見出し画像

カササギ殺人事件を聴いた

ワシントン・ポー シリーズを聴き終えてしまった・・」で報告の通り、ミステリー小説ロスとなっていたが、その後、Audible アプリのレコメンドにより、次の「カササギ殺人事件」を聴くこととなった。

気にしていなかったが、これ普通に Audible で買うと上下合わせて7000円なのか。月額1500円のプランで聴けてよかった。文庫は上下で2000円くらいか。まぁ、お得だったかな。

ちなみに、上下すでに聴き終えた。

カササギ殺人事件

内容を書くつもりはないが、この本については最初から??な内容であった。本当に最初がわからなかった。

アンソニー・ホロヴィッツという方が著者なのだが、違う著者名が出てきたり、意味がわからないので ChatGPT に問い合わせたりした。

なんとも複雑な構成で、なんとなく聴いているというのでは、これはわからないのではないか?という不安がよぎる。

結果として、大変面白かったのだが、なんというか、個人的には複雑すぎる設定だなぁと思う。その複雑さが楽しみなミステリー小説なのだと思うので、なにも書かないが、私の脳は対応に大変苦労した。また、日本語への翻訳でも、これは色々苦労があっただろうなと思う。翻訳者という仕事も大変だなぁと感心する。

こういう複雑な内容だと、読み直し(聴き直し)して、細かいところをきっちり知りたい!となりそうなものだが、少なくとも私はならなかった。まぁ、大体わかったというところでよしとなった。

ちなみに、おそらくこのシリーズ?の続編である、次の「ヨルガオ殺人事件」を現在聴いている。

こちらも上下巻の大作。現在上巻を聴き終え、下巻に入ったところ。ああ、こういう展開なのか・・とわかった感じ。いよいよ面白くなってきた!といったところだ。

複雑すぎると思考停止する

アンソニー・ホロヴィッツ氏のこれらミステリーを批判する気は全くない。むしろ賞賛したいと思う。しかし、これは難しい。よくこういった複雑な設定を、おそらくほぼ矛盾なく構成できるというのはすごいと思う。少なくとも私にはどうやっても無理そう。

「おそらくほぼ矛盾なく」と書いたのは、「私が」全体をきちんと繋げて理解できてないからで、実際何か矛盾があったとしても気づけないレベルで私には複雑だった。

そうなると、先に書いたように、もう一度読んで(聴いて)・・となりそうなものだが、全体的な複雑さの理解にある意味「満足」して、細部が気にならないというか、そういう状態になっているように思う。

もちろん、ミステリーマニアな方(そんな呼び方で良いのか?)にとっては、読み応えのあるものかもしれないし、単純なミステリー小説ではあまり面白味がないというところまできたということかもしれない。

素朴な問題

研究においても似たようなことがある。素朴な問題はたいてい過去の偉人が発見し、解いている。もう、結構複雑な問題しかないのである。実際にはそうでもないが、一般的に見ればそうである。

新たな視点の素朴な問題。そういうものはなかなか現れないが、現れるとそれは一つの分野になる。

ミステリーの世界もそういう状態なのかもしれない。ある種のパターンは出尽くしてしまって、少々複雑にしないと新規性がないというような。

異なる知性

新たな素朴な問題を生み出すというのは、才能だけの問題ではないと思う。ある種の「運」が必要である。誰も気が付かなかった素朴な重要問題。

一方で複雑な問題を解き明かすのは高い「知性」であって、才能が必要である。

一般的にそのように思う。

例えば、素朴であって、解くのも簡単な問題があったとして、それが今まで誰も気が付かず、応用上大変大事な問題であったとしたら、やはりそれは天才的な発想なのだろう。どうしてこんな簡単な重要な問題に気がつけなかったのか!

ものすごく難しいと言われ、実際に多くの人がチャレンジしつつも解けない問題を解いた。これも天才にしかできないことである。

これら二つの知性、どうもそれらには質的な違いがあるように思う。

ということで、今は複雑さを楽しんでいる

そう、現在聴いている、アンソニー・ホロヴィッツ氏のミステリーは、複雑さを乗り越える知性が試されているような内容だ。

私の脳は記憶が苦手なので、どうも辛いところがあるが、全体として読み終えると、ああ、どういうことかとなんとなく理解できる。

そこまで含めて計算されていると思えば、アンソニー・ホロヴィッツという方の作品は、ある意味万人向けなのだろうか?

素朴さを求める

仏教についてどこかで面白い記事を見た。ちょっとそれがどこで見たのかわからないが、確か科学者が言っていたように思う。

仏教は複雑さをそのまま捉えると言ったようなこと。細かい話は忘れてしまった。

ただ、その時私は全くもって驚いた。仏教は、物事を極限までシンプルに見るというふうに思っていたからだ。

複雑性とシンプルさというのはもしかしたら対極ではなく、ほぼイコールということなのかもしれない。ある種の極限ではそういう感じもある。

今回の「カササギ殺人事件」は、すごぶる複雑なのだが、その背景にあるテーマはシンプルであって、だからこそ詳細にこだわらずに全体としての曖昧理解で満足できたということか?

複雑さの果てにある静けさこそ、仏教が言う「ありのまま」なのかもしれない。

ちょっと考えすぎてしまったかもしれない。


いいなと思ったら応援しよう!