たかが月3万円。されど3万円。男と女の「人生の幅」が変わる瞬間。


AIツール新宇佐美六号で描きました(一部手描き)。

同じ三万円のこと。
三十万、ではない。
三万、である。
たかが三万円。
されど、三万円。
ケンジはそれを、ゴルフに使う。
月にいっぺんのラウンド。
同じ顔ぶれ、同じ芝、同じドライバーの当たる音。
そして「ナイスパー」という、毎度おなじみの賞賛。
悪くない。
決して、悪くはないのであった。
クラブハウスで飲む生ビールの最初の一口というものは、世のすべての疲れた中年男のためにこの世に存在しているのではないかと思うほどにうまいのであって、ケンジにとってあの一日は、日常という名の重しからこっそり逃げ出すための、ささやかなシェルターだったのである。
ところが、だ。
ユキコは違った。
「じゃあ私も三万ね。平等やもんね」にっこり笑って、そう言った。
これが、怖い。
長年連れ添った男が、世界でいちばん怖いと感じる顔というものは、たいていにっこり笑っている顔なのであった。
そしてユキコの三万円は、化けた。
土をこねる。
ステップを踏む。
茶を点てる。
陶芸、フラメンコ、茶道。三つ同時である。
なぜ三つ同時なのかがさっぱりわからないのだが、ユキコは三つ同時にやるのであった。
ケンジは高を括っていた。
どうせすぐ飽きるだろう、と。
その予想は、見事に外れた。
ユキコの三万円は、新しい友を呼び、なんだか知らないが拍手喝采を呼び、色鮮やかな熱を帯びて、ユキコの人生をぐんぐん押し広げていったのである。
発表会のチラシに名前が載った。
作った湯呑みが売れた。
お茶会の招待状がスマホにたまっていく。
ケンジは、鏡を見る。
そこには、見慣れた、少し腹の出た男の顔がある。
同じ三万円である。
一円もちがわぬ、同じ三万円であるはずなのに、何かが、決定的にちがうのであった。
ケンジの週末はぐるぐると同じところを回り、ユキコの週末はらせん階段のように上へ上へとのぼっていく。
これは、小遣いの話ではない。
時間の使い方の話である。
いや——「命の使いみち」の話なのかもしれない。
そう気づいたとき、ケンジはなんだか少し笑って、それから胸の奥がチクッと痛んだ。
まったくひどい話なのであった。
それでも、あのクラブハウスのビールは、やっぱりうまいのである。
いやはや、いやはや。
