の呼気のすぐ隣で、熱を帯びた音が応えた。
「ユ」
その音は、彼女の不完全な声に寄り添うのではなく、それを飲み込んで、鎖骨の窪みに冷たい石のように鎮座した。
彼女は公園を後にする。
一歩進むごとに、彼女の呼気はその石のための燃料となり、こだまだけが明瞭な輪郭を持って夜気に溶けていく。
伸びる彼女の影は、一つだけではなかった。
二つの影は時に重なり、時にずれて、どちらが本体なのか判然としなかった。

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