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あれ?気がついたら人生《袋小路》⁈今からできる小さな準備があなたを救う。

こんにちは、dai-fukuです。
都内の広告会社に勤めて27年。現在49歳。
いわゆる“アラフィフ”の会社員です。

戦友と飲んだ夜、心に残った“ひとつの違和感”

先日、20年来の戦友とも呼べる
同僚の女性と飲みました。

彼女は情熱の塊のような人で、愚直で、真面目で、
任された仕事には
身体ごと突っ込んでいくタイプ。

営業の現場で、
何度も一緒に修羅場をくぐってきた仲間でもあります。

そんな彼女が今、
巨大クライアントのリーダーを任されています。
そのプレッシャー、役員からの期待、日々の要求。
彼女の口から出てくるのは、

「私にしかできない」
「誰もこの大変さをわかってくれない」

という孤独に似た言葉でした。

ただ、ゆっくり話を聞いていると、
その“本当の優先順位”が少しずつ見えてきました。

それは、15以上年上の夫との時間でした。

仕事に押し流されながらも、
心のどこかで「一緒に過ごす時間を大切にしたい」と思っている。
ただ、その願いに向き合うための“余白”が、
彼女には圧倒的に足りていませんでした。

◎気づいたら袋小路にいた——そんな印象

彼女はこの20年間、
与えられたミッションに全力で応え続けてきました。
その誠実さは、まっすぐで、尊敬に値します。

けれど一方で、

“もしものための選択肢”
“価値観の棚卸し”
“未来を想像するための時間”

こうした「試行錯誤の余白」がほとんど取れてこなかったのではないか、と思う瞬間がありました。

今回の飲みの席で語られた彼女の言葉には、
まるで
「気づいたら袋小路に立っていた」
そんな響きを持っていました。

余白のないまま走り続けると、再定義の入り口がどこにあるのか分からなくなるのかもしれません。

◎再定義は、ひらめきではなく“積み上げ”

アラフィフになって痛感することがあります。
それは、
人生を再定義するには「時間」と「思考の余白」が必要だということです。

過去の経験や価値観の集積、
何度も繰り返してきた試行錯誤、
自分の未来を少し覗くような“思考の時間”。

こうした“積み上げ”があってはじめて、
「自分の人生をどう再構築するか?」
という問いに向き合えるようになります。

だからこそ、彼女を見ながら感じたのは、
責任を果たすことに全力で走ってきた20年は本当に誇らしいものの、
その誠実さの裏側で“再定義のための余白”が削られていったのかもしれない、ということでした。

私は少し早めに“再定義の準備”をしていたように思います

一方で、私自身を振り返ると、
40代前半から「このまま50代に入ったらどうなるだろう?」とぼんやりとした危機感を持っていました。

副業やセカンドキャリアに興味を持ち、
仕事の棚卸しや、
人生の優先順位を少しずつ並べ替えていました。

戦略というほどのものではありません。
ただの“先回りしておきたい”という感覚でした。

でも結果として、
その積み上げが今の「再編集の自由度」につながっていると感じています。


アラフィフは、“再定義できるかどうか”の分岐点

大きな選択を迫られる必要はありません。
人生を劇的に変える必要もありません。

ただ、アラフィフは確かに、
「これまでの価値観をどう使い直すか?」
が問われる年代だと思います。

そして、再定義できる人は、
これまでの日々の中で“余白”を積み上げている人です。

逆に、
余白なく走り続けてきた人は、気づいたら再定義の入口が見えなくなるのだと思います。

今回の飲み会は、
彼女をどうこうという話ではなく、
“自分の人生の再定義は、いまどこまで進んでいるのか?”
を静かに問い直す夜になりました。

ではまた次回

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