学園潜入捜査編|エピソード蔦(Tsuta) Vol.4 ~事件の数日前【前編】~
時は少し遡る—
これは蔦が殺害される数日前の出来事—
彼女はまだ、知らなかった。
自分が何に触れようとしているのかを。
ラグズフォート学園には、公会堂旧館というものがある。
どうやら学園の歴史を保存するために残されたようだ。
公会堂旧館は廃墟ではない。
古い石造りの外壁。
磨かれた真鍮の取っ手。
丁寧に剪定された植栽。
色褪せた校章。
どれも古い。
けれど、荒れてはいなかった。
むしろ使われていない建物にしては、手入れが行き届きすぎているようにも感じた。
この公会堂旧館の存在を、蔦はもともと知っていた。
知ってはいたが、さほど気にしていなかった。
学園の歴史を保存するために残された建物。
資料保管庫。
式典用備品の保管場所。
古い記録を並べるだけの静かな旧館。
その程度の認識だった。
だが先日、理事長室に忍び込んだ際に蔦はこの公会堂旧館に関する書類を偶然目にした。
保存管理費。
設備点検記録。
外部業者の出入り。
そして、地下設備に関する不自然な空白。
何が気になったのかは、蔦自身にも分からなかった。
それがジャーナリズムなのか、面倒なものほど覗きたくなる自分の性格のせいなのか。
それとも、もっと別の何かなのか—。
何なのかは分からない。
どちらにせよ、気づけば蔦は公会堂旧館の前に立っていた。
もうこれは学園の汚職事件とは関係ない。
少なくとも蔦は頭の中ではそう理解していた。
公会堂旧館は静かだった。
それは閉ざされた静けさではない。
誰も関心を向けなくなった場所の静けさだった。
廊下は磨かれている。
展示ケースに埃はない。
けれど、人の気配だけがない。
蔦は通路の奥へ進んだ。
そこに、地下へ続いていく階段があった。
隠されていたわけではない。
ただ、誰もそこへ行こうとしないだけだった。

それでも、十五分ほど歩いただろうか。
公会堂旧館の内部は、拍子抜けするほど普通と言えば普通だった。
特別に閉ざされた場所というわけでもない。
厳重な警備があるわけでもない。
扉に大げさな鍵が掛かっているわけでもない。
その気になれば、誰でも来られそうな場所だった。
蔦は足を止め、手元のメモに目を落とした。
理事長室で目にした公会堂旧館に関する書類。
そこに記されていた設備点検記録と目の前の通路の位置が重なる。
だからこそ、蔦はここまで辿り着けた。
偶然ではない。
だが、隠されていたというほどでもない。
ただ誰も気にしない場所に、誰にも知らされていない道が続いている。
それだけのことだった。

階段を下りきると、細い通路が奥へ続いていた。
旧館の地下。
そう呼ぶには妙に綺麗な場所だった。
壁は古い石造りのままだが、床には新しい補修跡がある。
天井には等間隔に小さな照明が並び、薄い白色の光を落としていた。
暗くはない。
けれど、明るいとも言えない。
足音だけが、やけに大きく響いた。
蔦はスマホを取り出し、画面に目を落とす。
—圏外。
「…なるほど」
驚きはなかった。
ここは、ただ地下だから繋がらない場所ではない。
繋がらないようにされている?
そう思った瞬間、先日会った彩の忠告が耳の奥で蘇った。
——これ以上は踏み込まない方がいい。
蔦は小さく息を吐いた。
「もう、だいぶ踏み込んでるんだけどね…」
冗談めかして呟いた声は、通路の壁に吸い込まれるように消えた。
さらに奥へ進む。
通路の空気は冷たかった。
湿気は少ない。地下特有の黴臭さもない。
代わりに、わずかな薬品の匂いがした。
蔦は足を止める。
通路の先。
曲がり角の向こうから白い光が漏れていた。
旧館の地下に似合わない、あまりにも清潔な光。
蔦は息を殺し、壁に背を寄せながら角を覗き込んだ。
そこに、扉はなかった。
代わりに、床から天井まで伸びる鉄格子があった。
その向こう側に、白い部屋が広がっていた。
広すぎるほどの空間。
眩しいほどに磨かれた床。
規則正しく並ぶ天井灯。
壁を這う無数の管。
その奥にソファがひとつだけ置かれていた。
そこに、一人の女性が座っている。
白いノースリーブのワンピース。
膝の上に静かに置かれた手。
眠るように閉じられた瞼。
長い銀色の髪に赤いグラデーションカラーがソファの背に流れていた。

蔦は息を呑んだ。
頭には白いヘッドギア。
そこから伸びる複数の管が壁や天井へと繋がっている。
拘束されているわけではない。
鎖も手錠もない。
けれどそれは、自由とはまるで違うものだった。
蔦の指が鉄格子を掴む。
冷たい。
その冷たさで、ようやく自分の手が震えていることに気づいた。
「…え?…何? この子は誰…?」

そこで蔦が見たものは、玲の姿だった――
つづく—
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