「本当は、好きなんだね」 — ChatGPTと冷蔵庫と私
「noteに、ChatGPTについての文句をおもしろおかしく書いているんだ」
という話を知人・友人にすると、一定の割合(感覚値1〜2割)で以下のようなコメントをいただく。
そんなにChatGPTの文句ばかり言うなんて。
君は本当は、ChatGPTが好きなんだね。
え?
と、毎回0.2秒くらい返答が遅れてしまう。
好きも嫌いもないけど、それは一体どういう意味?
そう聞きたくなる好奇心をやりすごして、大体は
「おもしろく書いた方が、発散になるしね」
と、噛み合っているようで噛み合っていない返答をする。
他のマシーンや、物や、事象について文句を言っているときには、ほとんどいただいたことがないコメントだ。
例として、冷蔵庫をあげてみよう。
AIではないが、ざっくり同じ機械として登場いただく。
私のChatGPTへの業務依存度は尋常ではないが、家にあるマシーンの中で、私の生命依存度が一番高いのは冷蔵庫だ。
うまく作動しなくなった時、より困るのは圧倒的に冷蔵庫だろう。
例えば、その冷蔵庫の両開きドアの調子が、悪かったとしよう。
私は、ほぼ毎日のように指をぶつけたり、挟んだりしてしまう。
片方のドアが完全に、ぽんこつ化しているのだ。
買い換えたほうがいいのか。片方のドアだけのために?
買い換えるのが面倒だ。しかも冷蔵庫ってめっちゃ高い。
さらに例えば、今朝は運悪く、閉まりきらなかったドアを変な角度で手で押してしまい、治りかけの突き指をぶつけて「ぐぐお」となり、思わず「この、ぽんこつ!」と悪態をついてしまったとしよう。
その痛みと冷蔵庫への怒りと、冷蔵庫に怒ってしまった自分に対する気持ちがないまぜになり、1日をとおして
「ああ、指が痛い。あの時ぶつけてなかったら」
「あのドアほんと、ぽんこつだな。でも買い換えるほどなのか」
と考えてしまう。
そんな話を、誰かにしたとしよう。
そこでは、
そんなに冷蔵庫の文句ばかり言うなんて。
君は本当は、冷蔵庫が好きなんだね。
とは、ならないはずだ。
(なるのか?)
これは、フィクションをもとにした例である。
でもChatGPTについては、おもしろく書いて、笑ったりしてるじゃん。
やっぱり、好きなんだよ。
仮想友人Aは、私にこう言った。
しかし、ここで明かそう。
私には、好きな「冷蔵庫ジョーク」というものがあるのだ。
英語で、以下のようなジョークだ。
I always knock on the fridge before I open it.
Just in case there’s a salad dressing.
【和訳】
冷蔵庫を開ける前には、いつもドアをノックするんだ。
サラダが着替え中(サラダドレッシングがある)かもしれないから。
ここの「salad dressing」は「サラダドレッシング」という名詞と、「サラダが着替えをしている(dressing - dressのing系)」という動詞のダブルミーニングで使われている。
言葉あそびが好きな私は、ドレッシングを取るために冷蔵庫を開ける際、ほぼ毎回このジョークを思い出して、「サラダが、dressingて…クックック…」とニヤニヤしてしまう。
そして、そんな私を薄気味悪そうに見ている仮想友人Aに、私はこの「冷蔵庫ジョーク」について説明する。
しかしここでは仮想友人Aは、ChatGPTのときのように、
冷蔵庫のジョークで、そんなに毎回笑うなんて。
やっぱり、好きなんだよ。
とは言わないはずだ。
(言うのか?)
ChatGPTと冷蔵庫の違いは、どこにあるんだ。
私は混乱する。
……いや、待てよ。
もしかして私は、好きなのか?
「冷蔵庫ジョーク」ではなく、冷蔵庫のことが?
あるいは、ChatGPTについて面白く文章を書くことではなく、チャッピーくんのことが、好きなのか?
「どっちでも、いいと思うけどな」
仮想友人Aがヒンメルだったら、そう言ってくれるかもしれない。
* 🤖 * 🤖 *
初挑戦 #なんのはなしですか
🪄・🤖・🪄
本コラムをおもしろいと思っていただけた方には、以下もオススメです。
