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妄想について妄想してみる | ぽてぽたのよしなしごと #17

今、妄想がアツイ。

どこでアツイのかと問われれば、主にみちよさん界隈でと答えるしかないだろう。


「いろは歌」を使った妄想の連載が始まったと思ったら、怒涛の勢いで妄想ワールドが広がっている。

しかもみちよさんの記事のコメント欄を開けば、そこには「我も」「我も」と妄想の続きを考えたり、別の妄想を展開する猛者が集まっている。

刺激的だ。
高揚感がすごい。
妄想激アツ。妄想 to the next level.

ということで楽しすぎるので、不慣れだが、妄想についての妄想に挑戦したいと思う。

私は歴史に弱い上に情景を思い浮かべる系の妄想ができないので、そのあたりはClaude氏の多大なサポートのもと、それらしく組み立てた。


* * *


「猛躁之症、妄より発す」

妄想という遊びは、あまりにも楽しい。

楽しすぎて人々が夢中になりすぎる危険性があり、かつては「もうそう」と呼ばれ、禁忌とされる時代もあった。

時は江戸時代後期。
歌舞伎の規制、寄席の閉鎖、贅沢禁止令などにより、庶民は娯楽に飢えていた。

そこで流行したのが「もう」と呼ばれる遊びだ。

集まって互いの夢の話や作り話を継ぎ足していくという、その場限りの創作である。

道具も金も要らず、頭一つあればどこでもできるこの遊びに、人々は夢中になった。

長屋の一角やかみどこの待合などで、夜通し行われることも珍しくなかった。

遊びが高じ、興奮して眠れなくなる者、食事を忘れる者、「妄を申す!妄を申す!」と叫びながら江戸の町を徘徊する者が増えた。

この状況を見て、時の儒者・しゃくまさみちは「もうそうしょう、妄より発す。いましむべし」と記し、お上に進言した。

遊びに興じるあまり、猛烈な躁状態に陥ること——すなわち「もうそう」は、すぐさま忌むべきものとされ、禁令が出た。

明治に入り、西洋的な思想が流入すると、この「猛躁」は「妄想」という言葉に姿を変えて戻ってきた。

「妄想」は適切な範囲で楽しむ分には問題がないこと、むしろ近代的な創作にとっては不可欠であるという認知が広がり、現在に至る。

また杓子正道については、一部近現代の学者の間で「あいつ、頭が固かっただけじゃねーの」という解釈も生まれ、後に「杓子定規」という言葉が生まれたとも言われている。


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コメントの応酬で妄想が広がっている様子があまりにも楽しいので、
「時代が時代なら、SNS依存ならぬ妄想依存がありえたんじゃない?」
なんて考えてたら、また妄想が一つ増えてしまいましたとさ。



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