見出し画像

🌟自己紹介のつづき③|頑張ることが😤私の価値だった!海外への憧れから30歳の離婚まで

こんばんは、みきです❤️

この記事は、自己紹介連載
「自己紹介のつづき|『毎日ワクワク楽しく生きる!』にたどり着くまで」
全5回のうちの第3回です。

英語が話せたらかっこいい🔤
海外を飛び回って✈️働けたら素敵

そんな憧れが
若い頃の私を強く動かしていました



1. 海外への憧れが🌟私を外の世界へ連れ出した


高校卒業後、私は英語の専門学校に進みました。

アメリカ🇺🇸・サンディエゴ🌊へ
4ヶ月のホームステイ🏠

最初のホームステイ先は少し合わなくて
1ヶ月もたたずに変更

そのあとに出会った音楽家一家🎻の家では
とてもあたたかい時間を過ごしました

毎日のように遊び回っていた私は
ホストマザーから Party Animal という
ニックネームまでつけられたほどです😳

卒業後はワーキングホリデービザでオーストラリア🇦🇺へ

星が降るような夜空🌌
天の川や南十字星が手に届きそうだった
庭にカンガルー🦘やワラビーが来る風景

英語でのコミュニケーションに苦労
しながらも
私は確かに
「世界は広い」🌏
と感じていました



2. 働けることが自分の価値になっていった


帰国後、就職難の時代にやっと決まったのがホテル🏨の仕事でした

レストランとルームサービスを兼務し
かなりハードなシフトで働いていました

そのホテルで
後に結婚する夫と出会います

夫はコック🧑‍🍳さんで
2年の同棲を経て25歳で結婚しました

でも結婚後も、私は止まりませんでした

英会話スクールに転職し
営業ノルマと教室運営に追われる日々

その後は派遣で半導体装置メーカーに入り
毎日終電まで働くような生活

仕事は楽しかった

必要とされること
任されること
成果を出すこと

それは私にとって
自分の価値を感じられる時間でもありました



3. 25歳で結婚💒30歳で離婚


その頃の私は
仕事に夢中になりすぎていました

夫婦の時間より、仕事

気づけば、毎日残業で自分の時間🕰️もなく
家庭とのバランス⚖️は崩れていきました

そして30歳で離婚

今振り返ると
壊れていたのは結婚だけではなく
生活のバランスそのもの
だったのだと思います



4. 中国🇨🇳と日本🇯🇵を往復しながら✈️ますます止まれなくなった


離婚後も私は働き続けました

雑貨会社で中国への買い付けや工場🏭探し、検品などを担当し
厦門から福建までタクシー🚕で何時間も移動する日々

設備の整っていない工場🏭で
寒さの中ひたすら検品をすることもありました

次の会社でも、日本と中国の間に立ち
客先と工場の板挟みになりながら調整する仕事

さらに半導体関連の海外営業として
中国・台湾を飛び回る働き方へ

今思えば、かなり無茶をしていました

でも当時の私は

「大変」より先に
「私がやらなきゃ」
が勝っていたんです

頑張れること
役に立てること
必要とされること

それが、
私の価値そのものになっていました



5. おわりに🌟


頑張ることは、悪いことじゃありません
責任感があることも、素敵なことです

でも、

頑張り続けないと自分に価値がない

と思い始めたら、少し危ない

私はこのあと
心と身体から強制的に
「止まりなさい」
と言われることになります


今のあなたの頑張りは
「やりたい」からですか?
それとも
「認められたい」
「役に立ちたい」
からでしょうか?




次回は、飛行機の中で突然息ができなくなった日のこと。
うつ病と向き合い、49歳で病院を卒業するまでを書きます。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます🌟

もし今日の内容に重なるところがあったら
「ここが印象に残った」
「私もこんな経験がある」
など、ひとことでもコメントいただけたら
嬉しいです

よかったら続きも読みにきて下さい❤️


シリーズ一覧

  • 第1話|「私には何もない」は思い込みだった〜私の原点〜

  • 第2話|「不器用だね」を何十年も信じていた私へ。子どもの頃のラベルは大人になって外せる

  • 第3話|頑張ることが、私の価値だった。海外への憧れから30歳の離婚まで

  • 第4話|飛行機で息ができなくなった日。うつ病と向き合い、49歳で病院を卒業するまで

  • 第5話|45歳から人生は再編集できる。花とAIとタロットが、私の未来を動かした

過去の記事


いいなと思ったら応援しよう!

コンパス みき✨️好きのタネ🌱‬‪を育てる案内人 頂きましたチップは、創作活動費として使わせて頂きます☺️よろしければ応援お願いします❤️

この記事が参加している募集