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「わかっているつもり」が断絶を生む─視座の乖離_4章

わかっている、という前提

人間関係がこじれるとき、
そこに悪意があるとは限らない。

むしろ多くの場合、
お互いに「わかっているつもり」でいる。

相手の言葉を、
ちゃんと聞いているつもりで。
相手の立場を、
理解しているつもりで。

同じ方向を向いて、同じ前提を共有し、
同じゴールを見ているつもりで。

その「つもり」は、
疑われないまま、静かに積み重なっていく。



前提は、話し合いの前にできている

前提は、
話し合いの場で生まれるものではない。
多くの場合、
それはもっと手前で形づくられる。

過去のやり取り。
一度うまくいった経験。
自然に分担されていった役割。
言葉にされなかった了解。

「この人は、ここまではやってくれる」
「前もそうだったから、今回も同じだろう」

そうやって、
確認されない期待が、
いつの間にか前提に変わっていく。

問題は、前提が生まれることではない。
前提は、誰にでも生まれる。

厄介なのは、
その前提が共有されていると
思い込んでしまうことだ。


誠実さが、疑いを消す

誠実であろうとするほど、
人は自分の見ている前提を疑わなくなる。

「自分なりに考えている」
「自分なりに配慮している」

その感覚が、
いつの間にか
「相手も同じ前提に立っているはずだ」という
無言の確信にすり替わっていく。

同じ場所に立っているつもりで、
実際には、ほんの数歩、位置が違っている。

そのズレは小さく、
日常の中では目立たない。

会話は成立している。
作業も進んでいる。
関係も続いている。

だからこそ、
ズレに気づくきっかけがない。


ケース|資料作成という風景

上司が、部下に資料作成を頼む。

部下は「わかりました」と答え、
すぐに作業に取りかかる。

期限は守られ、
体裁も整っている。
資料として、破綻はしていない。

けれど、
提出された瞬間の上司の反応は、
どこか鈍い。

「うーん、悪くはないけど……」
そう言われて、修正が始まる。

方向を変え、
構成を変え、
表現を変え、
資料は更新され続ける。

部下は、
何が違うのかが分からないまま、
作り直しを繰り返す。

このとき、
上司は「完成形が見えていた」
つもりかもしれない。

一方で、
部下は
「任された範囲で最善を尽くした」
つもりでいる。

同じ「資料作成」という言葉の下で、
二人は、
違う完成形を思い浮かべていた。

どちらかが怠けていたわけでも、
意地悪だったわけでもない。

ただ、
完成形という前提が、
共有されていなかっただけだ。


違和感が、落胆に変わるまで

多くの摩擦は、
意見の違いからではなく、
前提の違いから生まれる。

ズレは、
最初から大きな衝突として
現れるわけではない。

それは、
言葉にするほどでもない違和感として、
ごく小さく存在し続ける。

引っかかるが、
取り立てて言うほどではない。
気になるが、
関係を止める理由にはならない。

そうやって飲み込まれたズレは、
時間とともに、
少しずつ性質を変えていく。

ある時点から、
違和感は
「確認」ではなく、
「落胆」に近い感触を帯び始める。

その変化は急激ではない。
だから、
どこで変わったのかも分からない。


測られ始めた関係

「普通はこうだよね」
「ここまでできて当たり前だよね」

こうした言葉は、
共通理解をつくるための道具でありながら、
同時に、
期待を固定する力も持っている。

一度「普通」が置かれると、
そこから外れたものは、
説明を求められる側になる。

ある人を
「この役割の人だ」
と見た瞬間、
私たちは無意識のうちに、
その役割に沿って、
振る舞いや成果を測り始める。

それが正しい判断だと、
そのときは疑いもしない。

むしろ、
疑わないことこそが誠実さであり、
相手を信じている証だと
思っていることさえある。

測定が始まれば、
視線の向きは変わる。

できていることは、
いつの間にか風景に溶け込み、
できていない欠落だけが、
静かに浮かび上がる。


悪意ではなく、距離

そこに、
責める意図があるわけではない。

ただ、
「わかっているつもり」で
見ているだけだ。

相手もまた、
自分なりの前提の上に立ち、
自分なりに誠実であろうとしている。

互いに悪意はない。
互いに間違っているわけでもない。

ただ、
立っている位置が、
少しずれているだけだ。

その距離が、
いつ、どう扱われるのか。
あるいは、
扱われないまま残り続けるのか。

それは、
もう少し先の章で、
改めて触れることになる。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

この章で扱ったのは、
誰かを説得するための考え方でも、
関係をうまく修復するための方法でもありません。

ただ、
人と人のあいだで起きる
「噛み合わなさ」が、
どこから生まれているのかを、
少し手前の位置から眺め直してみる、
そんな試みでした。

もし読みながら、
誰かの顔や、
過去のやり取りが思い浮かんだとしたら、
それはこの文章が、
何かを断定したからではなく、
その間の距離を照らしたからかもしれません。

次の章では、
この「ズレ」をもう少し構造として捉えるために、
視座という言葉を使って考えていきます。

よければ、
もう少しだけ、続きを覗いてみてください。


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